〈神戸新聞〉
【秋季近畿大会】
昭和40年11月21日(日)橿原県営球場
▽1回戦
PL学園 001 000 000=1
県兵庫 000 001 001=2
(P L) 打安点 (県兵庫) 打安点
C 野 口 500 G 大 野 400
F 白 石 310 @ 勝 420
H 久 保 211 E 岸 本 320
B 加藤秀 300 F 藤 田 410
G 岡 崎 410 C 柳 瀬 200
@ 加藤英 400 D 前 畑 201
E 吉 田 400 A 森 川 300
D 光 本 420 B 志 水 200
A 三 島 200 H 武 蔵 300
計 3151 計 2751
(PL)051019
振球犠盗併残
(県兵)451006
▽二塁打=久保、勝、光本、藤田 ▽失策=PL1(加藤英)県兵庫1(勝)
▽試合時間=2時間8分
〔評〕県兵庫が力に頼るPLの足元を見事な小わざですくった。四回無死右越え二塁打の同点機に勝が次打者の一球目に飛び出し、捕手のけん制に刺されたが、六回に追いついた。二死後大野投ゴロ失、勝中前打で一、二塁、岸本のカーブをなでるようにして打った当たりは内野安打となって満塁、このとき一塁手が三塁手からの送球を持って、ぼんやりする間に大野が好走して生還した。
九回の決勝点は一死後岸本四球に続き、藤田が0−1後内角寄りの好球を左翼フェンスにショートバウンドで当たる大二塁打して二、三塁、柳瀬が満塁策の四球で歩いたあと前畑が死球を受け押し出しであげた。1球目外角ボール、2球目ボールになるシュートに手を出した1−1後のシュートを手に当てたもの。
しかし、勝因は強打のPLを5安打に押えた勝の好投、スピードで押す加藤英に比べ、力強さはなかったが、カーブをうまく使い分けてPLを手玉に取った。三回二死一、三塁後、久保に外角カーブを右線に先制二塁打されただけで、あとは危なげなかった。PLはこの勝の球を甘く見て大振りしたのがつまづきだった。
*PL学園との試合の詳細はこちら
浜田直人氏(47陽会、元スポーツ記者)の、若き日の母校取材記事はこちら
《武陽通信》
『かくて神風は吹く』
対PL学園野球観戦記 小部 次郎
兵庫県2位校として久方ぶりに出場した母校野球部の対戦相手がPL学園(大阪1位)と決まると「ツイてないなあ」と言う声があちこちでもれた。正直なところ善戦も出来ぬというのが衆目の一致するところだったろう。蓋をあけてみると予想通りPLの強力打線は好投手勝のスローボールを打ちまくった。
打球はバットに当った瞬間からまたたく間にピンポン玉のようになって外野へ飛んで行った。バットの真心に当った打球は容赦なく内外野へ飛んだ。あわやホームランと思う当りは数本あった。しかしそこには左翼から本塁寄りに吹く強風という助太刀があった。
打球はファウルか、または押し戻されて深々と守った兵庫の外野陣のグラブにおさまった。痛烈な当りは野手の正面をついた。これは監督柳生氏の頭脳的プレーの賜物である。
戦前から育英、報徳という過去にPL学園と対戦したチームをかけずり回ってPL選手の特徴を調べあげた蔭のファインプレーがあった。
外野は全部左翼寄りに二塁手もベース近くに守った。勝のスローカーブとPLの引っ張る打線を計算に入れた苦肉の策であった。
県兵庫の得点はPLの虚をつく一番打者大野の巧みなベースランニングによるものと、最終回の四番藤田の左翼越大二塁打がもたらした死球押し出しの決勝点であった。
それにしてもPLに勝ったナインの闘志には頭が下がった。大敵を倒した虚脱状態がぬけきらぬうちに高野山高校との対戦を迎えたのは不運としても、PLの名投手加藤におめず臆せず立ち向かった県兵庫のナインの姿はさすがは兵高生と、脈うつ二中以来の伝統を感じた。 |
☆勝の左腕くずれる☆
打棒も振るわず3併殺
昭和40年11月23日(火)橿原県営球場
▽2回戦
高野山 011 010 000=3
県兵庫 000 010 000=1
(高野山) 打安点 (県兵庫) 打安点
G 上垣内 500 G 大 野 421
H 加 藤 200 @ 勝 400
D 芋 生 300 E 岸 本 400
F 小畑耕 420 F 藤 田 310
C 戸 田 300 C 柳 瀬 300
B 前 田 400 D 前 畑 420
A 島 田 311 B 志 水 410
E 小畑光 200 A 和 佐 100
@ 横 山 311 H 武 蔵 300
計 2942 計 3061
(高野)481238
振球犠盗併残
(県兵)131006
▽二塁打=前畑 ▽失策=高野山2(加藤、戸田)県兵庫1(岸本)
▽試合時間=2時間18分
〔評〕県兵庫は勝の左腕を頼りにするチーム。その勝が前半コントロールに苦しんだ。得意のカーブがきわどくはずれ、五回までに8四死球を数えた。この間に3点を与えたのが県兵庫の致命傷となった。二回二死後、連続四球を出し、横山に1−2後、カウントを取ろうとして内角ストレートを投げ左前に先制打された。
三回の1点も四球がきっかけ。しかしこれは捕手のボーンヘッドから三塁走者を生かしたあと、遊ゴロ失が出たもので勝の責任ではなかった。五回のダメ押し点は一死満塁で島田に内角球を右前にはじき返されたもの。ストレートに自信がないだけにカーブが決まらないと勝は苦しい。勝は六回以後、立ち直って三者凡退に押さえたが、もう遅かった。
だが、県兵庫はもう少し打ててもよかった。五回二死三塁後、大野がうまい打法で右前タイムリーして1点をあげただけ。六回以後は3併殺を喫する不運もあった。とくに九回併殺を喫したあと前畑が左中間二塁打したのが惜しまれるが、このあたりバントを使って着実に挽回を狙う攻めもほしかった。高野山の横山投手は内外角へのシュート、カーブのコンビネーションがよかったが、決して打ち込めぬ投手ではなかった。
53陽会(昭和41年卒)
中野 洋一 投手
川崎 哲夫 捕手
中西 喜雄 中堅
福中 博行 二塁
十河 隆司 一塁
山下 喬司 左翼
能年 義一 左翼 |