☆最後の奮闘
ラストインニング、畠中四球を選びしも長井の遊匍、田中の確捕快し、畠中封殺されて一死、谷尻左飛、龜山の手中に入りて二死、八木第一球を右翼に安打し、長井を三壘に送り自分も二盗して一中軍此處を先途と闘ふ。實に敵ながら涙ぐましきものがあるではないか。然れども大橋奮投すれば流石の健棒石村の長棍も遂に空に流れて五對二、我が軍の勝利に帰してしまった。
思へば第三回の好機に際して、若し一中軍に今一段の意氣と、我がコーチの如き名コーチを持つならば或ひは勝敗其の位置を換へてゐたかも知れない。此の點リーグの親友一中軍の為め深く惜まざるを得ない。
閉戰午後零時四十五分。
神戸一中 100 010 000=2
神戸二中 002 000 30X=5
〔一 中〕 打得安盗三四失
7 八 木 5032000
9 今 村 5112100
2 深 井 4010100
1 宮 崎 4020002
8 石 黒 4010000
6 西 松 4000000
4 畠 中 3010013
3 長 井 4000101
9 谷 尻 4110000
計 372104316
〔二 中〕 打得安盗三四失
數點打壘振球策
3 眞 鍋 5001100
2 田中鮮 4000200
7 森 山 3000210
8 藤 池 4000201
9 波戸崎 4000100
5 丸 山 3000010
6 田中豐 4241000
1 大 橋 3211010
4 池 田 4110001
計 34563832
◎對神戸三中第2回戰 昭和2年6月26日(日)明石球場
△田中捕手病んで起たず前田本壘を固守し、太田初陣の功名打棒能く振ふ。
△武陽軍三中軍の唯一回の集注打に潰滅したるは、誠に一大事痛恨事に非ず
邪。
六月二十六日、高田、金政兩氏審判の下に午前十時五十二分、三中軍の先攻に戰ひは開始された。
三中軍は大橋の投球に頗る振はない。我が軍は之れに反して一回、二回、四回に各一點を得て敵を壓してゐる。
七回三中は目覺しい勢ひを以て突撃してきた。四本の安打と死球と敵失に一擧五點を奪った。我が軍奮起せざるべからず、九回一點を得たが無死走者三二壘に在るの好機を逸して遂に點を収む。眞に残念なりき。
神戸三中 000 000 500=5
神戸二中 110 100 001=4
〔三 中〕 打得安三盗四
數點打振壘球
5 石 垣 401000
3 岡 本 400000
1 岩 武 412100
6 宿 野 410010
7 谷 412000
8 蜂 谷 310001
4 屋 松 311101
2 渡 邊 401000
9 牧 野 400100
計 3457312
〔二 中〕打得安三盗四
數點打振壘球
3 眞 鍋 321042
5 丸 山 200022
6 田 中 200103
8 藤 池 500010
1 大 橋 500000
7 森 山 511000
9 太 田 413010
2 前 田 301210
4 池 田 401110
計 33474107
◎對神戸三中第3回戰 昭和2年7月25日(月)神戸二中
△新進小林、失策續出す。されど怯まず。
△武陽軍第一回リーグ戰に優勝す。
七月二十五日、過日對三中戰に於て我が軍中不慮の災難あり、一敗地に塗れたる意恨骨髄に徹し、我が九勇士の胸中に復讐の意氣の勃々たるものあり、見よ其の快打を!安打に次ぐ安打を以てするヒッティングシスティムは見事に極って得點すること十一、我が健棒の振ふところ、恰も無人の野を行くが如し。
然れども彼は我が新進小林を攻めて其の虚を突き彼も亦八點を得。遂に五時十分、十一對八を以て我が軍の勝利に帰しぬ。
吾等は此處にリーグ戰を了へて、其の得る處甚大なり。然も我等は優勝しぬ。此の上は此の優勝の餘勢をかって全國大會に邁進するあるのみ。
神戸二中 11−8 神戸三中
〔二 中〕 打得安二犠盗三四
數點打打打壘振球
9 龜 山 61100030
5 丸 山 51000001
1 大 橋 32200002
2 田 中 32110022
4 池 田 51000101
8 藤 池 52300000
7 太 田 50200100
6 小 林 41001101
3 眞 鍋 41210001
計 40111121358
〔三 中〕 打得安二犠盗三四
數點打打打壘振球
3 岡 本 51000000
8 蜂 谷 53100100
1 岩 武 42000111
5 宿 野 51101000
7 谷 51100020
9 金 子 50200100
2 渡 邊 40110100
4 室 松 40100100
6 岩 田 00001200
計 418711651
[リーグ戰成績]
神戸一中=4戰2勝2敗
神戸二中=5戰4勝1敗
神戸三中=5戰1勝4敗
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