大正4年(3陽会)1915年

NO2

◎對関西學院高等部
大正4年5月
24日(月)神戸二中  審判 岩佐(球審)梶(壘審)
午後4時
18分開始 6時終了

 關學高等部 002 000 200=4
  神戸二中 002 030 00A=5
 

       打安犠三四補刺得
 〔二中軍〕 撃全牲  殺殺
       數球球振球數數點
 6 田 中 42000231
 2 睦 好 311102
12
 3 村 田 10021191
 5 兒 島 11021320
 1 今 村 30001
1311
 9 藤 原 41100000
 4 岸 本 20001400
 8 箸 倉 10020000
 7 橋 本 11020001
   合計  
2062942527 

 〔關高軍〕
 78
 小 寺 20011000
 4 桝 田 20011420

 173
三 木 31010641
 2 杉 山 31010390

 31
 木 村 31010261
 6 湯 浅 10030171
 9 及 川 10010000
 5 萩 原 10020020

 817
河 邉 20001501
 9 佐 藤 10000000
   合計 
 1930112124 

 大正四年五月二十四日、我軍は一中に敗を取りてより練習を積み、去秋の恨深み關高と彼の挑戰に應じて、武陽原にて本校岩佐先生(球審)一中梶君(壘審)の審判の下に戰端を開きぬ。

 第一回。敵先攻す。小寺、桝田相續いて四球に出で敵の強打者三木空しく三振し、杉山、木村三振して退く。田中三壘飛球に睦好二壘ゴロに斃れ、村田凡死す。

 第二回。湯浅、及川盡く今村の強腕に屠られ萩原投手に直球を打ちて死す。我軍兒島内野ヒットに出で今村三壘を過らしめ續く藤原の犠牲球に進壘し、岸本四球によりて一壘を得て滿壘となりしも箸倉ナットアウトに死し兒島又本壘にフォースアウトとなりて空しく好機を逸す。

 第三回。河邊四球に出で一死の後桝田投手バントに生くるや三壘に進み續く三木の中堅安打に河邊生還せしも桝田本壘三壘線上に挟撃されて死し三木機を得て生還す。杉山左翼安打に出でしも睦好の投球正鵠にして二壘に刺さる。我軍代り攻む。

 敵三木を左翼に木村を一壘に河邊を投手になす。橋本左翼の頭上を抜く三壘打を飛ばし田中のバント内野ヒットになり續く睦好の犠牲球に橋本、田中牙城を陥れ、村田二壘を襲ひしも成らず。兒島四球に出で今村左翼に直球を呈して止む。

 第四回。木村Pゴロに死し湯浅三振し及川二壘ゴロに斃る。我軍藤原一壘に凡打し岸本投手にゴロを呈して死し箸倉遊撃の失に生きしも後援續かず。

 第五回。敵の無為に終る。我軍代り攻め、一死の後睦好左翼に安打し、村田四球に出で兒島三振し、續く今村の中堅に直球を呈せしを敵之を落し為に睦好生還し藤原の右翼安全球に村田、今村牙城に入り、藤原盗壘を重ねて三壘に至らんとして成らず。

 第六回。桝田遊撃ゴロに死し、三木遊撃に名を成さしめ杉山又遊撃を襲ひて斃る。岸本一壘の失に生きしも二壘を奪はんとして死し、箸倉、橋本三振して止む。敵軍此の回より三木をプレートに立たしめ、小寺左翼に河邊を中堅に變じ、及川退きて佐藤右翼に入る。

 第七回。木村先づ中堅に安全球を呈し、湯浅二壘の失に生き佐藤のバントを捕手取りて一壘に投ぜし球高きに過ぎ木村、湯浅生還し、佐藤本壘に入らんとして刺さる。萩原三振して河邊二壘ゴロに斃る。田中遊撃越の安打に出で次いで二壘を奪ひしも投手の策に陥って憤死し、續く睦好、村田三振して終る。

 第八回。小寺遊撃を襲ひて生き二壘に進みしも桝田三振し。三木三壘にゴロを打為に小寺三壘に刺され次いで三木二壘を奪はんとして挟撃されて死す。我軍代り攻む。兒島三振し、今村四球に出でしも藤原二壘にフライを得られ今村又離壘せしかばダブルプレーを演ぜらる。

 第九回。敵軍一點を回復せんとあせりしかど今村敵の打撃を封じ、杉山Pゴロに、木村遊撃ゴロに死し湯浅三振し遂に我軍四對五+Aにて大勝し、去年の復讐をなしたり。   
 時に午後六時にして四時十八分より始めて實に一時間四十二分を費せり。(HY稿)

◎稻村先生送別記念野球試合 大正4年6月3日(木)神戸二中
午後2時
30分開始 4時6分終了  審判 寺見、島
 紅 軍 301 000 000=4
 白 軍 233 020 000=
10

 我が野球部長として熱心に本部に盡力せられたる本校教諭稻村先生は此度止むを得ざる事情の為め休職さるゝに就き其の記念として大正四年六月三日午後二時半より職員、選手混合して紅白兩軍の試合を開きぬ。

◎對姫路師範學校
大正4年6月6日(日)神戸二中 午後3時5分開始 4時
55分終了
〔審判〕瀧川(球審)柳(壘審)
 姫路師範 000 000 001=1
 神戸二中 320 001 10A=7
 

       打安犠三四補刺得
 〔二中軍〕 撃全牲  殺殺
       數球球振球數數點
 6 田 中 41100231
 2 睦 好 300106
13
 3 村 田 31010071
 5 兒 島 41000002
 1 今 村 30010
1600
 9 藤 原 32010000
 4 岸 本 10030100
 8 箸 倉 20011001
 7 橋 本 32000002
   合計  
2671812523 

 〔姫師軍〕
 3 黒 田 31010091
 6 牛 尾 30010520
 5 中 尾 10021110
 7 荘 所 30000000
 9 坪 田 21020000
 2 増 田 10120070
 4 田 中 30000120
 8 國 井 00030010
 1 仲 井 00030
1010
   合計  
1621141723 

 大正四年六月六日、午後三時五分より創立以来未だ戰ひし事なき姫師と神商の瀧川(球審)柳(壘審)兩氏の審判にて干戈を交えぬ。

 第一回。敵軍先攻す。黒田三振し牛尾Pゴロに死し中尾三振して止む。我軍田中劈頭左翼を抜く二壘打に敵の心膽を寒からしめ投手の暴球に三壘に進む。一死の後村田大飛球を右翼手失策して田中先づ一點を擧ぐ。續く兒島中堅右翼間の痛快なる三壘打に村田生還し今村凡死の後、藤原中堅に安打し兒島牙城に入りしも、岸本Pゴロに藤原残壘。

 第二回。荘所遊撃を強襲して生き坪田、増田三振の後二壘を奪はんとせしも睦好の投球正鵠の投球にして刺さる。箸倉よく球を選びて四球となり二壘を盗み橋本の中堅安全球に三壘に到り、田中の犠牲球に生還し睦好三壘飛球に死し續く村田一壘の失に出で橋本牙城に入り、兒島又三壘の失に出でしも今村遊撃を衝きて斃る。

 第三回。田中遊撃ゴロに生きしも二壘に至らんとして睦好の投球に遭ひて二壘上の露と消え、國井、仲井盡く三振して退く。藤原右翼に安打し岸本凡死の後箸倉遊撃飛球に斃れ、藤原離壘せしかばダブルプレーを演ぜらる。

 第四回。黒田三壘にゴロを呈して生きその暴球に二壘に進みしが牛尾の遊撃にゴロを打ちし時三壘を窺ひて死し、牛尾二壘に至らんとし又々捕手の完全なる投球に憤死して中尾四球を利して一壘を得しも睦好の迅速なる球によりて一壘に刺さる。橋本、田中遊撃ゴロに死し睦好三壘を襲ひて成らず。

 第五回。荘所ファウルを捕手に得られて死し、坪田左翼安打に出で増田の犠牲球に三壘に進みしが田中二壘ゴロに死するに及びて残壘。我軍代り攻む。村田左翼に安打し兒島二壘飛球に死し、續く今村遊撃にゴロを呈せしが敵もさる者之を取り二壘に投じて村田を刺す。今村盗壘して二壘に進みしも藤原三振して残壘。

 第六回。國井、仲井三振して退き黒田投手にゴロを呈して死す。我軍二死者の後橋本長棍一打すれば美事なる三壘打となり捕手の逸球によりて生還し又々一點を加へ田中の遊撃飛球に死して止む。

 第七回。牛尾凡打し續く中尾三振して退き荘所死球に出でしが坪田遊撃に名を成さしめて残壘。睦好三壘を襲ひて死し村田三振の後兒島三壘を過まらしめ盗壘を重ねて三壘に至り投手の暴球に生還す、今村中堅に大飛球を打ちて斃る。

 第八回。敵勢頗る不振にて増田三振し田中Pゴロに死し國井再び三振す。藤原投手飛球に死し岸本、箸倉凡打す。

 第九回。敵軍最後の奮闘を試み黒田中堅左翼を抜く三壘打を飛ばし中尾二壘を過まらしめて生き黒田生還し辛くも零敗を免る。荘所遊撃に打ちて出でしも坪田三振して残壘となる。我軍遂に七+A對一の大スコーアを以て勝てり。
 時に午後四時五十五分なりき。
 

◎對關西學院普通部(第二回戰)
大正4年6月
17日(木)關西學院  午後4時35分開始 6時45分終了  審判 佐々木
 關學普通部 000 212 000=5
  神戸二中 000 101 000=2
 

       打安犠三四補刺得
 〔關普軍〕 撃全牲  殺殺
       數球球振球數數點
 9 松 田 30001000
 4 内 海 40100020
 7 近 藤 31010042
 6 竹 中 40000122
 2 渡 邊 40100480
 3 中 川 31010080
 1 頼 廣 30010900
 5 島 村 40000341
 8 日 吉 20010000
   合計  
3022411728 

 〔二中軍〕
 6 田 中 30010212
 2 橋 本 30010050
 3 村 田 110302
13
 7 兒 島 43000010
 1 今 村 40100
1220
 9 藤 原 40000000
 4 岸 本 20010200
 5 松 尾 20010000
 8 箸 倉 20010010
   合計 
 2541801823 

 大正四年六月十七日。我軍は挑戰に應じて關普のグラウンドに於て戰ふ。午後四時我が應援團潮の如く運動場に入り本壘より左翼に陣し敵は右翼に至る間に陣せり。四時三十五分舊慶應の選手佐々木氏を審判官として敵の先攻に始まる。

 第一戰。表。松田四球を利し二壘を奪ひ内海の犠牲球にて三壘を得更に本壘に入らんとして刺され。近藤遊撃ゴロに死す。
 裏。田中左翼に飛球を呈して斃れ。橋本、村田の凡死に止む。

 第二戰。表。竹中Pゴロに死し渡邊遊撃に凡打し中川三振して退く。裏。兒島中堅に安打して出でしも二壘を奪はんとして刺され、今村一壘ゴロ、藤原Pゴロに斃る。

 第三戰。表。頼廣三振し島村二壘ゴロに死し日吉三振して退く。裏。岸本遊撃に飛球を呈して斃れ、松尾左翼飛球に死し箸倉三振して止む。

 第四戰。表。松田、内海凡死の後近藤中堅安全球に出で竹中の遊撃ゴロに生き、我軍の守備混亂せる隙に近藤、竹中生還し渡邊Pゴロに死す。
 裏。田中三壘の失に生き二壘を奪ひ、橋本三壘ゴロに生き村田惜くも三振し續く兒島中堅安全球に出で田中生還す。今村ファウルを三壘に得られ橋本本壘をスティールせんとして刺さる。

 第五戰。表。中川投手飛球に死し、頼廣遊撃を衝いて斃れ島村中堅左翼間の飛球に生き盗壘して三壘に至り、日吉の二壘の失に出でしによりて島村生還す。松田左翼飛球に死して日吉残壘。
 裏。藤原二壘の失に生き盗壘して二壘を得更に三壘をスティールせんとして刺され、岸本、松尾三振す。

 第六戰。表。内海遊撃ゴロに生きしも傍見をなし為に一壘に刺され續く近藤三壘に軟打して出で、竹中三壘軟打に成功し渡邊の犠牲バントに近藤、竹中本壘に入る。中川中堅に安打せしも頼廣Pゴロに死す。
 裏。一死の後田中三壘を強襲して生き、橋本の遊撃を過まらしめしに田中牙城に入り、村田の右翼安全球に橋本進壘し兒島、今村左翼に飛球を呈して斃る。

 第七戰。表。島村二壘ゴロに斃れ、日吉、松田Pゴロに止む。
 裏。藤原一壘に直球を呈して死し、岸本、松尾三壘を襲ひて成らず。

 第八戰。表。内海三壘ゴロに出で近藤三振し、竹中、渡邊凡打して終る。
 裏。漸く終局に近づき箸倉三壘ゴロに死し、田中空しく三振し、橋本遊撃ゴロに斃る。

 第九回。中川左翼に名を成さしめ、頼廣二壘にゴロを呈して死し、島村投手飛球に終る。
 裏。村田三振の後兒島中堅安全球に出で今村の犠牲球に二壘に進みしも藤原の二壘ゴロに斃れ萬事休し、惜しくも五對二にて我軍の敗に帰せり。時に午後六時四十五分なり。(HY稿)