昭和2年(15陽会)1927年

NO5

 グラウンドのコンディションは非情に良い。戰前三塁側に陣取った一中軍を見遣れば、各選手とも必死の色が面に現れてゐるではないか。さうだ彼等にしては是非とも勝たねばならない仕合である。宮崎は快心のピッティングをやっている。
 球速にもコントロールにも申し分が無い様である。バッティングを見れば屡々ロングヒットが飛ぶ。眞に往年の一中が思ひ出されることである。藤田一塁手が居ないのが吾々にとって何だか物足らない感がする。

 此の方では過ぐる春のウイニングピッチャー大橋が得意のサイドスローに非常なスピードを示してゐる。我が軍の打撃は長打ではない。皆單打主義に必打の色を漂はせてゐる。我が軍の先攻だ。劈頭眞鍋四球を得て出壘した。次は池田だ、果然眞鍋は盗壘を企てた。セイフ!好機は先づ我が軍に迎へられた。

 池田は捕手にファウルを打って斃れた。次で波戸崎が起った。彼は速球を得意とする。見よ姫中戰に於ける痛快なる二塁打を、宮崎の速球は彼にとって好個のボールでなければならぬ。彼は打った左前クリーンヒットを、走者は三一壘に在る。ワンアウト、絶好のチャンスだ。實に確打の藤島に待つところが大である。と波戸崎は第一球目二壘盗壘を企てた。捕手深井は二壘にボールを送った波戸崎アウト、その間眞鍋は本壘を突いて一點。最初の歡呼は我がベンチに揚った。

 然しながら敵捕手深井の二壘投球は又得難い頭脳の働きを示してゐるのではないか。藤池三匍して退く、然し我が軍先づ一點を先取して最早一中軍も眼中にない。
 見よ大橋の快投を、一中は全く手が出ない。三回迄三者凡退、六の三振は明らかに大橋のサイドスローと、田中捕手の策戦とが巧妙を極めたと云ひ得よう。然し宮崎のファイヤークロスの速球も亦峻烈を極めてきた美事な投手戰だ。

 四回、一死後八木、深井共に安打して初めて一中軍に好機が見舞った。然し宮崎の遊撃左の安打性強匍に八木走り過ぎて三本間に挟撃され、ボールは田中(豐)から丸山へ、丸山から田中(鮮)へ田中(鮮)から田中(豐)に返され遂に八木は、田中(豐)から眞鍋への投球に本壘に憤死するに至った。此の場合八木の失策を責むるよりもむしろ田中遊撃手の好守を賞すべきではなかろうか。

 五回、田中(豐)大橋四球に出てラスト田中(鮮)だ。左翼に飛球を送れば八木亂れず二死となった。次に眞鍋は左中間に飛球を送ったが、流石の古豪石黒も止むる能はず逸して、田中長驅本壘を突いて遂に二點を算するに到った。

 其の裏一中は今村、石本安打して走者三二壘に在り無死だ、危機は遂に來た。打者八番、差は二點、敵は必ずやスクヰズに出るであろう。果然長井はスクヰズに出んとした。然し我がバッテリー悠々たり、見よ田中のミットに音あって今村本塁に憤死して了った。愚なる矣一中と叫ばざるを得ない。彼は六回二度目のスクヰズに失敗して了った。傳統的打撃を誇る一中が守備の我が軍を二度もスクヰズに出んとしたことは既に策戦上彼は我に劣ってゐたのではないか。

 だから七回再度の無死走者三二壘に在る絶好の好機も三匍、三振、三振に取回しのいかない結果を生んでしまった。
 我が軍のノーエラーは一中軍に零敗を喫せしめた。堂々たる守備、何者がやって來ようとも恐れるものではない。特筆大書すべき初陣、田中(豐)の好守好走、田中捕手の鋭き頭脳の働き、流石の宮崎も唯三振十五を取ったのみで、リーグ戰劈頭の仕合をロストして了った。

《武 陽》
◎對神戸三中第1回戰 
昭和2年6月14日(火)神戸二中
 ☆森山、田中よく選球し、眞鍋、丸山安打す。
 ☆大橋振はず。三中肉薄して演ず。


   (敵失)000 100 200=3
   (安打)021 112 000=7
 神戸三中 001 022 100=6
 神戸二中 000 330 10A=7

   (安打)000 222 01 =7
   (敵失)011 111 20 =6

 〔三 中〕  〔二 中〕
 5 石 垣  2 田 中
 8 岩 武  36 田 中
 3 岡 本  4 池 田
 1 宿 野  8 藤 池
 4 室 町  7 森 山
 7  谷   6 小 林
 9 蜂 谷  3 眞 鍋
 2 渡 邊  1 大 橋
 6 岩 田  9 龜 山
        9 渡 崎
        5 丸 山

◎對神戸一中2回戰 昭和2年6月19日(日)明石公園
 ☆頼母しき哉我が九戰士遂に三度一中を敗る。
 ☆此の意義深き會戰の永續を希ふて對一中戰を終る。

 先日の失敗に覺醒する所があったのであらう。六月十九日彼は陣容を新にして再び我が陣容に迫って來た。然し彼が如何に陣容を新にして來ようとも又如何なる秘術を擁して來ようとも、我々には二中スピリットがある。
 此の二中スピリットがある限り吾々はフェヤプレイを行って堂々と勝つことがあるばかりだ。加藤、原兩氏審判の下に午前十時四十五分、敵に先攻を譲って戰端は開かれた。

☆一中一點を先取す。
 一中の突撃は急だ。八木遊撃安打、二番今村第一球を遊匍して封殺され、折角の安打も空しく、深井遊撃フライに無為と思はれたが宮崎の投手後方の飛球は田中、池田譲り合って今村の生還を許すに到った。此の最初の一點が如何に一中を元氣にならしめたことであらう。

 一對零、彼は猶優勢を示してゐる。三回八木再び二壘に安打を放ち續く今村遊匍して八木又封殺、實に第一回と同じ戰況である。三番深井立つ二−一、大橋如何にしけん、油斷して投ぜし好球は見事な左翼左を破る絶好の二壘打とされてしまった。
 走者三二壘に據る、危機だ!我等は此の走者を恐れない、次打者を恐れない。唯恐れるのは勝に乗じた彼の意氣である。彼とても一中、必ずや一中魂があるに違ひない。然し彼は意氣で來なかった。愚劣な策戰は遂に彼を彼自身で遺滅せしめて了った。

 通常斯くの如き場合は即ち一點勝って未だ三回一死走者三二壘に在る時は飽迄ヒッチングに出るべきである。況んや此の日二本のクリーンヒットを放てる四番宮崎の打順に於てをや。然し若し我々が彼がスクヰズをしないであらうかといふ疑念を少しでも抱かなかったなら、一中軍は必ずやスクヰズに成功してゐたであらう。

 併し偉大なる天祐!果然企てたる彼のスクヰズは少しほんの少しの用意をしてゐた大橋に依て間一髪の所で防がれた。宮崎のバントに音あり、ボールは三壘よりに小飛球となった。大橋前進又前進、将に地に着かんとしたボールは漸くグローブの中に収った。而も今村三壘に併殺、實に美事ではないかその防戰振りは。

 形勢逆転。
 其の裏我が軍田中二壘安打に出て直ちに盗壘、次に好漢大橋は二壘を破って走者三二壘に據る。好機は我が軍にも亦到った。池田二−二後輕く遊匍して田中生還、一死同點、敵は前進してバントに備へる。我が巧妙なる作戰は眞鍋ヒッチングに出て大橋を迎へて二點を、形勢は逆轉した。

 一中五回、谷尻、今村安打して又一死走者三二壘に據る好機が見舞った。深井三匍に二死、宮崎である。おゝ美事に彼は左翼にクリーンヒットを放った。谷尻は既に本壘を突いた。續いて今村も、彼が快足を利しての走壘は敵ながら天晴である。我が森山強肩比類なき彼の腕より投ぜられた球は田中捕手の好捕と相俟って今村を本壘に憤死せしめた。森山の好投、實に賞すべきものがあるではないか。

 同點だ、戰は益々白熱する。六回兩軍無為。ラッキーセブン、敵の無為の後を受けて我々は結束して起った。田中(豐)遊撃を破れば大橋型の如くバントするを石黒二壘に投じて二壘手の落球する所となりオールセイフ、池田投手を突けば彼あせって又逸し無死滿壘の好機は來た。

 此の時既に宮崎は五回のノックアウトに退いて中堅石黒と交替してゐた。眞鍋重望を負って立ったが空しく三振、田中(鮮)敵の意圖を裏切ってバントすれば田中(豐)踊躍生還、石黒あせって又失し田中も安全だ、森山に代って龜山四球に大橋生還、藤池突如遊撃を襲へば西松不覺にもハンブルして了った池田生還、

 波戸崎二直に流石の猛襲も終ったが三點を得て勝敗の數は明かになった。此の回に於けるベンチコーチのコーチは臨機應變而もその常軌を行って實に巧妙を盡し得たと云ひ得やう。