昭和2年(15陽会)1927年

NO1

《武 陽》
[京神中等學校野球大會参加之記]

 昭和2年4月6日(水)明石公園グラウンド
 午前9時23分=11時45分 審判・(球審)高崎(壘審)郭

 神戸一中 040 000 120=7
 神戸二中 400 040 10A=9

 〔二 中〕 打得安犠盗三四失二三
       數點打打壘振球策打打
 3 眞 鍋 4120011020
 4 池 田 5000020000
 2 田 中 2200003000
 6 小 西 2101101200
 8 藤 池 4001120000
 5 丸 山 5210000100
 1 大 橋 3220002001
 7 森 山 4110011000
 9 龜 山 5020010010
     計 34982278331

 〔一 中〕 打得安犠盗三四失二三
       數點打打壘振球策打打
 8 石 黒 2110103000
 7 八 木 4110011100
 3 藤 田 3111101210
 1 宮 崎 5000030100
 2 深 井 5120010010
 5 谷 尻 4010011010
 9 矢 島 5000030000
 4 畠 中 5220110000
 6 松 尾 4000011200
     計 376813117630

 四月六日、時は到って遂に神戸一中と會しぬ。去年彼に敗れしは此の大會に非ずや。實に年來の復讐戰なり、将又今年度の歴史を飾るべき劈頭戰なり。必ずや勝たん、戰はずして我が軍の意氣既に天を衝くの概あり。いざ緊れと踊躍して我が軍先づ守備に就く。斯くして午前九時二十三分、球審高崎、壘審郭兩氏の下に、恨ぞ篭る明石公園グラウンドに於て、戰端は開かれぬ。

〔第一回〕一中=強豪石黒去年と變らざる一番なり。大橋奮闘、遊飛に打取りしも、八木二壘安打、藤田四球に續いて先づ危機到る。次は四番宮崎なり。然れども大橋好投輕く三匍せしめ新進丸山の守備よく八木、宮崎を併殺し去りぬ。
△二中=眞鍋先づ右翼を飛球に襲へば、野手の後退及ばず二壘打となる。池田の投匍に三進、好機は來る。果然スクヰズは行はわれて田中絶好のバントして眞鍋を還し、自らも一壘に生く。小西捕手妨害に出で藤池の投前軟打に二者進壘、丸山の投匍、宮崎あせって失し田中生還。大橋の右前安打に小西、丸山生還、守山中飛に終る。我が軍強打、軟打に四點を得。

〔第二回〕一中=決眦して起ち深井中前安打、谷尻四球、矢島左飛、畠中二匍に谷尻封殺、二死なり、松尾四球に滿壘となる。ピンチなり、石黒、大橋の不用意に投ぜし好球を二遊間に安打して深井生還、八木又遊撃後方に安打して畠中、松尾生還。藤田も左翼に二壘打して石黒生還。緊らざるべからず、奮闘遂に宮崎を三振に退けしも彼四點を入れて同點となる。
△二中=龜山右翼右を抜く絶好の二壘打を放ちしも眞鍋三振、池田の投匍に三進し田中、小西四球に續き、好機到ると見えしに藤池三振して空し。

〔第三回〕一中=深井三匍失、谷尻中飛、矢島三振、畠中投匍。
△我が軍丸山左飛失、大橋左飛、森山三振後盗壘ならず。

〔第四回〕一中=松尾左飛、石黒四球に出で、八木遊匍失に續けど藤田遊匍に八木封殺、宮崎の遊匍、小西守備固し。
△我が軍龜山投匍、眞鍋四球、盗壘成らず、池田三振。

〔第五回〕一中=深井左飛、森山後退後又後退良く隻手に止む、美技なり。谷尻三振、矢島投匍。
△我が軍田中選球して四球を奪ひ、小西犠打して送り藤池左飛後、好漢丸山痛打すれば二壘上を抜く絶好の安打となり田中長驅生還、大橋四球、森山左前安打に滿壘の好機は來る、龜山衆望を負って立ち強匍に遊撃を突けば松尾敢なく失し丸山生還、眞鍋の三匍に乗じて大橋生還。森山三本間に挟まれしも駿敏よく生き池田の二飛に止む。此の回四點を得て我が意氣旺なり。

〔第六回〕一中=畠中中前安打、松尾投匍に封殺、松尾牽制球に斃れ、石黒四球を得しも八木三振に空し。
△我が軍田中投匍、小西遊匍失に出で藤池三振、丸山遊匍小西封殺さる。

〔第七回〕一中=藤田遊匍、小西惜しくも低投して生かし宮崎振れども當らず、深井奮打左翼越二壘打を飛し藤田生還、谷尻中飛、矢島三振。
△我が軍ラッキーセブン猛打を續く。先づ大橋中堅左を抜く三壘打を放ち森山の右飛後龜山の右前安打に生還、眞鍋又中堅越二壘打に走者三二壘を占め池田三振の後田中四球に滿壘の好機又來り小西振れば彼の鐵棍に音あり、中堅頭上を遥に抜きしも球は敵中堅手の後退に彼の手中に入る、敵ながら美技なり。

〔第八回〕一中=畠中投手足下を抜いて出で松尾三振、石黒死球を喫し八木四球に一死滿壘の危機到る、藤田左翼に犠飛し生還、宮崎三振。
△二中=藤池、丸山共に投匍、大橋、森山四球を利せしも龜山三振して空し。

〔第九回〕一中=深井三振、谷尻左越二壘打に氣を吐きしも續く矢島、畠中二者三振して万事休す。

 吁!九對七!我が軍勝つ。遂に年來の復讐を成し得たり。此の光榮の勝利こそは、我がナイン實に唯一丸となって敵に突撃せしに在りとは云へ、これぞ數年間の復讐を成らず恨永うして母校を去りし先輩諸兄の誠心の致す所ならん。

 我が親愛なる熱血の校友の應援の致す所ならん。嗚呼戰の前日に於ける部長江川先生の熱誠下るお話の吾々をして堂々武陽スピリットを發揮せしめしに由るならん。思ふに眞に然らざるはなし。
 更に思へ稻田先輩の神の如き戰法を眞に謝するに言葉なし。

〈神戸新聞〉
[第6回京神中等學校對抗野球戰]

 昭和2年4月6日(水)明石公園グラウンド
 午前9時=11時45分
 神戸一中 040 000 120=7
 神戸二中 400 040 10X=9


 〔二 中〕 打得安犠盗三四失
       數點打打壘振球策
 3 眞 鍋 41200110
 4 池 田 50000200
 2 田 中 22001030
 6 小 西 21010012
 8 藤 池 40010200
 5 丸 山 52102001
 1 大 橋 32200020
 7 森 山 41100111
 9 龜 山 50200100
     計 349823784

 〔一 中〕 打得安犠盗三四失
       數點打打壘振球策
 8 石 黒 22101030
 7 八 木 40100111
 3 藤 田 31111012
 1 宮 崎 50000301
 2 深 井 51200100
 5 谷 尻 40100110
 9 矢 嶋 50000300
 4 畠 中 52201100
 6 松 尾 31000112
     計 3678131176

 △三壘打=大橋 △二壘打=眞鍋、藤田(2)、龜山、谷尻 △捕逸=田中(2)
 △重殺=眞鍋 △ボーク=大橋 △試合時間=2時間22分。