大正10年(9陽会)1921年

NO2

《武 陽》
◎對關西學院中學部戰 大正10年5月21日(土)關西學院
 この日好敵關普と第一回練習戰を關西校庭に開く。
午後三時十五分敵の先攻、三輪(球)山崎(壘)兩氏の審判の下に開戰。
第一回、敵軍成瀬先驅をなす。巧みに四球を選んで出で、後援を得て三壘に據るに、辻もよく四球を得て後を追ふ。主将沼田よく右翼に安打して、成瀬、辻を生還せしめしが、投手の牽制に挟殺さる。

▲我軍も猿渡また四球を選び、一死後二壘を盗奪、井垣のナットアウトに更に三壘に進む、井垣一壘の失に生きて二壘に及ぶ。将積遊撃を過らせて猿渡生還。井垣本壘を突きしも成らず。田中よく粘りしも遂に三振。
第二回、彼綱島の貧弱なる内野安打ありしのみ。

▲我軍木谷先づ四球に出で、快走二壘を盗奪す。金澤三振せしも、楠見四球に續けば木谷敢然三壘に滑って生き、難波のナットアウトに死する間、脱兎の如く本壘に突入す。一番打者猿渡のなせる適好のスウイングまさに音あり。と見れば球は左翼を越えて堂々たる三壘打となり、楠見欣然ホームインす。我軍一點を勝ち越す。梅田續いて遊撃を攻めしも倉田亂れず。
第三回、一死後今北、倉田四球を得、捕手の牽制悪投に前者すでに三壘に據る。辻猶も四球を選び、沼田の二匍に今北生還同點となる。松山Pゴロに倒る。

▲關普投手を松山に代へて我軍の猛襲を防がんとす。井垣内野に安打せしが、将積の三匍に詰殺さる。将積捕手の逸球に二壘に進みしも後援なし。却って松山に名を成さしめし感あり。
第四回、兩軍共に走者無く。セイムランを持續す。
第五回、關普成瀬四球を得しも、今北の遊匍に封殺さる。今北更に倉田の投匍と辻の三壘越安打に壘を進め、投手の暴投に生還、敵軍歡喜す。辻、捕手の低投に三壘を得しも、沼田無慙三振を喰はさる。

▲猿渡又も四球に出で、後援と敵失とに生還再び同點となる。
第六回、一死後細川、綱島連續して安打せしも、河原、成瀬三振。

▲我軍決勝の一點を獲得す。即ち木谷左翼に安打を浴びせかけ、二三壘を連盗し、楠見の遊匍高投に無事生還。難波中堅に飛球を揚げて楠見と共に併殺さる。
 第七回、ラストイニングなり。敵軍好打順なりしも、井垣健闘三者を凡退せしめ、五A對四にて我軍の勝利に歸せり。時すでに薄暮。

 關學普通部 201 010 0=4
  神戸二中 120 011 A=5



 〔本校〕   〔關普〕
 7 猿 渡  5 成 瀬
 3 梅 田  7 今 北
 1 井 垣  6 倉 田
 2 将 積  8  辻
 8 田 中  2 沼 田
 6 木 谷  31 松 山
 5 金 澤  9 細 川
 4 楠 見  4 綱 島
 9 難 波  13 河 原

◎對關高天狗倶楽部戰 大正10年5月22日(日)神戸二中
 關高天狗倶楽部を本校校庭に迎へて開戰す。激戰七合勝敗遂に決せず、六對六にて惜しくもドロンゲイムとなる。
 神戸二中 6−6 關高天狗倶楽部

 〔本校〕    〔天狗〕
 2 木 谷   15 三 輪
 6 金 澤   59 内 海
 1 井 垣   96  泊
 7 将 積   3 伍 島
 5 難 波   61 島 津
 8 田 中   7 北 地
 4 稻 田   4 永 田
 9 石 場   8 北 澤
 3 梅 田   2 橋 本

◎對神戸商業戰 大正10年6月4日(土)神戸商業
 神高商校庭に於いて好敵神商軍と相見ゆ。
 審判、久保田(球)中村(壘)兩氏。

第一回、敵軍先攻。先登江藤一壘後に安打し、投手の暴投と、草柳の左中間二壘打に生還。
▲我軍も亦木谷劈頭右翼邪球線上に二壘打を放ち、金澤の二匍と、将積の中堅安打を待って易々生還。最初より一對一の大接戰を演出す。

第二回、敵今中獨四球に出でたるあるのみ。
▲我軍は反之大に振ふ。田中先づ四球を選んで出ずれば宇野型の如くバントして送る。一壘手周章してミスして宇野壘に立てば楠見の投匍、濱崎選擇して無死滿壘の好機となる。梅田二壘犠打に田中生還。木谷軟打投手の正面を突き、宇野本壘に憤死し、金澤二匍に可惜好機は去れり。得點僅かに一を増すのみ

第三回、江藤又もダイレクトに抜いて出で、西垣の犠打に二壘に據る。伊藤四球を喫して一壘を得しも、草柳の遊匍は江藤を三壘に封殺せしむ。危機已に去れりと見えしに、續く濱崎奮然猛打して左翼越の安打となり、伊藤、草柳本壘を陥れ敵軍一點を勝越す。
▲我軍三者凡退とは情け無し。

第四回、金田、江藤の安打ありしも大事を成さず。
▲田中再び四球を選び、宇野内野安打に出でしも、續く三者脆くも濱崎に捻られしは遺憾なり。

第五回、神商一死後、草柳中堅に安打して、二壘を盗み、中堅の失に一擧三壘に達す。濱崎の三振後、網干投手を強襲して草柳生還。今中の中堅安打に網干長驅本壘を奪はんとして、左翼の好投に倒る。敵に輸せらるゝ事二點とは無念。
▲我軍一死後の後、井垣中堅安打に出で、将積投手を誤らせしも、後援無し。

第六、七回、兩軍共に無為。

第八回、濱崎四球を奪って二三壘を連盗し、網干死球を喫して出でしも、井垣締って他を出でしめず。
▲難波の遊飛後、田中一壘を突破して二壘打し、宇野の投匍に三壘に及びしも、續く楠見三度三振して止む。

第九回、江藤三振の後、西垣三壘失、伊藤遊撃安打、草柳四球に滿壘となりしも、濱崎のPゴロに、西垣本壘に詰殺され、伊藤も亦投手に謀られて死す。
▲最後の努力を盡すべき時は来りぬ。一死後木谷ナットアウトに生き、金澤の三匍悪投に三壘に達せしも、井垣のバントは木谷を三壘に憤死せしめぬ。金澤敢然三壘をスチールし、井垣二壘を追ふ。既に二死なり。滿目悉く責任打者将積の上に集まりぬ。

 戞!!!球は黄昏の空を縫って中堅の野に深く飛入りしも、草柳疾走よく掴む。
 我軍また如何とも詮術無し。噫我軍の復讐遂に成らず、恨みは長し、四對二の此の敗戰!

 神戸商業 102 010 000=4
 神戸二中 110 000 000=2


 〔本校〕   〔神商〕
 6 木 谷  6 江 藤
 5 金 澤  4 西 垣
 1 井 垣  7 伊 藤
 2 将 積  8 草 柳
 9 難 波  1 濱 崎
 8 田 中  2 網 干
 7 宇 野  3 今 中
 4 楠 見  5 金 田
 3 梅 田  9 中 野

《武 陽》
◎對甲陽中學戰
 大正10年6月7日(火)甲陽中學
 この日甲陽校庭に出陣、我軍打撃も守備も共に振はず、遂に十對三の大敗を招きぬ。
敵軍先攻。第一回、平井の三壘打に乗じ二點を先取され、更に三回にも安打のために二點を加へらる。

 第六回我軍投手を金澤に代へしも、又も安打され、且四球を交へて三點を獲得され、第九回更に4安打を連ねて得點を増し、合計十點を算せしに對し、我軍は一回二點を恢復して、同點となり喜びしも束の間、爾後一向に振はず、最終回田中の中堅越本壘打に一點を加へしのみ。十對三にて惨敗す。

 甲陽中學 220 030 003=10
 神戸二中 200 000 001=3


 〔本校〕   〔甲陽〕
 6 木 谷  9 井 村
 51 金 澤  8 平 井
 19 井 垣  3 立 花
 2 将 積  2 宇 井
 3 梅 田  6 橋 本
 8 田 中  5 木 本
 4 楠 見  7 久保田
 7 宇 野  4 中 西
 95 難 波  1 中 村

《武 陽》
◎對神戸高商戰
 大正6月10日(金)神戸二中
 西村投手の速球に悩まされて意氣揚がらず、遂に十二A對三にて大敗す。(因に記録係病氣缺席の為め、詳細を知らず)

 〔本校〕   〔高商〕
 6 木 谷  5 稻 田
 5 金 澤  2 木 村
 1 井 垣  1 西 村
 2 将 積  6 中 村
 8 田 中  8 久保田
 9 難 波  7 佐々木
 4 楠 見  3 睦 好
 7 宇 野  4 稻 垣
 3 梅 田  9 松 山