大正4年(3陽会)1915年

NO7

《武  陽》
◎對神戸一中

 大正4年
10月3日(日)御影師範  審判 河合(球審)池内(壘審)
 午後3時
35分開始 五時十分終了

 神戸一中 000 003 2=5
 神戸二中 000 001 0=1
 

       打安犠三四補刺得
 〔二中軍〕 撃全牲  殺殺
       數打球振球數數點
 6 田 中 31010050
 9 藤 原 30000200
 7 兒 島 30000020
 1 今 村 21100900
 4 箸 倉 30000200
 5 上 村 20010210
 2 睦 好 21000611
 3 松 尾 20000080
 8 橋 本 20010000
    合計 
2231302117

 〔一中軍〕
 8 鈴 木 20012012
 6 平 川 31100201
 7 石 本 30100001
 5 坂 野 40000410
 2 井 上 30000341
 3  梶  100000
11
 4 別 所 11002130
 1 久保田 30020500
    合計 
2332541521

 大正四年十月三日。御影師範學校の野球大會に招かれて午後三時三十五分より河合(球審)池内(壘審)兩氏審判の下に神戸一中と干戈を交えぬ。 

 第一戰。鈴木三振し平川三壘グラウンダーに死し、石本遊撃に凡打す。田中遊撃を衝いて成らず。藤原一壘に飛球を得られ兒島二壘グラウンダーに斃る。

 第二戰。坂野二壘を強襲して生き、井上のライナーをグラブに収め坂野を刺さんと一壘に投ぜし球低きに失し為に二壘に進み、梶の犠牲球に三壘を得別所四球を利して出でしも多木三振す。今村、箸倉遊撃を襲ひて死し上村遊撃の失に一壘を得しも二壘を奪はんとして刺さる。

 第三戰。久保田投手グラウンダーに死し、鈴木投手を衝き一壘の失に生きしも平川の右翼飛球に二壘に刺され、石本一壘を襲ひて死す。我軍代り攻めしも睦好遊撃を、松尾、橋本三壘を猛襲して成らず。

 第四戰。坂野遊撃飛球に死し、井上、梶凡打す。田中三振し藤原三壘に凡打し、兒島三振して止む。

 第五戰。別所四球を利し二壘を盗みしも多木、久保田三振し、別所又三壘をステールせんとして殺さる。今村三壘越の絶好の安全球を飛ばしゝも箸倉の投手バントに二壘にフォースアウトされ、箸倉又二壘を盗まんとして刺され上村三振す。

 第六戰。鈴木先づ四球に送り出され平川の犠牲球に二壘に進み、石本のPゴロを一壘失して走二三壘に在り坂野一打美事遊撃越の安打と見えしに、輕快の名高き兒島ランニングキアッチにてグラブに収め鈴木を刺さんと三壘に投ぜし球を壘手落し、井上三壘を襲ひて其の暴球に二壘に到り前者生還す。

 梶四球に出で續く別所の安全球に滿壘となる。多木右翼にタイムリーヒットを飛ばして井上生還し梶本壘に入らんとして右翼よりの投球の為め本壘に憤死す。我軍代り攻むるや睦好左翼越の二壘打を戞飛し二死の後田中左翼オーバーの二壘打を飛ばして睦好生還して唯一のランを作り、田中三壘を奪はんととして刺さる。

 第七戰。久保田三振の後鈴木四球に出で續く平川の右翼越の三壘打に生還し、石本の犠牲球に平川本壘に入り坂野遊撃飛球に死す。一死の後兒島一壘を強襲して生き今村の犠牲球に二壘に進みしも箸倉の右翼飛球に萬事休し、五對一を以て敗る時に五時を過ぐる事十分なり。

〈神戸又新日報〉
[第3回扇港野球大会] 大正4年
1029日(金)東遊園地

 神戸二中 000 300 000=3
 神戸一中 112 020 00A=6
 

  〔一 中〕            〔二 中〕
 8 鈴 木 5021010    4 箸 倉 4011001
 3  梶  5001000    6 田 中 4010012
 1 久保田 3100101    9 藤 原 4001003
 5 坂 野 3110210    7 兒 島 4111000
 2 井 上 4230010    1 今 村 4101000
 6 平 川 4102001    2 睦 好 4111011
 4 別 所 4021002    3 岸 本 4011001
 9 多 木 2100210    5 上 村 3001000
 7 石 本 4001002    8 橋 本 3001000
       打得安三四盗失          打得安三四盗失
       撃   死            撃   死  
       數點打振球壘策          數點打振球壘策
       
34686546           34358028 

◇一大壮観◇
兩軍火花を散す
 感興に燃えてゐる十万の瞳は今斎しく投手と打者の上に注がれてゐる、場の東側と北側に陣取った千四百の應援團は手ン手に珍器奇具をオッ取って此所を先途と囃し立て喚ぎ立て自校選手の士氣激勵に殆ど死物狂ひの軆たらくである、

 思ひ出づる今夏流石の強一中も豐中出場の豫選競技に際し哀れ二中軍の為に敗衂の憂き目を見たのであった、左れば一中軍の為には或意味に於て此試合が雪辱戰である、報復戰なのである、壘に就いた各選手の胸底には深く決する所が無くてはならぬ、相對する攻防兩軍の選手の眼が爛々と燃える殺氣を帯びてゐるも無理からぬ話だ
 

□果然激戰は激戰をば生んだ□
 回一回、インニングの重なる毎に場の空気は緊張して來る、戰闘の經過は一中軍が三回目迄に四點を収めてゐるに對し二中軍はまだ一點も入ってゐない、応援團も聲を潜めて静まり返ってゐる。

 四回の表が來て二中の攻め番となったがボックスに立った田中、藤原の二勇士は相次いで何れも憤死し既に二死者を算し たので観衆中には既に二中軍悲觀説を唱へる者すら出で來た、ソコへ決然鐵棍を提げて起った好漢は豫て強打手として聞えてゐる兒島君である、彼の顔は悽愴の色を湛へてゐた、

 心に決する所があったのだらう、ボールスリー、ストライクツー、其次のボールは實に打者を生死の境に置くものであった果然第六球は 渾身の力を篭めて振廻した打者のバットに衝突った球は唸りを生じて右翼の頭上を掠め遥か彼方の観衆の前に落ちた、此間に快漢兒島は韋駄天の如く一、二、三壘を攻略して猛躯本壘を陥れたのであった本壘打!本壘手!敵も味方も観衆も我を忘れて熱狂歡呼し當日第一の殊勲者よと襟め稱へたのである、

 續いて睦好の中堅大飛球を中堅ミッスし一壘にあった今村が二三壘を衝いて是亦本壘を攻落し猶も續く岸本の左翼安打は二壘にあった睦好をして安々と本壘を踏ましめ茲に二中軍一擧三點を収め得たのであった、

 別項記載の如く戰ひ利あらずして二中軍惜しくも敗れたが此痛快な水際立った二中軍の打撃振りは慥かに當日場を飾った花中の中であったのである、そして我好漢兒島君が一撃一、二、三壘を奪ひ本壘を陥れる迄に要した時間は僅かに十七秒間でランニングに於ても殆ど斯界のレコードを破ったものと云へやう、