昭和6年(19陽会)1931年

NO8

〈朝日新聞〉
 昭和6年8月2日(日)甲子園
 開始午後0時50分=閉戰3時 球審・金政、壘審・高濱、阿部
▽2回戰
 神戸二中 100 001 000=2
 中外商業 010 300 32X=9


 〔二 中〕      〔中外商〕
 左 高 野 29打數31 中 小 林
 遊 成 川 3安打9 三 定 平
 投 野 田 0犠打2 遊 小 島
 中 田 中 4三振2 捕 佐 藤
 捕 佐久間 4四死7 左 中 村
 右 高 田 0盗壘2 右 増 田
 三 大 中 8失策3 投 大 森
 二 池 田      一 鈴 木
 一 松 村      二 植 田

☆二中の健闘空しく 中外大勝す 9A−2コールドゲーム☆
▲第一回 二中、一死後成川三匍一壘高投に一擧三進、野田の三振後田中左前安打を飛ばして先づ一點を擧げる。
▽中外無點。
▲第二回 二中二走者のみ。
▽中外、二死走者二三壘の時、捕逸に還り同點、更に二者四球に出で滿壘となったが後續凡打。
▲第三回 雙方無為。

▲第四回 二中三凡打。
▽中外、一死後鈴木遊越安打二盗し植田の三匍失に生還、小村またグラウンド・ヒットし植田三進の後、定平の遊匍に本盗を企て刺されたが、小村三本間に挟まれ、二中焦って捕手へ暴投し、一擧二者生還、この回に三點を勝越す。
▲第五回 二中凡退。
▽中外、佐藤三遊間安打、二盗したが後續三飛球に空し。

▲第六回 二中、成川三匍悪投、野田四球に出て機を掴んだが、望みをかけた四番田中三振し、佐久間遊匍で二死、高田の三壘強襲に滿壘となり、大中四球に押出しの一點を増し、池田の難飛球、遊撃よくバックして轉んで掴みこの回一點のみ。
▽中外、三凡打。

▲第七回 二中三凡打。
▽中外、定平三匍一失、次打者に送られ佐藤の遊匍一壘高投に一擧本壘に入り、中村四球の後投手の牽制球悪投につぐ悪投に球は三壘側ベンチ附近に轉々とし二者相次いで還りこの回三點を加ふ。

▲第八回 二中振はず。
▽中外、盛んに攻め植田三匍悪投に生き、小林三遊間安打、定平二遊間安打に無死滿壘となったが、封殺と牽制球に二死、この時佐藤中左間に安打を放ち二點を入れ遂にコールドゲーム、九對二で中外大勝す。

《武 陽》
〔練習試合之記〕

 昭和6年12月25日(金)神戸二中 午前9時開始 審判・丸山、高田、小林
 神戸二中 003 003 010 04=11
 瀧川中學 140 000 200 00=7

 (補回戰11回)

 〔二 中〕     〔瀧 川〕
 71 野 田     8 安 藤
 6 成 川     6 小 林
 12 佐久間     1 白 木
 8 田中柳     3 中 島
 3 名 倉     7 正 木
 5 梶 井     2 福 井
 4 池 田     9 黒 田
 9 田中敏     5 若 林
 87 松 村     PH  某 
           4 木 村
 打得安犠盗三四失  打得安犠盗三四失
 數點打打壘振球策  數點打打壘振球策
 491111251395  4150711258

 △二壘打=松村 △残壘=二中15、瀧川6

 此の試合より、巨人名倉復活して一壘を守り、田中敏、松島兩人で右翼を守る。本年も概して不振に終りたるなれど、更生への歩みの途中なりと思へば悪き心地もせず、來るべき黄金時代の礎となると思へば却って喜ぶべきなり。

 來年こそは今年の不振を無駄にせず、堂々月桂冠をかざして神撫山下に凱歌を上げる事を誓ふ。
 最後に本年度の一年級の選手達は實によく努められた事を感謝する。就中吉田政彌君の如きは入部以來一度も休みたる事なく岸本、山本君等と共に盡された。

 然し今吉田(政)山本兩君共に家庭の事情で止められてはゐるが、未來の武陽軍の主将、副将として一軍を統べらる君等の一日も早く復活せられん事を望む次第で有ります。(昭和6年12月、筒井秀雄記)

《武 陽》
□…第一回 四中等學校リーグ戰…□

 師走!師走の足音がもうそこ迄忍びよってゐる。慌しい年の瀬がまたやってくるのだ−街々はすっかり暮氣分にひたって、31年を送る終曲と32年を迎へる序曲が錯綜して師走のジャズを奏するのだ。
 此の慌しい氣分の中に十二月二十八日より三日間嚴冬の濱ノ宮球場で第一回の四中學リーグ戰が行はれたが我軍は極度のスランプに陥り、左の如き戰績で連敗した。

昭和6年12月28日(月)
◎對關學中學部
 午後2時50分開始=4時20分終了 審判・高田、原
 神戸二中 000 000 000=0
 關學二中 000 002 00X=2


 12月29日(火)神戸一中 5−0 神戸二中
 12月30日(水)神戸三中 8−0 神戸二中

 

☆松尾(岩橋)三平氏 昭和7年神戸二中卒 20陽会
  
平成12年10月、娘さんの布施斉子さん(札幌在住)から次のようなお手紙を頂きました。
 『いつもお世話さまでございます。父は日々神戸での野球部の事いまでも話しておりますが…。只今老人保健施設に入所し毎日友人達とゲームを楽しんでおります。あんなに毎日日記を付けておりましたのに最近はめんどうがり時はもちろん目の方が…。せっかく(原稿を)依頼されましたのに。誠に申し訳ございませんが、父は無理のようです』


〔昭和六年度野球部員〕
 五年級=高田二郎、高野桃湲
 四年級=主将・佐久間寛、成川太郎、田中柳喜、大中正三、松島藤太、田中敏男、
     筒井秀雄
 三年級=野田和重、名倉哲三、松村誠之、梶井孝雄、美木鐵哉、井上尚行
 二年級=池田繁久、島野實、平佐眞一、中井康夫
 一年級=吉田政彌、山本忠行、岸本次郎、吉田實、富田中二郎、大村政彦

20陽会(昭和7年卒)
 松尾 三平    
 志摩 正司    右翼
 高野 桃?=けい=二塁
 松井誠一郎      
 高田 二郎