大正5年6月4日(日)神戸一中
午後3時開始 5時50分終了
市岡中學 201 120 101=7
神戸二中 001 200 100=4
打得安三四犠盗
〔市岡軍〕 撃 全 死牲
數點打振球球壘
富 永 3300200
松 本 5221000
田 中 5130000
島 道 5121000
山 田 5002011
水 田 3012100
魚 谷 4012000
平 松 4012000
岡 本 4002000
合計 3871012311
〔二中軍〕
箸 倉 5111102
睦 好 4013101
岸 本 4003000
兒 島 4002000
三 宅 4101000
今 村 4113000
北 澤 3002100
松 尾 2101201
藤 原 3011101
合計 334417605
《武陽11号》大正5年12月發行
〈夏期練習〉
吾が野球部選手は年中行事の一なる夏期練習を行なふ可く六番丁の地をトし許可を得て合宿所となす。
猛夏三伏惰眠午睡を貪るの時吾が部選手は猛然として立ちて以て練習を始む、白熱地を焼くが如き炎天の下に於て其練習の猛烈なる局外者の夢想だも許さゞる所壮絶快絶血湧き肉躍る何んたる痛快事ぞ是吾が野球部の理想を語るものに非らずして何んぞや若し夫れ皮相的観察によりて所謂野球の弊害を云々するが如き者あらば來たりて吾が熱烈なる練習を見よ。
七月二十三日吾が野球部はコーチャーとして第一高等學校野球部の重鎮中松潤之助氏を迎ふ、同氏は同校捕手としてつとに令名あり氏の高潔なる人格と偉大なる體格及び優秀なる技倆とは吾等選手の範として敬慕おく能はざる所なり。
二十四日より二十八日まで所謂一高式の猛練習長棍一振熱球飛び流るゝ汗を拭ふの暇もなし、されど是吾等の望む所日一日と熱氣を加ふ、かくて二十九日は來りさしもに猛烈なりし練習も終りを告ぐるの止むなきに至りたり吾等選手はこの練習により得る所甚大なりしを深く信ずると共に滿腔の熱意を以て今後益々膽を練り技を磨きコーチャーの勞に報いん事を期す。
◎對早稻田大學留守遠征軍(YM生稿)
七月二十三日、早稻田大學留守軍遠征の報に接するや過日來本校附近に合宿して炎熱焼くが如きを厭はで猛練習をなしゐたる我九勇士欣喜雀躍して直ちに之に挑戰し午後三時東遊園地に對戰しぬ。いでや九勇士の苦戰の跡を記さん。
第一回、我軍陣を敷くや敵の先鋒橋本先づ投手を攻撃して斃れ續く池田三振を喫し矢部四球を利して出でしも中島遊撃を衝いて無為。我軍の先驅箸倉よく打ちしも敵の二壘手又よく守り三宅例の大フライを戞ち揚げしも中堅手に名をなさしめ藤原二壘匍球に退き我軍守備につく。
第二回、高久四球に浴して一壘に生き捕手の牽制球の高きに失する隙に二壘に進み井土の軟打を投手失し走者二三壘に據り形勢危く見えけるが山口三振し中村投手ゴロに殪れ藤枝四球に出でゝ滿壘となりしも橋本三振に屠られて危機を脱す。我軍兒島二壘を衝きてならず今村遊撃を襲ひて又ならず、北澤遊撃手の失に生きしも岸本投手にライナーを獲られて無為。
第三回、池田Pゴロに死し矢部四球を利して走り中島の左翼安打を翼手逸して矢部を生還せしめ續いて中島三壘を得んとして壘上の露と消え高久三振して止み我軍攻むるや睦好劈頭左翼安打に出でしも投手の術中に陥りて一二壘間に挟殺され松尾二壘手にゴロを得られ箸倉三振して止む。
第四回、一死の後山口遊撃手のエラーに生き次ぎて二壘に進み次なる中村の中堅安打と思はれし飛球を我箸倉轉げながらにグラブに収めしも犠牲球となり山口三壘を得捕手の暴投に生還せしも續く藤枝三振して止む。三宅、藤原共に投手に弄せられ兒島一壘に凡打して無為。
第五回、我軍今村をプレートに立たしめ兒島中堅に郤き箸倉二壘に入る。敵は第一打者に廻り橋本、池田共に四球の恩恵に浴し矢部の遊撃三壘間を抜く安打に橋本牙城に入り中島の左翼安打に滿壘となり高久三振せしも井土の遊撃軟打に池田生還し依然として滿壘なり續く山口投手にゴロを呈して矢部を本壘にフォースアウトし中村の二壘ゴロに山口二壘にフォースアウトされて止み我軍攻撃に入る。睦好を猛襲して之を逸せしめ一壘に出でしも又一壘上の鬼と化し松尾投手ゴロに箸倉左翼フライを呈して無為。
第六回、兩軍或は三振或は凡打して共に無為。
第七回、一死の後高久長棍一打右翼中堅間を抜く絶好の本壘打を戞っ飛ばし井土、山口共に壘手の失に出でしも中村、藤枝投手に弄ばされて止む。我軍恢復に努めしも効なく三宅三振し藤原一壘に凡打し兒島三壘ゴロに退きて成すなし。
第八回、橋本投手にゴロを得られ池田二壘匍球に斃れ矢部三振に屠られて交代す。今村ボックスに立ちて成す所あらんと期待せしも空しく三振の憂き目に遭ひ續く北澤も亦同じく三振の破目に會ひ僅に岸本四球を利して一壘に生きしも後援續かず睦好三振して無為。
第九回、中島中堅に飛球を呈してオーバーせんとせしも兒島よく守り高久の二壘フライを壘手失し盗壘して三壘に據り井土凡打して退きしも山口遊撃を誤らしめ高久生還す。續く中村二壘飛球に倒れて我軍最後の攻撃に移り力戰せしもその甲斐なく松尾の猛打も敵遊撃巧に取り箸倉衆望を負ひてボックスに現れしも勝ち誇れる敵軍の為に無惨や三振し續く三宅右翼手に名を成さしめ遂に六對零にて我軍の大敗に帰しぬ。
大正5年7月23日(日)東遊園地 午後3時開始
早大留守遠征軍 001 120 101=6
神戸二中 000 000 000=0
打安四三犠盗得
〔早稻田軍〕 撃 牲
數打球振球壘點
9 橋 本 4012001
6 池 田 4011011
3 矢 部 3122001
1 中 島 5200000
7 高 久 4112012
5 井 上 5001010
2 山 口 5001011
8 中 村 4001100
4 藤 枝 3012000
合計 374612146
〔二中軍〕
84 箸 倉 4002000
6 三 宅 4002000
7 藤 原 3001000
18 兒 島 3000000
41 今 村 3001000
9 北 澤 3001000
5 岸 本 2010000
2 睦 好 3101000
3 松 尾 3000000
合計 28118000
〈朝日新聞〉
【第2回全國野球大會兵庫豫選】
大正5年8月3日(金)關西學院 午後4時50分開始(審判)球審 三木 壘審 柳田
▽1回戰
鳳鳴義塾 000 000 0=0
神戸二中 777 030 X=24
(7回コールドゲーム)
〔鳳 鳴〕 〔二 中〕
6 田 野 4 今 村、箸 倉
5 奥 2 睦 好
8 川 勝 1 兒 島
3 二 木 8 楯 谷
4 今 村 5 岸 本
7 若 狭 6 三 宅
2 渡 邊 7 藤 原
9 清 水 9 北 澤
1 小 畠 3 松 尾
失盗犠四三安打 失盗犠四三安打
牲死 牲死
策壘牲球振打数 策壘牲球振打数
1011315222 21011251032
◇本壘打 三宅
◇三壘打 箸倉
◇二壘打 兒島、北澤
▲第一回 鳳鳴凡打に退き二中代り今村、睦好四球に出で兒島の中堅飛球の失に今村、睦好入壘。楯谷、岸本の四球に滿壘となり三宅の三振後藤原の四球に兒島押し出され楯谷捕手のパスに生還し北澤左翼を過らして岸本、藤原を入れ北澤又投手の牽制球の暴投に生還し此回二中の得點七を算す(鳳鳴零、二中七)
▲第二回 鳳鳴の今村四球に出でゝ二壘を盗みしも若狭、渡邊三振し清水一壘飛球に死して止む、二中兒島四球に出でゝスチールを重ねて三壘に及び楯谷の三振後捕手の逸球に入り岸本亦四球に出でゝ兒島に做って二、三壘を盗み三宅四球に續き藤原の右翼安打鳳鳴の守備を撹乱し岸本、三宅生還、北澤、松尾四球に滿壘となる時箸倉中堅越の三壘打を飛ばして走者を一掃し睦好の投手飛球に漸く二死を數へ兒島又もや左翼越の二壘打を放ち箸倉を生還せしむ(鳳鳴零、二中七)
▲第三回 鳳鳴二死の後奥遊匍の失に生きしも川勝三振して二中と代る、岸本遊撃側の安打に出で二壘を盗み投手の牽制暴投に三壘に進み三宅の本壘打に二者踵を接して入壘、藤原次で右翼に三壘打を飛ばし以後北澤は左翼二壘打、松尾は内野安打、睦好、兒島、箸倉は軟打に敵陣混亂して亦もや此回七點を擧ぐ(鳳鳴零、二中七)
▲第四回 鳳鳴の二木四球に出で今村の犠牲球に二壘に進みしも後續三振して代り二中皆バントに死す
▲第五回 鳳鳴無為の後二中一死の後箸倉中堅安打を飛ばし睦好の軟打に入り兒島、楯谷バントに續き岸本の犠牲打に兒島入壘す(鳳鳴零、二中二)
▲第六回 鳳鳴二死の後二木投手にゴロを送り其高投に二壘に進みしも今村三振して無為、二中藤原、北澤、松尾何れも軟打及び不正打球に退く(鳳鳴零、二中零)
▲第七回 若狭二壘越の安打を放ちしも二壘にフォースされ渡邊、清水の三振に萬事休し結局規定に依り二十四+A對零の七回ゲームにて二中の大勝となる
〈朝日新聞〉
大正5年8月4日(土)關西學院 午後2時15分開戰 5時閉戰(審判)正審 堀井
壘審 越部、松尾
▽準決勝
關學中 003 000 006=9
神戸二中 000 120 000=3
〔二 中〕 〔關 西〕
4 箸 倉 2 菅 井
2 睦 好 3 四 本
8 兒 島 6 加 藤
1 今 村 7 近 藤
5 岸 本 9 生 駒
6 三 宅 8 粟 田
7 藤 原 5 島 村
9 北 澤 4 石 原
3 松 尾 1 濱 谷
失盗四三安打 失盗四三安打
死 死
策壘球振打數 策壘球振打數
7047638 61181140
◇二壘打 近藤2
大會中唯一の好取組にして此勝者こそ實に本年度我兵庫縣を代表して豐中に出戰すべき優勝校を卜う得べき言はゞ準優勝戰なれば観衆の興味を嗾ること多大にして午後一時頃より來觀者續々として來たり流石に廣きグラウンドも人を以て包まれ其數二萬と註せらる、
軈て兩校選手は徐ろに各必勝の意氣たかく入場し來たりシートノックを行ふ頃しも二中應援團其數五百名、三百有餘の大メガホンを擔いで歩武堂々校歌を合唱して練り込み關西亦全校の學生を擧げて來援し試合未だ始まらざるに活氣場に横溢す、斯くて午後二時十五分、堀井氏正審、越部、松尾兩氏の壘審に關西軍先攻して開戰の狼火は擧げられたり
▲第一回 關軍無為二中亦投手濱谷の鐡腕に弄殺さる(關軍零、二中零)
▲第二回 關軍凡打の後二中一死にして三宅二匍の失に生き藤原一壘側に強匍を送り長驅二壘を奪取せんとして刺されしも三宅を三壘に送り關軍聊か危ぶかりしも北澤三振して壘を作さず(關西零、二中零)
▲第三回 關軍の好機は來たれり始め濱谷遊撃を強匍に衝いて其失に生き菅井の長打左翼の頭上を抜いて二壘打となるや濱谷稍輕擧本壘に驀進して歩一歩に刺されしも尚僅かに一死續いて四本バントに出で加藤が菅井と喋して行ひし走而軟打見事に成功菅井本壘に殺到貴重なる一點を先んじて搗てゝ走者二、三壘を占む折柄ボックスに立ちしは關軍の主将近藤老獪機熟せりと許りに長棍輕く敵の備への隙を狙って戞と飛ばせば四本躍進本壘を陥れ捕手亦狼狽逸球して加藤を入れ得點三を算す、二中奮起代って攻めしも得ず(關西三、二中零)
▲第四回 關軍無為二中今村、濱谷のアウトカーヴに弄殺され岸本亦之に殉じて二死を數へしも三宅内野ヒットに出で藤原二壘の失に續き北澤三壘を過らすに及んで三宅生還一點を恢復し尚走者二、三壘に在りしが松尾凡打して終る(關西零、二中一)
▲第五回 關軍凡打して代り二中の打順元に還るや箸倉猛襲の第一打を三壘側の匍安打に示し睦好三壘飛球に死せしも兒島三壘を過らしめ今村中堅に安打して滿壘となる時岸本二壘を襲ひ為めに箸倉を入れ三宅又もや投手の右を抜きて兒島を生還せしめ兩軍茲に得點三對三の緊張を示し應援熱狂す(關西零、二中二)
▲第六回 兩軍共に凡打(關西零、二中零)
▲第七回 關軍島村三壘側の安打に出で石原の犠牲球に二壘に進み濱谷、菅井共に三壘、遊撃の失に一死滿壘の機を再び呼びしも四本の軟打に島村本壘に殪れ加藤二壘にゴロを送って二中漸く危機を脱す、二中兒島二匍に死し今村右翼安打に出でしも岸本遊撃直球に今村と重殺さる(關西零、二中零)
▲第八回 關西無為二中三宅三匍に死し藤原絶好のショートオヴァーを放ちしよと見る間に加藤後走踴躍して片手に之を収め其ファインプレー滿場を唸鳴らし北澤中堅安打、松尾、箸倉四球に出でゝ滿壘となりしも睦好投手に飜弄せられて機會を逸す(關西零、二中零)
▲第九回 ゲームは三對三の緊張を持續して観衆熱汗を握って片唾を呑む關軍島村三匍に死せしも石原中堅安打し濱谷内野ヒットに出で菅井の中堅安打野手之を輕視して為めに大過を招くや石原、内海驀進、本壘に殺到して二點を勝越し四本更に軟打して一死走者二、三壘に據る關軍の應援熱狂欣喜の頂點に達す、
斯くて加藤尚も軟打に成功し好機は滿壘の層を増す時しも主将近藤勝ちに昇れる元氣に任せて長棍一揮すれば再び中堅安打となって菅井、四本又入壘、生駒右翼に安打するに及んで二中の陣容全く亂れ加藤、近藤相踵いて入り得點積んで九を算し勝敗の數全く定まる、二中代って死力を盡して攻め立てしも遂に得る處なく結局九對三を以て關西軍の大捷に歸す時に午後五時
▽概評(關西對二中)關西は前日同様即製の投手内海をプレートに立たしめて彼獨特のサイドスロウに二中の鋭鋒を封じた
▲關西軍は今日も對一中戰の如くスタートよく第二回に三點を擧げて餘裕を作ったがあの場合一點位で喰ひ止める事は決して不可能でなかった、睦好の落付のないのが弱みであった
▲關西のバントは實に自由自在で賞嘆(讃)に価すべきものである、然し其守備に於て病後とはいへ島村の二箇の凡失は病手であった、殊に四本が一度球を堅持しつゝも走者を三壘に突入せしめたは聊か見苦しかったが加藤と共に内野を堅めた償勳は忘るゝ事は出来ない
▲二中は一體に打撃が關西に劣って見えた、尤も選手としての技倆は十分あるが多少の自負心と大選手としてのヘッドがない凡失の起因は茲に在る彼の第九回に兒島が菅井の直球を片手でスポ抜かして敗因の大をなした等は以後の戒心の要する一大事件ではあるまいか。
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