大正8年(7陽会)1919年

NO3

《武 陽》
大正8年5月18日(日)和歌山中學
◎對和歌山中學第二戰
△鐵路四十里南征の
△復讎の壮圖空し

 過日對和歌山中戰に於て我軍中不慮の災難あり、一敗地に塗れたるの意恨骨髄に徹し、其の後復讎の意氣期せずして我九勇士の胸中に勃々たるものありき時しもあれ年中行事の一として我等八百のファンの血潮を彌が上にも沸騰せしめたる對神戸一中戰中止の事發表さるゝに及び、連日の猛練習に英氣とみに溢れる我選手は切歯扼腕徒に鐵棍を撫せるのみ、せめて仇敵和歌山中を屠り盡して欝憤を晴さんとこゝに和歌山遠征の企圖はなりしなり。

 かくて男子戰はヾ勝たざるべからずの意氣を以て對一中戰のそれの如き猛練習は引續き行はれたり。主将木村足を挫きて歩行意の如くならざるに強ひて練習に臨みて一軍を激勵する等あり、我ナインの苦心の努力に幸あれかしと祈りし者豈我等のみかは。

 五月十八日。戰の日は遂に到れり、此日春風心地よき絶好の野球日和にして神戸驛に集れる我戰友の面には極みなき歡喜の色と頼もしき必勝の意氣躍如たるを覺えしむ。かくて江川先生及び先輩橋本氏引率の下に七時二分愈々南征の途に上りぬ。
 途中難波驛にて時を費す小一時間にして和歌山着、既に正午に近かりき。

 和歌山中寄宿舎に至り晝食後甚だしき旅の疲勞を癒し英氣を養ふ暇もなく、直ちにユニフォームに身を固めグラウンドに向ふ。谷口先生も來らる。
練習に時移り兩軍の鮮かなるシートノックも終りて二時を過る正に三十分戰闘開始の宣告下り、我軍先づ勇躍守備につく。

 第一回。前回と同じく北島一番なり、四球を強奪し神田の内野安打に一擧三壘に至りて安全、危機早くも我を襲へり。續く老獪柳絶妙のバントを以て身を殺し北島のホームインを助く。戸田の中堅飛球、三壘の神田犠牲飛球となさんとし本壘を猪突し北澤よりの好球に併殺を喫す。一點を先取し敵軍の意氣當る可からず。

△我も亦徐ろに進み最後の勝利を得んとす。北澤遊匍の後木村粘りに粘りて四球を得、巧に二壘更に三壘を盗連し好機をつくる、渡邊の猛ゴロ北島掴む能はず、木村即ち悠々として生還、戰局は俄然最初より緊張し來れり。渡邊二壘を失敬し堀の三匍に及びしも島津の三振にスタンデング。

 第二回。敵更に一點を増せり。武内、橋元の相次で三振に斃れし後橋本又四球を利し二壘を盗まんとす、堀好球を投ぜしも五百井落して之を生し後パッスボールにて三壘に來る、時に八番井口の一打直安打となり中堅に飛び橋本得たりとばかりホームイン。武井二飛。

△五百井四球に出で二壘を盗奪、浅田の犠牲打に三壘に據りしも無為に終る。

 第三回。北島三振後、神田四球の恩恵に浴しバッテリーの逸球と暴投に三壘に進み本壘をうかヾふ。柳輕く投手を衝き渡邊本壘に投ぜしも神田既に完全に生還す。柳又捕手の逸球に二壘に達せしも戸田、武内の三振に残壘となる。

△打順よく北澤四球を選びて盗壘、未だノーダウンなり、木村即ち巧妙なるバントを弄し北澤三壘に送らる。打者に立ちしは強打者渡邊、必死のスウイング雄叫と共に強振すれば球は中堅の頭上を越えて見事なる三壘打となり、北澤奮躍ホームイン、渡邊は又二壘手の焦りて本壘に暴投せるに乗じ相踵いで牙城を抜く。堀は投手直球、島津は中堅飛球に死せしも兩軍の得點相等しく試合は極度にエク(キ)サイトせられ觀客快戰に醉ふ。

 第四回。橋元四球を奪ひ橋本のバントに二壘を占めて其後無為。

△我軍更に振ふ。五百井二壘を衝き惜くも刺されたるも、松浦よく球を選びて生き巧に二壘を盗奪、浅田の一壘後のテキサスリガーに三壘を占め野澤の三振目の鮮かなるバントを待ちて欣躍本壘に突入す。北澤直球を投手頭上に放ち安打と思はれしに戸田よくシングルに捕ふ。かくて敵入るれば、我も入れ我入るれば敵も入れ、追ひつ追はれつ稀有の白兵戰を演出せり。

 第五回。敵も打順よく北島先づ中堅に安打して出で二壘を奪ひ逸球に三壘に達す。神田三振に退けられたるも柳再びバントを敢行し一點を加へぬ。戸田三振に交代。

△我軍無為。
 第六回。此回果然恐るべきピンチ襲來し敵の打撃一順、安打及我失に二中軍の堅固なる守備全く撹亂され敵一擧五點を奪取大勢を決せしものゝ如し。
 即武内最初直球を遊撃に呈すれば島津飛び上りさま惜しくもグラブを撥きて失し武内一壘に生くるや直ちに二壘を奪ふ。續く橋元四球に出でノーダウンランナー二壘にあり橋本のバント小飛球となり島津之を捕へしも敵走者自重せし為併殺を行ふ能はず、井口立つに及び二走者敢然ダブルスティールをなして成功、井口は更にスクヰーズに出で武内を本壘に橋元を三壘に送り、自らは渡邊の一壘暴投に安全たるを得。

 而して未だワンダウンにして三二壘は走者之を占む、島津バントに備へせし時武井誂へ向の球をその前に打ちしかば島津直ちにそれを拾ふ、即ち三壘より驀進し來りたる橋元は當然アウトと思ひたるに島津焦りて處置を誤り、走者の本壘寸前に迫れるに球を捕手に轉送せし為後れて橋元を入壘せしむ。

 この間に井口は三壘に、武井は二壘に至れり、一番北島亦輕く一壘に打つ、野澤本壘に投ぜしも既に遅く井口又々生還、且北島は安全なり。時に走者は武井の三壘に北島の一壘に據れるあり、北島即ち二壘を奪はんとす、堀無謀にも之を刺さんと二壘に投ず、武井その隙に本壘を突き二壘よりの好球に憤死、北島は一氣三壘に達す。

 神田尚も内野安打に出で北島ホームイン、神田は續く柳の中堅越二壘打に一呼本壘を抜けり。戸田の一匍に敵の攻撃纔に止む。實に我軍の混亂其極に達したりと謂ふべし。

△我軍憤躍血相を變へて起ちたるも意氣天に冲せる敵の守備を抜く能はず、死四球に出でし淺田、北澤を残し他は凡打三振に終る。

 第七回。敵軍未だ攻撃の手を止めざるにや、武内、橋元續けさまに渡邊のボールを安打し前者は盗壘と捕逸に後者は盗壘にて又もや無死にして走者二三壘を占めぬ。こゝに於て我軍は斷然渡邊を一壘に退かしめ新進松浦を陣頭に立て野澤をして三壘を守らしむ。二壘の橋元は投手の牽制暴投により三壘を得、為に武内は容易にホームイン、敵の得點合計十を數ふるに至れり。
 未だノーダウンを維持し居たりしも松浦續く三者を凡退せしむ、若武者の活動獨り目覺まし。

△ラッキーセブンなるぞ、我等とて光榮の二中スピリットに生ける健兒豈やすく彼等が足の汚すままに汚さしめんやと、一軍結束せしも敵の守備依然堅きを如何せん。

 第八回。北島の再度左翼に直安打せしあるのみにてはじめて無為に終れり。

△戰終局に近しと心のみ焦り堀は遊飛、島津は左飛、四球を得たる五百井も二壘盗奪に失敗し愈ラストインニングに入る。

 第九回。武内、橋本四球と安打に出壘せしも何れも二壘を盗まんと企てゝ成らず、橋元三振。

△此回にして遂に恢復し得ざらんか、吁!それ返討の屈辱を甘んじ受けざる可からず。我戰士の面影に凄愴の氣漲り松浦先づボックスに入りツースリーまで粘りて四球に出で直ちに二壘をスティールす。淺田次て二壘を衝き松浦を三壘に送る。
 野澤の南無八幡の一打、遊撃亂れず、松浦は本壘に入りたれど既に二死、北澤亦遊撃に沮まれ終んぬ。吁−

 敵軍歡喜の鬨聲のみ徒に高く我戰士顔を蔽ひて悲憤の涙滂沱たり。前戰の屈辱に對し燃ゆる復讎の意氣を内に、幾多校友の後援を外にして、鐵路四十里、南征の一擧に敵を蹴破れば和歌中の軍生氣なしと叫びし、遠征軍が末路に誰か同情の涙を濺がざるを得んや。されど勝敗は此れ兵家の常亦止みなん哉。
 至誠を盡せば健兒の本懐は達す、嗚呼武陽南征軍敵庭に花と散る時紅き夕日に照されたる陽春黄昏の悲哀は此處にあり。十對五!武陽軍敗る。

 和歌山中 111 015 100=10
 神戸二中 102 100 001=5


       打得安犠盗三四刺補失残
 〔二 中〕
       數點打打壘振球殺殺策壘
 8 北 澤 31001021101
 7 木 村 21012000010
 13 渡 邊 41101202321
 2  堀  400000011400
 6 島 津 40000102320
 4 五百井 20001124111
 51 松 浦 22002220000
 9 淺 田 20111111002
 35 野 澤 30010006001 
    合計 26523877271265

 〔和歌山〕
 6 北 島 33320211410
 4 神 田 22220111210
 2  柳  40012005202
 1 戸 田 40000003301
 8 武 内 42210312000
 7 橋 元 21110223002
 3 橋 本 211110112000
 5 井 口 21111100201
 9 武 井 30001100000
    合計 26101095106271326

 ▲三壘打=渡邊 ▲二壘打=柳 ▲併殺=北澤、堀 ▲三振=渡邊8、松浦2
 ▲四球=渡邊5、松浦1 ▲暴投=渡邊 ▲逸球=堀5

《武 陽》
大正8年5月20日(火)神戸二中
◎對兵庫中學戰
△安打十二、盗壘十八
△二十二對二我軍大勝

 兵庫中學よりの挑戰に應じ二十日午後四時より本校々庭に於て戰ふ。我新鋭の氣に當る可くもあらず七回ゲーム二十二對二にて潰走せり。我軍先攻。

 第一回、四球と敵失及び渡邊の安打に三點を奪ひ、
 第二回、打者に立ちし者十二人四箇の四球連發に押し出されしを初めとし渡邊、堀、野澤の連續シングルヒットあり、盗壘八箇、敵を亂し一擧八點を増す。

 第三回、北澤の大飛球左翼手失して本壘となり、木村シングルして出でし時渡邊三度安打。而もレフトオーバーの見事なる本壘打なり。堀四球に出で敵失に又還り此回の得點四。

 第四回、五百井の安打あり更に一點を加へ、
 第五、六回敵よく守りて入るを得ざりしも、
 第七回に至り北澤、木村、堀、野澤のヒット及び四箇の敵失其他にて六點を得、計二十二點となる。これに反し敵はノーヒットにて、唯四回に二箇の四球と松浦の失策に辛くも一點を入れ、六回又四球と野澤の失に生還二點となりしのみ。

 神戸二中 384 100 6=22
 兵庫中學 000 101 0=2


       打得安三四失
 〔二 中〕
       數點打振球策
 8 北 澤 452020
 7 木 村 532010
 1 渡 邊 443110
 2  堀  422110
 4 野 澤 522202
 5 有 利 320120
 6 松 浦 520031
 9 猿 渡 210130
 3 五百井 311120
    合計 3522127153

 〔兵庫中〕
 6 北 村 120021
 3 松 岡 200212
 2 西 川 300002
 1 藤 田 300001
 7 西 川 300301
 5 滿 田 200212
 4 大 前 200212
 9 松 野 200210
 8 不 動 200200
    合計 202013611

▲本壘打=渡邊▲審判者=高橋(球)傳谷(壘)