昭和40年(53陽会)1965年

NO3

昭和40年10月3日(日)神戸市民球場
▽Bブロック2回戦
 葺 合 000 000 0=0
 県兵庫 050 012 X=8


 (葺 合)打安点    (県兵庫) 打安点
 E 重 村400    G 大 野 423
 C 横 山410    @  勝  300
 D 谷 口300    E 岸 本 411
 G 萩 原310    F 藤 田 420
 H 藤 本300    C5 柳瀬 200
 B 田 賀310    D4 前畑 322
 A 鈴 木200    2 森 川 000
 @ 嶋 谷320    B 志 水 211
 F 多 田200    A 和 佐 220
 H 稲 葉100    4 江 本 000
             H 武 蔵 200
    計 2850        計 26107

 (葺合)910008
     振球犠盗併残
 (県兵)332005

 ▽三塁打=大野 ▽二塁打=前畑、藤田、大野 ▽失策=葺合2(重村、谷口)
  県兵庫2(前畑、岸本)▽審判=志水、寺坂、八木 ▽試合時間=1時間46分

〔評〕県兵庫は投打に好調。試合を決めた二回の攻撃では前畑、大野の長打が有効だった。二回無死一、二塁後、前畑が外角よりの球を引っ張って左翼席へワンバウンドで入る先制二塁打、志水中犠飛で2点目を取り、二死一、三塁となってから大野が外角球を右中間へ2点三塁打、さらに敵失で加点した。

 六、七回の得点ぶりもそうだったが、ここというときに必ず一発が出るし、打法では外角打ちがうまかった。勝は相変わらずうまいピッチング。緩急のカーブとシュート、ストレートを使い分けた。

 葺合は二回の二死二、三塁で先行すれば面白かったが、多田が外角球にひっかかって一ゴロ。その後は勝のペースにはまり込み、鳩谷も素直な球質で乱打された。

昭和40年10月24日(日)神戸市民球場
▽Bブロック決勝
 竜野実 000 005 000=5
 県兵庫 430 000 10X=8


 (竜野実) 打安点    (県兵庫) 打安点
 E16 塚崎 520    G 大 野 400
 H498 武元 410    @  勝  520
 G 勝 山 310    E 岸 本 520
 R  辻  000    F 藤 田 200
 4 森 本 210    C 柳 瀬 214
 A 竹 中 410    D 前 畑 433
 @91 本下 411    B 志 水 411
 D 栗 田 423    A 森 川 300
 B 竹 内 410    2 和 佐 100
 C64 広岡 100    H 武 蔵 400
 49 宮 本 311
 F49 津田 310
     計 37125        計 3498

 (竜)621208
    振球犠盗併残
 (兵)650117

 ▽三塁打=前畑、栗田 ▽二塁打=柳瀬 ▽捕逸=森川 ▽失策=竜野実2(栗田、
  広岡)県兵庫1(前畑)▽審判=八木、大村、寺坂 ▽試合時間=2時間20分

〔評〕竜野実はブロック決勝を意識したのか、立ち上がり内野陣の動きが鈍く、打力で上回りながら初回の2凡失が命取りとなった。県兵庫は一回一死後、勝が二ゴロ失、岸本が三ゴロ失で出塁。藤田四球の満塁に柳瀬が1−2後の内角球を走者一掃の左越え二塁打、続く前畑も同じような球を中越え三塁打して4点目を奪った。

 二回には押し出し四球と前畑の2点適時打で3点を加えた。ここというときに打った県兵庫打線も見事だったが、本下に対尼崎戦ほどの球威がなかった。加えて一回の拙守で幾分動揺していたのだろう。
 県兵庫は七回にも竜野実の拙守に乗じて志水の安打で追加点した。

 竜野実は五回まで散発5安打、しかし六回やっと集中打が出た。2安打と四球の無死満塁のあと本下、栗田が単長打して2点差とした。そしてなお一死一、三塁、だが、強攻に出た塚崎が簡単に初球を内野に打ち上げてしまった。

ここが竜野実の反撃が実を結ぶかどうかのヤマ場で、二盗させたあとスクイズでもしていれば面白かったろう。
 七回以後は立ち直った県兵庫勝のうまみのあるピッチングにかわされてしまった。