大正8年(7陽会)1919年

NO6

《武 陽》
大正8年9月5日(金)北野中學
 對神戸一中定期試合を失ひ戰士の遺憾やる無く、茲に對外雄飛を企圖して本年度より毎年九月第一日曜を卜し、大阪の雄北野中學と會戰することゝなれり。
 然して本年度は我軍大阪に出征す。敵軍豫想以外に貧弱にて到底我と争ふ可くもあらず。十一對○我軍凱旋しぬ。
 午後二時四十分戰開始さる。風烈しく加へて雨降り出したれど何ぞ憚らん。我軍先攻。

 第一回。木村四球を利せしも野澤の中堅飛球と盗壘のモーション同時に生じ重殺を喫す。北澤三振先づ為す所無かりき。

△北中の一番岡同じく四球に出で二壘を盗み、豐田三振、簗一匍の死後暴球にて三壘に達す。されど末永、渡邊の弄殺する所となりて無為。

 第二回。渡邊死球、木谷代走。島津左翼に安打し松浦の三匍により走者二三壘に據り次で捕逸の隙あり、木谷生還最初の一點を擧ぐ。将積尚も四球を奪取せしが田中、木谷不甲斐無く三振。二者残壘。

△内村、竹村、光好盡く三度振の醜を演ず。

 第三回。我軍の攻撃間斷無く續き敵をして息を繼ぐ可き暇を與へず、進み進みて四點を獲得せり。木村投匍、野澤本壘前のゴロにて初は振はざりしに、北澤一度三壘越の痛打を戞飛し二壘を盗むや俄然猛撃展開され渡邊遊撃シングルして北澤を入れ、島津の左翼直安打に渡邊生還、島津盗壘三壘に至るや松浦三遊間を貫き之をして凱陣せしめ自らは二三壘を連盗以て捕失を利して牙城を抜く。将積死球を得是亦三壘迄至り尚もと思はれたれど田中再度三振す。

△敵三者見る見る中に渡邊に薙倒され起つ能はず。

 第四回。竹内入りて投手となり代り榮を見せ木谷、木村、野澤を三振に退かしむ。

△豐田、簗何れも渡邊の小失の為出壘。それも續く末永、内村の三振、竹内の左飛にて空しくスタンディングを見しぞ心地よき。

 第五回。前回の成績に敵投手稍々慢心の色ある矢先我軍忽ち五點を奪ひ全く顔色無からしめたり。北澤先づ投手を襲ってその鼻を挫き渡邊四球にその後に續きし時島津三度左翼に匍安打を放ち無死滿壘の好機を生む。

 松浦立ち更に猛ゴロを投手の正面に戞飛せば投手大狼狽二壘に投じ島津を詰殺せしも北澤は易々生還。将積四球を選び滿壘の缺を滿す。田中遊撃飛球二死を數へし後木谷三壘を誤らして渡邊、松浦を本壘に迎へ入れ、木村又々四球に生くるや野澤二壘を強襲之が失を利し一擧二壘に達す。此の間将積、木谷相接してホームインせり。
 北澤輕く三振し我軍の攻撃やうやく止みぬ。得點積で早くも十を算す。

△北中光好死球を食ひ一壘に立ちしのみ、江島一匍、金本三振、岡遊飛に凡退。

 第六回。渡邊三匍一壘の失を以て二壘を浸し三壘を盗まんとして刺さる。島津の四球、松浦又一壘の失に出で二壘盗奪、将積尚四球を利し一死滿壘なり。然るに續く田中の中飛を松浦二死後と誤り本壘に驀進し惜しむ可き併殺を喫せり。

△豐田四球の恩恵に浴し簗、島津を失せしめて出でしも前者は牽制球とて二壘に犬死し後者は後續の凡打に残壘。未だ一つのランも無し。

 第七回。木谷捕手飛球、木村遊匍、野澤三振。

△敵も亦光好、金本バットに音なく江島二壘に打って無為なり。

 第八回。我軍北澤再び左翼に痛烈なる熱球を送れば野手失して二壘打となす。渡邊遊撃にゴロを放って走者を進め島津次で遊撃の一壘暴投に生くるに及び、北澤即ち生還十一。松浦三振。将積四度四球を奪ひ島津は暴球を利し三壘を陥れたれど田中の打撃更に振はず空しく三振。

△敵依然として發展せず、岡飛球を松浦に呈し豐田、簗本壘を枕に討死す。
 第九回。木谷、木村三振、野澤内野安打に出でしも北澤の遊匍之を二壘に詰殺す。

△北中軍最後に至るも變り無く内村四球を得二三壘連盗わづかに氣を揚げしに過ぎず、末永、竹村、光好振って振って振り止む。

 かくて我軍は遺憾無き快捷を遂げたり。敵軍の意氣毫も擧らざるに反し我は最初より雄叫びと共に守り又攻めたる此の大勝宜なる哉。

 神戸二中 014 050 010=11
 北野中學 000 000 000=0


       打得安犠盗三四刺補失
 〔二 中〕
       數點打打壘振球殺殺策
 8 木 村 4000022000
 4 野 澤 6010020010
 2 北 澤 63201201900
 1 渡 邊 3310001012
 6 島 津 4130301201
 3 松 浦 5210410500
 7 将 積 0100304100
 9 田 中 5000030000
 5 木 谷 4100030000
    合計 371180111382723

 〔北 中〕
 68  岡  3000011531
 2 豐 田 30000211241
 81  簗  4000210120
 5 末 永 3000131121
 7 内 村 3000231002
 16 竹 村 4000020020
 4 光 好 3000030001
 9 江 島 3000010000
 3 金 本 3000030803
    合計 29000519427139

 ▲併殺=岡、金本、簗、岡 ▲逸球=北澤1、豐田2 ▲暴球=渡邊、竹村
 ▲死球=渡邊1、簗2

《武 陽》
【近畿地方代表中等學校野球大會】
□和歌山遠征之記□ 大正8年10月12日(日)和歌山中學
 十月十二日大阪毎日新聞和歌山支局主催の下に和歌山中學校グラウンドに於て第一回近畿中等學校野球大會開かる。我軍は神戸を代表して参加すべき由招聘せられ即ち快諾、十一日放課後直ちに谷口、佐々木、津田三先生に引率せられ和歌山遠征に上れり。参加チームは京都同志社中學部、大阪天王寺中學、和歌山中學及び本校の四校なりき。

◎對和歌山中學戰
 劈頭和歌山中學と対戰す。これ前回二度惨敗を蒙れる恨重なる仇敵なり。今又敗れんか何の面目あって校友に見えんと我九勇士死を決して背水の陣を布けば、敵軍は尚も全勝を擅にせんと全校の應援を擧げて大擧來襲す。
 兩軍覇氣相摶つ所熱血迸り出で未曾有の白熱戰を演出せり。

 午前八時四十分、中松(球)松元(壘)兩氏審判にて戰闘開始。

 第一回。我先づ布陣す。北島四球に出で二壘盗奪、神田三振後戸田又四球を利し島津の牽制球失にて走者二三壘を陥る。されど續く竹内三振し井口の安打性の球は島津に好守せられノーラン。

△我軍木村投飛、野澤四球を奪ひしも二壘スティール成らず、北澤遊飛。

 第二回。橋元尚も四球に生く、續く橋本バントせしが却て走者を詰殺し眞野遊撃に飛球を上げて二死。時に橋本、野澤の落球にて二壘に達し武井の死球を喫するや更に三壘を盗まんとして刺さる。

△渡邊不振三振後島津痛撃遊撃オーバーの二壘打を戞飛し松浦、将積死四球を得一死滿壘の好機を生めり。然るに續打者田中軟打をウエストされ島津惜くも挟殺の憂目に會ひ田中は邪飛球を捕手に掴まれ為す所無かりき。

 第三回。和中北島痛快に振って三振。神田投匍一壘手の失及び牽制球二壘三壘手の連失の為三壘に據る。戸田捕邪飛死後竹内、井口相次で死球を奪ひ走者壘に滿ちしも渡邊奮闘橋元を三振せしめぬ。

△我軍木谷三振されど木村よく三壘を突破し一擧二壘を陥れ更に三壘をスティールす、野澤四球にて之に續き二壘を盗まんとせし時捕手之を牽制せしかばその隙に木村すかさず本壘に入り最初の一點を獲取せり。北澤、渡邊何れも凡飛球を遊撃、投手に捧ぐ。戰漸くエキサイトしぬ。

 第四回。敵三者悉く渡邊に弄殺さる、痛快の極なり。

△島津四球を利し捕逸により二壘に至りしや松浦のバントを投手一壘に高投し島津得たりと凱陣。松浦三壘を失敬し續く将積尚も四球に後を追ひ我軍未だ為す所あらんとしたるに田中の遊飛にて松浦おぞくも併殺され、木谷再び三振せしは惜むべし。
二對○我戰士の意氣愈々高まり以後守備大いに固まりたり。

 第五回。北島三振に退きし後主将神田三壘越の見事なる二壘打に氣を吐き竹内四球走者一二壘にありしも、戸田三振、井口二匍未だ點を成すに至らず。

△我軍木村再度三壘を熱球に貫き野澤の三振後二壘を鮮にスティールし北澤次でよく選球して出で好機又至れり。續きし渡邊頼み甲斐無くもフライを中堅にかち上げしを以て走者は壘に止りたるに野手危なく落球す、木村即ち急遽三壘に猛進し一瞬の差にて中堅よりの好投の為詰殺されぬ。

 此の際猛烈にスライドせし時不幸にも壘側に突起せる石にスパイクを引掛け無惨右足を挫きて退場を餘義なくせらるヽに至れり。扇港野球大會を三日の後に控えたる此の日の負傷又しても時運は我に運らざらんとするか。島津直球を左翼に放って止む。

 第六回。我軍将積を中堅、田中を左翼に代へ井垣を右翼に入る。渡邊更に意氣を振起し橋元を三振に盡し眞野を三匍に打取る。

△松浦、将積三振二死後田中、木谷何れも粘って四球を奪ひしも木村の後を打ちたる井垣遊撃に匍球を呈して無為。

 第七回。和中ラッキーセブンを絶叫し攻撃に移り北島先づ四球に出づれば續く神田さらばとバントして之を二壘に進む。されど戸田の邪飛球北澤好捕し四番竹内も空しく本壘に討死せり。我軍の好守溌溂たり。

△野澤遊撃を襲ひて北島に阻止せられ北澤大飛球を中堅に飛して二死。渡邊四球を得たるや島津再び左翼に直安打を見舞ひ形勢俄然振はんとせしが松浦中堅の正面にライナーを打って効を奏せざりき。

 第八回。敵軍井口遊撃の失に生き橋元の犠打を待って進壘せしのみ、橋本、眞野三振に終る。

△我軍も亦田中の四球を奪ひしありしに過ぎず、将積二匍、木谷、井垣三振。二對○を持續せしまゝ最終回に入りたり。

 第九回。敵軍も今は必死なり、應援團總立ちとなり喧聲囂々耳を聾せんとす。果然ラスト武井易々四球を利し一番北島打盤に進む、打順は絶好我軍警めざる可からず。
 北島軟ゴロを三壘に放つや小冠者木谷敏くも前進數歩して之を引掴み見事武井を二壘に詰殺し續く神田も渡邊に飜弄され既に二死を數ふ。

 かくて我軍漸く愁眉を開くと見えたるに何事ぞ續打者戸田、竹内四球を奪取し滿壘、而も鐵棍を督して打者に立てるは確打者井口なり。ピンチピンチ武陽軍の驚駭其の極に達す。果して渡邊尚も之に四球を與ふるに及び北島欣然生還未だフルベース。

 橋元重任を負ひて立ち戰局如何に結ばるゝや知る可くもあらず。あゝされど渡邊の健闘は目覺ましかりき、橋元遂に本壘に憤死し三者残壘。

 二對一!我が旌旗は燦として敵庭に輝けり。復讎の壮圖はかくて遂げられたり。
 和歌山中軍は敗れたりと雖も屡々好機を生み我陣を壓迫すること急激にその善戰は讃嘆すべし。得難き強チームたるを失はず殊に守備は泰山の安きにあるを思はしむ。

 我軍は意氣に於て彼に勝れたり、木村、島津の二安打は目覺しく前回にノックアウトされたる渡邊の今日の猛闘振は全くその恥辱を雪ぎぬ。