大正8年(7陽会)1919年

NO7

 和歌山中 000 000 001=1
 神戸二中 001 100 00A=2


       打得安犠盗三四刺補失
 〔二 中〕
       數點打打壘振球殺殺策
 8 木 村 3120200100
 4 野 澤 2000112212
 2 北 澤 30000011770
 1 渡 邊 3000011020
 6 島 津 3120001012
 3 松 浦 2001110601
 78 将 積 2000112000
 97 田 中 2000102000
 5 木 谷 3000031131
 9 井 垣 2000010000
     計 25241681027146

 〔和 中〕
 6 北 島 3100222440
 4 神 田 4011020011
 1 戸 田 2000212211
 8 竹 内 2000122210
 5 井 口 3000002230
 7 橋 元 3001031100
 2 橋 本 4000030960
 3 眞 野 4000020400
 9 武 井 2000011000
     計 271125161024162

 ▲二壘打=木村、島津、神田 ▲併殺=北島、井口 ▲逸球=橋本
 ▲死球=渡邊3、戸田1

大正8年10月12日(日)和歌山中學
◎對同志社中學部戰
 天王寺中學と接戰一對○にて勝利を得たる同志軍と午後二時三十五分より優勝戰を行ふ。敵軍先攻。

 第一回。同志軍大仲四球を得續く吉井一壘後のテキサスを放ち兩者一二壘に據りしも浅井三振、三宅遊匍、原亦三度振を演じて無為。

△我軍さらばと北澤先づ三壘を誤らし野澤の犠打と島津の投匍にて三壘に至りし時渡邊痛快にも中堅右翼の空を抜く三壘打を戞放し島津生還一點を先取す。渡邊長驅本壘に殺到して刺さる。

 第二回。山田、野澤の失に生くるや箕田のバントを渡邊一壘に低悪投し無死にして走者二三壘を占む。然して三谷、島田三振後大仲よく三越二壘打を飛し二走者相接してホームイン却って一點を勝越しぬ。吉井投手直球。

△我も左るものなり。松浦三匍に倒れたれど井垣再び三壘を衝いて之を失せしめ續く将積の右翼安打に一擧三壘を陥れ田中の投匍を待ちて生還忽ち同點となす。木谷相變らず三振に振はず。

 第三回。浅井右翼へ單打し快走を利し一氣二壘を踏みしが三壘スティールを急ぎし為捕手よりの牽制にて空しく死し、三宅遊飛、原三匍。

△北澤四球に出で二壘に刺され野澤も四球を奪ひながら島津の左翼飛球にて併殺を喫し無為なり。

 第四回。敵山田、三谷三振、箕田一匍。

△我軍大いに振ふ。即ち渡邊四球を利し一壘に安全たりし時松浦中右間突破の三壘打を見舞ひ之を本壘に迎へ、己は井垣の軟安打により易々還り二點を加へたり。
 續く将積再び右翼にシングルし田中バントを弄し走者尚一死にして二三壘にありしも木谷の軟打は井垣を本壘に憤死せしめ北澤投匍に空し。

 第五回。同志亦此の回二點を恢復し同點となり戰の興味益加はり行く九番島田中堅に痛快なる單打を放ち、将積の逡巡せる間に早くも二壘を陥れ、大仲バントすれば野手選擇となり兩者一壘及び三壘を占有す。
 時吉井更にバントを叩き付け島田生還、大仲は三壘に驀進せしを以て松浦之を刺さんとし投ぜし球高きに過ぎ大仲も入る。浅井、三宅遊撃に飛球及び匍球を呈して効無し。

△我軍野澤投匍死後島津痛烈火を吐く熱球を以て中堅左翼間を縫ひ當然三壘打と思はれたるに砂原状の外野に止められ二壘より得るを得ず。
 されど渡邊中堅飛球に倒れし後松浦の二匍を野手一壘に暴投せし間にすかさずホームインせり。松浦二壘盗奪不成功。

 第六回。原四球を利し山田の犠打にて二壘に及び三谷次で中堅にシングルせるや長驅本壘を抜かんとして将積の好投及北澤の好守の為惜くも刺さる。箕田三振。

△我軍田中三遊間を安打に貫き一壘を踏みしのみ井垣三振、将積二匍、木谷ゴロ。

 第七回。敵島田死球を食ひ大仲の三振と同時に二壘を盗まんとせしが北澤何條生すべき。吉井二壘を強襲し野澤に阻まる。

△北澤振はず凡飛球を三宅に與へて退くや野澤遊撃猛襲効を奏し島津次で四球に續く。打者は剛勇渡邊又もや痛打一番前よりも大きく中右間を破って疾驅三壘を抜く。
 野澤、島津即ち躍然本壘に突入、續く松浦更に絶好のバントを三壘線上に匍はせ渡邊を迎へ入れ直ちに二壘スティール。井垣のバント捕手一壘暴投をなし松浦三壘を陥れしに井垣二壘を盗まんとして刺され松浦亦此の間ホームを衝き憤死す。然れども我軍の得點八を算し大勢を決せし感あり。

 第八回。一死後三宅四球を奪ひ北澤の一壘牽制暴投を利し二壘に達し原の三匍木谷失せし為三壘に迄來る。原は二壘を陥れんと焦り北澤、渡邊に計られ犬死せしも、續きし山田、野澤を誤らすに及び三宅生還、一點を恢復す。箕田二匍。

△我軍将積右翼に二壘打を飛し安打三本、大いに氣を揚げたり。然るに續く田中、木谷三振し北澤ゴロむざむざチャンスを逸し去る。

 第九回。八對五最早勝利は我軍のものと思ひ居たりしに破綻不測に勃發して敵に三點を與へ八對八のセームとなるに至れり。
 八番三谷死球に出で直ちに二壘を盗むや島田三壘オーバーのシングルを放ち三谷一呼して還り島田又渡邊の二壘牽制大悪投を利しそのまゝ生還、差はオンリー一點なり。
 大仲を三振に屠り吉井二匍に倒れし後淺井四球を奪取し二壘をスティールし續いて三壘を猪突す、北澤何のと木谷に送りたる球無惨悪球となって木谷後逸淺井欣躍牙城を抜きたり。三宅死球を喫し代走島田二壘に刺さる。

△我軍更に點を増さんと起ちたれど野澤一匍、島津、渡邊三振して無為。エキストラインニングに入る。

 第十回。原三振、山田四球に生きし時日没の為中松主審ゲームセットを宣しぬ。時に五時三十五分なりき。

 我軍此の日失策多く出で敵をして得點の機會多からしめたり、打撃の猛は賞すべく京都一の名投手三宅の球を安打すること十本、而も其の中五本は長打たりし事珍らしき好成績を収めながら勝敗決せず空しくドロンゲームに別れしこそ残念至極なれ。同志軍思はずも敗戰を免かれ欣喜雀躍せり。

 同志社中 020 020 013 0=8
 神戸二中 110 210 300  =8

 (延長10回表一死、日没のため 引き分けドロンゲーム)

       打得安犠盗三四刺補失
 〔二 中〕
       數點打打壘振球殺殺策
 2 北 澤 41000011142
 4 野 澤 3101001322
 6 島 津 4210011320
 1 渡 邊 4220011032
 3 松 浦 41201001001
 7 井 垣 3110010000
 8 将 積 4030000011
 9 田 中 3010010000
 5 木 谷 4000020011
     計 33810116427139

 〔同志社〕
 6 大 仲 3111021211
 7 吉 井 4011000110
 5 淺 井 4110221022
 1 三 宅 3100001280
 3  原  40000211100
 8 山 田 3101011100
 9 箕 田 3101010020
 4 三 谷 3110120001
 2 島 田 3220010921
     計 30864311526165

 ▲三壘打=渡邊2、松浦 ▲二壘打=島津、将積、大仲 ▲併殺=北澤、野澤、
  吉井、原、島田、三宅、大仲 ▲死球=渡邊3 ▲審判=中松(球)松元(一壘)
  中本(三壘)三氏複審。

〈神戸又新日報〉
[第7回扇港野球大會]
大正8年10月15日(水)板宿山下グラウンド
午後3時30分開戰 午後5時30分閉戰 審判(球)村上(壘)福田

 關學中學部 011 100 0=3
  神戸二中 010 000 0=1


 〔二 中〕     〔關學中〕
 2 北 澤    1 岡 田(澤)
 4 野 澤    9 丹 羽
 6 島 津    3 沼田(根岸)
 1 渡 邊    6  澤(岡田)
 8 井 垣    2 根 岸(沼田)
 3 松 浦    5  辻
 7 将 積    7 三 輪
 9 田 中    4 岡田(静)
 5 木 谷    8 柴 田

 犠失四安三打   犠失四安三打
 打策球打振數   打策球打振數
 09201026   24621130

 2回關學中學部は無死澤が遊失で出壘、二盗、二死後投手けん制に二、三壘間に挟まれたが、三壘手の逸球に恵まれ生還。二中はその裏、四球、連続敵失であっさり同點。
 3回關學中學部はまたも相手エラーをきっかけにチャンスを掴み内野ゴロでリード。

 さらに4回には二死から柴田の遊越安打で加點、2點リード。
 二中は全く元氣がない。沼山投手のまえに打線沈黙。とうとう最後までノーヒットに抑えられてしまった。勝機なしの試合だった。