47陽会 浜田直人氏(元スポーツ記者、若き日の母校取材記事)

デイリースポーツ 昭和41年2月3日 木曜日 掲載

きょう三日は節分、そしてあすは立春−スポーツ界の動きも一段と活気をおびてきた。
長い冬眠を破って若芽が頭をもたげるように、西に東に、あるいは北に南にスポーツ界の話題も多い。話題を追って―まずセンバツで十一年ぶりに晴れの代表に選ばれた名門県兵庫からはじめよう。


高校球児あこがれのヒノキ舞台センバツ―ことしは宗教学校四校の出場など異色チームが少なくない。進学校がゆえに背負わされたあらゆるハンディを乗り越えて出場権を射止めた県兵庫もその一つだ。“野球高校大会”とまで皮肉られている昨今の大会にこの県兵庫の登場は特筆して余りある。“学業”と“スポーツ”―二つの十字架を背負わされている県兵庫ナイン。彼らはどのようにしてこの障害を克服してきたのだろうか−

 県兵庫は県下でも有名な進学率の高い名門校。それは旧制神戸二中時代から知られている。それだけに勉学はきびしく、ちょっとでも油断をするとすぐ取り残されてしまうという。まして“学業”と“スポーツ”を両立させるのは並みたいていのことではない。それどころか戦後のベビー・ブームも影響して入学するだけでも大変。中学ではクラスで六番と下がっては県兵庫入学をあきらめねばならないというハイクラス。だから部員の数が少ないのも当然。現在野球部はマネージャーも含めて十五人という小所帯。「練習するにも困る」(柳生監督の話)人数だ。部費も公立学校の弱みで多くはもらえない。私立では年間百万円を突破するところはザラというなかで、わずかに二十万円足らず。しかも勉強もおろそかに出来ないので「試験の一週間前から必ず練習を休ませる」(樋口部長の話)方針。

 こんなハンディをナインはどう克服しているのだろう?まず練習方法―柳生監督は「とりたてて変わったやり方はしていない」という。しかし「ただいえることはこんどのチームは非常に自主性に富んでいる。こちらがいわなくとも進んで練習をやっているし…」選手自身が非常に熱心らしい。「こういうことがありました」と柳生監督が前置きして話し出したのはこんなことだ。

 昨秋のことだった。センバツにつながる重要な兵庫県予選が始まる前ごろの話。エース勝(かつ)の顔色が悪いので柳生監督は「どこか体のぐあいが…」大事なときだけに心配になって聞いた。すると勝は「やっぱりわかりますか」と頭をかいたあと「実はずっと朝早く起きて授業前ピッチングの練習をやっています。自分ではそうこたえてないつもりですが…」と白状?した。部員が少ないのでピッチングばかりやっているわけにはいかない。放課後の練習だけではあきたらず森川捕手を誘って投げ込んでいたという。

 放課後の練習、帰宅後の勉強―それだけでも大変なことなのに、そのうえ早朝の練習。柳生監督が「非常に熱心で自主性に富んでいる」という端的な一例だろう。 

 次に勉学。柳生監督はつねにナインへこういっている。「ほかの生徒と比べて、どうしても勉強時間が少なくなる。だから授業中話をよく聞いてその場で消化するようにしろ。家へ帰ったら消化できなかったことを短時間で能率よくやってみろ」監督からの注意をナインは忠実に守っている。それでも成績が悪くなっていく者がいると今度はナインの方から「だれか家庭教師を紹介してください」と監督のところへ願い出るものもいるという。現在、柳生監督の紹介で四人のレギュラーが毎日午後九時から十一時まで“別勉”通い。“学業”と“スポーツ”を両立させたいというナインの願いはこういうところにも表れている。そのためナインの校内での学業成績は中から中の下あたり。「立派なもんですよ」樋口部長も胸をはってこういう。

 野崎校長は「だいたい“スポーツ”と“学業”が両立できないはずはない。どっちに片寄ってもいわば片輪。そういう意味で今度のセンバツ出場はこれを実証してくれた」と鼻高々。「部員も部費も限られているが、少なければそれなりに知恵を絞ってやれるはず」ともつけ加えた。森滝(国鉄)を擁した三十年以来、十一年ぶりの甲子園出場。

春を待つナインの“学業”“スポーツ”両立はきょうも続けられている。(浜田直人)

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