大正10年(9陽会)1921年

NO4

[六高主催、近畿中等學校野球大會]
【神戸二中優勝す】

 大正10年8月15日(月)
 神戸二中 8−3 高松中
 (二)木谷=将積
 (高)中野=水原

 大正10年8月16日(火)
 神戸二中 14−2 姫路中
 (二)木谷=将積
 (姫)氷室=小林

 大正10年8月17日(水)
 ▽優勝戰 午後2時30分開始
 神戸二中 12−1 津山中
 〔津山中〕  〔神二中〕
  岡 田 1 木 谷
  下 山 2 将 積
  田 淵 3 梅 田
  甲 元 4 稻 田
  河 島 5 難 波
  小 山 6 楠 見
  谷 原 7 宇 野
   奥  8 田 中
  福 井 9 宇麼谷

《武陽21号》大正11年6月發行
第9回扇港野球大會
 神戸又新日報主催扇港野球大會は、九月十九日より一週間の豫定にて、週日は放課後を利用して、東遊園地に於て開かれぬ。
 参加校神戸一中、瀧川中學、御影師範、神港商業、關西學院、甲陽中學、育英商業、神戸商業、青年會商業及び本校の十校を算す。

先づ強敵一中を屠る 大正10年9月21日(水)東遊園地
 回顧せよ。昨秋昨日此頃、吾等は東遊園地に出陣して、好敵一中と共に交へしが戰利あらず四對二の敗衂を招ける事を。爾来臥薪嘗胆、接戰の好機を待ち詫びたり。恰も好し。この日三時二十五分、壮烈なる復讐戰の幕は切って落とされぬ。
審判・高濱(球)沼田(壘)兩氏。

第一回。一中先攻。立田危く三振を免れて四球に出づ。續く坂東のバント投手の正面を通りしに、木谷思はざる暴球を二壘に投じ田中亦止むるに能はず、立田一擧本壘を陥れ、坂東後を追ふて三壘に達す。

 中道輕く一壘に安打して、坂東も亦生還。歡聲先づ敵陣裡に揚る。四番高松三振せしも、勝に乗ぜる敵軍は梅田、高松連續して三壘又は右翼に安打し、走者各壘に滿つ。然も未だ一死、前途猶ほ遼遠の感ありしも、好漢木谷の肩漸く慣れ来り、續く高原、八木のボックスの外に出でしめず。

△将積先づ四球を得て敵手の轍をふむ。一死後二壘を盗奪し、木谷の三振後、投手の暴投を利して更に三壘に及びしも、宇野二ストライク後、バントを過りて徒らに機を失し敵に報い得ず。

第二回。敵軍凡打。我軍も亦ノーランナー。
第三回。中道二失に出でしも、高松の遊匍に封殺さる。梅田遊撃の野手選擇に出で、高松の死後、高原左翼に安打して遂に滿壘となる。八番八木粘りに粘って四球を奪ひ、高松押し出されて生還。山口中飛に止む。
△我軍好機未だ到らず。

第四回。一中凡退後、梅田よく選んで出で(楠見代走)木谷、宇野の内野安打に長驅本壘を陥る。難波のバントに立田本壘に投球せしも及ばず、木谷生還。楠見の二匍に宇野本壘を突いて惜しくも刺され、稻田四球を選んで續きしも、村尾の三振に止み、走者空しく三二壘に立往生す。得點彼は及ばざる事一。

第五回。高松先づ左翼越の二壘打に出で、我軍を恐怖せしめしも續く梅田のバント飛球となり将積に功を成さしむ。高杉、高原振れども當らず、本壘上に枕を並ぶ。

△主将田中三遊間の猛匍に出で、将積中堅に大飛球を揚げて徒死せしも、梅田天晴れ右中間を物凄きダイレクトに抜いて二壘打し、田中の生還を援くると共に己れ亦木谷の二失に本壘に入る。木谷一擧二壘を得、更に快足を利して三壘を奪ひしも、宇野のバント好ましからず、木谷本壘寸前に刺さる。

 續く難波期待に反かず、右翼に安打を放つ、宇野えたりと疾走二壘より本壘に到る。我軍の猛撃に流石の高杉も上氣せしにや、ボークの醜を演出し難波三壘に及ぶ。楠見強匍を持って三壘を攻むれば、焦れる高松一壘に暴球を叩きつけ、難波欣然本壘に達す。稻田の二匍に我軍の總攻撃止みしも、總計四點を収めて勝敗地を代へしは痛快矣。

第六回。敵軍今や必死。一死後山口遊匍一失に出で立田三失に續きしも、坂東左飛、中道Pゴロに山口の霊魂二壘上にさまよふ。
△我軍村尾、田中續いて三振、将積二飛。嵐の後の感深し。

第七回。高松の三振後、梅田遊撃越の安打に出で、高杉四球を利して跡を追ひしも、高原二飛、梅田無謀の三盗を企てゝ成らず。
△再び我軍の猛襲始まり、大勢全く定る。即ち梅田再び四球に出で(楠見代走)木谷の犠打に二壘に據る。宇野のバント高松一壘に悪投し、梅田三壘を得宇野また生く。難波の軟打に梅田生還。楠見三振に退きしも、稻田よく快打し右翼を亂せば、宇野、難波轡を並べて入壘。村尾三飛。

第八回。立田左中間に二壘打して氣を吐きしも、二死後なるを如何せん。
△敵の投手辛辣を極め、田中三振。将積ナットアウトに生きしが、續く梅田、木谷何れも本壘の露と消ゆ。

第九回。敵の突撃急なりしも、大勢遂に如何ともすべからず。即ち中道投失に出で、高松四球を奪ふ。梅田、木谷に捻られしも、奮然立てる高杉三遊間を抜く間に、中道一擧本壘を突かんとす。左翼宇野箭の如き好球を遠く捕手に送って中道を憤死せしむ。最後に高原よく當てしも稻田亂れず。戰績九A對三にて激戰全く終る。
 時に五時四十五分。流石の強敵一中遂に我軍門に降りぬ。鳴呼また快ならずや。

 神戸一中 201 000 000=3
 神戸二中 000 240 30X=9


 〔本 校〕 打得安犠盗三四刺捕失
       數點打打壘振球殺殺策
 2 将 積 40001111510
 3 梅 田 3010012401
 1 木 谷 4111120102
 7 宇 野 3211000210
 5 難 波 2212000201
 6 楠 見 4300110040
 4 稻 田 3010211221
 9 村 尾 4000030000
 8 田 中 4110120100
     計 3196461142785

 〔一 中〕 打得安犠盗三四刺捕失
       數點打打壘振球殺殺策
 3 立 田 4110011400
 6 坂 東 4101010001
 8 中 道 5010110100
 5 高 松 4110021222
 7 梅 田 5020110000
 1 高 杉 4020021120
 4 高 原 5010020131
 9 八 木 3000031000
 2 山 口 40000001520
     計 3838121342494

 △二壘打=梅田(誠)立田、高松 △残壘=本校6、一中13

〈神戸又新日報〉
[第9回扇港野球大會]
 大正10年9月21日(水)東遊園地 午後3時25分開始 5時45分閉戰
 審判(球)高濱(壘)沼田
  
 神戸一中 201 000 000=3
 神戸二中 000 240 30X=9


       打安犠盗三四過         打安犠盗三四過
 〔二 中〕           〔一 中〕
       數打打壘振死失         數打打壘振死失
 捕 将 積 4002010   一 立 田 4100110
 一 梅 田 3103121   遊 坂 東 5000101
 投 木 谷 4012202   中 中 道 5000100
 左 宇 野 4103100   三 高 松 4100212
 三 難 波 4002000   左 梅 田 5201100
 遊 楠 見 4000103   投 高 杉 4200211
 二 稻 田 3101111   二 高 原 5100203
 右 村 尾 4000300   右 八 木 3000311
 中 田 中 4101200   捕 山 口 4000001
    合計 3441141147      合計 397011349

 ▲二壘打=高松、梅田、立田、高杉 ▲残壘=一中12、二中6 ▲逸球=山口1
 ▲ボーク=高杉1 ▲試合時間=2時間20分

〔評〕『二中ナインは白鉢巻に締めて掛かる此時「復讐仇敵一中」と大書した蓆旗を先頭に白旗數本と太鼓を擁した二中應援團入場し試合は戰わざるに既に殺氣場に滿つ…』前年一中に敗れているだけに二中の闘志は燃えに燃えた。それが試合にそのまま表れ9−3の大勝という結果になった。

 3回まで3−0とリードされた二中は4回梅田の四球(代走楠見)を足場に宇野の三壘線バント安打などで2點を返し1點差。ここで兩者の立場は逆転、勢いに乗った二中は5回田中の三遊間安打を口火に梅田右中間二壘打と猛攻をかけて一擧4點を奪って一中の息の根を止めた。