昭和6年(19陽会)1931年

NO1

《武 陽》
【京阪神對抗野球大會出場之記】
 ※昭和6年(第10回大會)から大阪代表が加わり【京阪神對抗】となる。
 四月一日此の日こそ姫路師範を敵として榮ある大會の劈頭を飾る日なり、彼姫師は大橋、池田等の時、夏の大會の准優勝戰に於て大勝を得し事あり、故に彼は師範特有の粘り有る心で雪辱の念に燃えてゐるは知れたる事なり、此の日早朝より危げなりし空は試合直前に到りて遂に小雨をもたらし、春と雖も播磨灘より吹き來る風は濱の松々をうならし、肌をつんざくが如く、寒風と寒雨との中に終始試合は續けられたり。

昭和6年4月1日(水)濱の宮球場
▽1回戰
 神戸二中 102 410 000=8
 姫路師範 140 004 31A=13


 〔二 中〕 打得安犠三盗四残失
       數點打打振壘球壘策
 71 野 田 422010202
 6 成 川 120000521
 2 佐久間 220000430
 17 田 中 601010020
 9 大 中 501030120
 3 名 倉 501020120
 4 山 脇 502011020
 5 松 村 400010123
 8 古 市 220010310
     計 3487010117166

 〔姫 師〕 打得安犠三盗四残失
       數點打打振壘球壘策
 6 福 山 511020120
 7 小 坂 532000110
 3 柳 田 521002010
 2 岡 本 522010111
 8181大 西 301000220
 1414上 田 411010110
 9898草 野 231010311
 4949白 岡 513010000
 5 志 水 300101111
     計 37131216310103

 △捕逸=佐久間△打撃妨害=佐久間
 △二壘打=名倉
 △三壘打=小坂、草野、白岡
 △本壘打=岡本
 △審判=原(球)金政(壘)
 開戰十一時卅五分、閉戰一時二十五分

▽第一回戰
◎對姫路師範戰

 午前十一時三十五分、大會の劈頭戰とし原(球)金政(壘)氏審判の下に二中先攻で
 開始、投手二中(田中)姫師(上田)

第一回。二中一▲野田粘って四球に出で成川の犠打は三壘小フライとなったが佐久間の三匍二壘悪投に野田一擧生還、佐久間も三壘に到ったが田中投匍、大中三振。
姫師一▲福山二匍、小坂三側安打に出で柳田左飛後岡本の左翼直球を野田はじく間に小坂生還、岡本は二進して續く大西の三匍失に本壘を襲ひしがレフトよりの送球に刺さる。

第二回。二中零▲名倉、山脇共に三振、松村、古市共に四球に續きしが野田中飛。
姫師四▲上田遊飛後、草野四球に出で、白岡三遊間安打し志水のバントに走者二三進し、福山四球で二死滿壘となった時、小坂左中間に三壘打して走者一掃、自分も捕手逸球に還り四點をリードさる。尚柳田中堅安打して二盗したが岡本三振。

第三回。二中二▲成川、佐久間共にストレートの四球に浴し、田中は三振せしが、大中も四球で滿壘となりてチャンス來り名倉の左越二壘打で二者生還、尚走者三二壘に居て好機と思はれしが山脇授飛、松村遊匍に二點を回復せしのみ。
姫師零▲田中コントロール無く大西、上田共に四球に出で草野○−二となりし時遂にプレートを野田に譲る、草野も四球で無死滿壘となったが、野田の好投良く白岡を投飛、志水、福山を三振に討取って危機を脱す。

第四回。二中四▲古市四球、野田三壘安打、成川四球で又もや滿壘となり、佐久間も四球で古市押出され捕手逸球に野田還り、走者二三進、續く田中右飛、大中三振後名倉も四球に出で捕手の返球が投手の顔にあたって轉々する間に成川生還、山脇の三壘上を抜くヒットで佐久間も還り名倉は三進、山脇二盗成ったが松村三匍に終る。(此の間敵投手、上田、大西度々交代す)此の回我軍四點を復し、二點をリードして意氣頗る上れり。
姫師零▲小坂四球に出で柳田の一匍に二進、岡本の二壘背後のフライは譲り合って安打としたが小坂進まず、大西の左飛は野田危く取り、上田三匍に終る。

第五回。二中一▲古市四球、野田左前安打、成川亦四球で再度無死滿壘となり、佐久間の四球で古市生還、然し後援續かず。田中の遊匍は野田をホームに射殺し大中の中堅フライは野手落したが素速く本壘に好投して成川を封殺し名倉も右翼にヒット性の球を放ちしが右翼の一壘送球に審判アウトを宣す。
姫師零▲草野三振、白岡の投手横のフライは、野田、名倉譲り合って安打とし志水は捕手の遊撃妨害に生きたが、福山の遊匍で白岡三壘に封殺、小坂左飛。

第六回。二中零▲山脇投匍、松村三振、古市二匍。
姫師四▲柳田三匍失、岡本四球、大西右翼安打で滿壘、上田は三遊間を抜いて柳田生還、左翼よりの球を投手逸して岡本も生還、大西は三盗に倒れたが、草野四球後白岡の左越三壘打で三者生還、志水の投手前の軟ゴロで白岡は本壘に封殺され志水二盗後又三盗して刺さる。然し此の回四點を取られ一點リードさる。

第七回。二中零▲野田四球に出たが投手牽制球で刺され、成川四球で佐久間の三匍に二進したが田中一飛。
姫師三▲福山三振後小坂三匍一壘悪投、柳田遊匍失に出たとき岡本左越本壘打し、走者一掃、大西も四球に出たが二盗に死し上田三振。

第八回。二中零▲大中中前安打、名倉三振後山脇も三壘頭上を抜いたが松村投匍して大中封殺、古市三振。
姫師一▲草野左中間三壘打に出で白岡三振、志水一飛後福山の三壘右を抜く安打で生還。小坂の中堅右のフライは大中良く走って捕へる。ファインプレーなり。

第九回。二中零▲野田三振、成川四球、佐久間も死球、田中遊撃左を抜いて最後のチャンス來りしが大中三振、名倉投匍して最後の攻撃も空しく濱ノ宮球場に恨を残して退く。

〔後記〕敗れた上は仕方ない。來るべき夏の大會に猛進すべきだ。田中に全然コントロールなく、野田が僅にチェンジオフペースの巧みさを表しただけであった。三壘の弱さも若き松村としては當然でセンター古市もよく働いた。が何の威力もなき敵の二投手に對して三振十とは餘りにも哀れである。此の日風強くフライは風に流されて長打の多かったのも此に由るであろう。

 得點こそシーソーであったが、兩軍の四球合せて二十七、姫師の投手度々交代の醜體我軍が凡飛球を三度も譲り合って落した等實に味も實もなきゲームで内容はつまらなきものであった。此の試合に於て我軍はチームワークの事を如實に暴露した。