《武 陽》 大正5年7月發行
◎對桃山中學野球試合(睦好稿)
五月十四日我軍は大阪桃山中學に挑まれて午前十時十二分本校々庭に見えぬ。日吉氏及桃山中學出身の森田氏互審のもとに桃中軍先攻に始まる。
第一回。敵の第一打者劈頭左翼を襲ひしも我が藤原よく守り塚本中堅に大飛球を呈せしも兒島又よく守り二死の後を受けて出でし敵の猛者河原又中堅に大飛球を送る。然るに如何にしけん我が中堅手後れし河原一擧本壘を衝かんとす、よりて箸倉中堅より來る球を取、次て本壘に投ぜしも正鵠を失し先づ最初の一點を得られたり。
續く城三振して我軍代り攻む。腕は多年の練磨なり。劈頭打者箸倉莞爾としてボックスに現はれ長棍一度振ひなば美事や右翼に三壘打を呈し續く睦好凡打せしも岸本四球を利し兒島三壘を失せしめて箸倉先づ生還同點となる。續く今村中堅に安打し岸本悠々本城を陥れ機を見るに敏なる兒島早くも三壘を突破して之に據り三宅三振せしも今村の二三壘間に挟殺せらる間に兒島生還三點となる。
第二回。敵松本三振し久保山又本壘上の露と消え牧原二壘にゴロを呈して無為。敵軍北澤四球を得て出で松尾の二壘匍球にフォースアウトされしも藤原中堅に安打し箸倉又右翼に安打して滿壘となりしも睦好、岸本共に憤死して止む。
第三回。敵太田三振、吉田四球を得しも第一打者木原三振し塚本左翼手に功名をなさしめて、退き我代り攻む。兒島遊撃を襲ひて其の失に生き今村の中堅飛球に殪りたる後二壘を破り三壘に進まんとして刺され三宅四球に出でしも北澤三振して無為。
第四回。河原憤然として左翼に安打して出でしも二壘をスティールせんとして捕手よりの投球に二壘上の露と化し、城四球に生きしも松本の投手攻撃にダブルプレーを喫す。味方の松尾左翼を衝きしも守り堅く藤原グランダーを一壘手に得られ二死となる。箸倉投手グランダーを呈し一壘手のエラーに生きしも睦好二壘ゴロに斃れて無為。
第五回。我軍の守備益々堅く久保山二壘ゴロに牧原右翼に飛球を呈し太田遊撃ゴロに未だ成すなし。我が軍岸本飛球を一壘手に得られ續く兒島三振を喫し今村熱球を三壘に送りたるも効なし。
第六回。敵は打撃順よく一擧に我が陣を破らん勢なりしも我とても油斷はせず益々守備を堅固にし劈頭吉田を三振に屠り木原遊撃手のエラーに生き塚本又辛くも捕手の失に出でしも河原三振を喫して退き城三壘を猛襲したるも我三壘手得たりと手中に収め一壘に投じて之を殺す。我が三宅熱球を遊撃手に得られ北澤又遊撃を襲ひて死し續く松尾又もや遊撃手に飛球を得られて止む。
第七回、松本中堅に絶好の安打を飛ばして久保山の投手ゴロに斃るゝ間に二壘に進め次いで三壘に據る。牧原投手ゴロを呈するや松本本壘を衝かんとして殪れ太田の二壘飛球に我軍代りて攻む。藤原二壘ゴロに退き箸倉三壘を衝きしも敵の三壘手よく守り睦好ファウルフライを一壘手に得られて止む。
第八回、吉田四球を得て走り木原左翼に安打し塚本走者を送らんとしてならずして斃れ河原投手の失に生き滿壘となる。味方の捕手一壘に在る走者を殺さんとして悪球を投じ木原之によりて本壘に迫る味方の一壘手本壘へ悪球を返し木原生還一點を加へしも城三振、松本バントに残る一點を回復せんとして終り我軍攻む、
岸本右翼に安打し兒島左翼に安全球を飛ばし續く今村の左翼二壘打に岸本生還す。箸倉急ぎて三本壘間に殪れ三宅二壘ゴロに退き北澤四球を得しも松尾三振して止む。
第九回、敵軍回復大いに努めしも久保山飛球を二壘手に得られ牧原投手ゴロに退き太田遊撃飛球に殪れて遂に二對四+Aにて我軍の勝に帰しぬ
時に零時五十分兩軍成績左の如し。
大正5年5月14日(日)神戸二中 審判 日吉、森田
桃山中學 100 000 010=2
神戸二中 300 000 01A=4
打得安三四犠
〔二中軍〕 撃 死牲
數點打振球球
4 箸 倉 412000
2 睦 好 400100
5 岸 本 321110
8 兒 島 311101
1 今 村 402000
6 三 宅 300110
9 北 澤 200120
3 松 尾 400100
7 藤 原 301000
合計 3047641
〔桃山軍〕
8 木 原 401100
6 塚 本 400000
2 河 原 411100
7 城 300210
4 松 本 401100
5 久保山 400100
3 牧 原 400000
9 太 田 400100
1 吉 田 110120
合計 3223830◎對神戸商業学校 (藤原稿)
春正に逝かんとして實にボールの好シーズンなり。四月以來我軍は横濱大同學校、大阪桃山中學校の二校を敗りて意氣既にに上がる、今又神戸商業學校の挑戰に應じて五月十六日我が校庭に於いて同軍と相見ゆ。午後四時十五分アンパイア日吉氏のプレーを宣する聲高く運動場に響くや、敵軍先攻にて戰は開かれぬ。
最初より敵軍不振にて遂に一點も入れざるに反して我軍は常に優勢。一回に四點。三回に二點。四回に二點。五回に五點。六回に三點。遂に七回ゲームにて十六+A零にて我軍大勝す、時に五時五十五分なりき。
思ふに此日の我軍の勝利たるや選手日頃の練習の結果に他ならずと云へども主将瀧川、重鎮坪井の兩君の見えざりしは敵軍にとりて大損害と云ふべし。若し兩君居られしならばスコアの差も今少し減ぜられしならん。左に兩軍のメンバーを示さん。
神戸商業 000 000 0=0
神戸二中 402 253 A=16
打得安三四犠盗
〔神戸商業〕撃 全 死牲
數點打振球球壘
生 田 2001100
大 西 3000000
西 澤 3003000
院 谷 2010101
長 田 2001100
石 坂 2001000
網 干 2002000
藤 井 2002000
竹 下 2002000
合計 200112301
〔二中軍〕
箸 倉 5112001
睦 好 3311202
岸 本 5102000
兒 島 3220100
今 村 3211101
三 宅 3310010
北 澤 4221001
松 尾 2200201
藤 原 3001010
合計 311688626
◇本壘打=三宅◇三壘打=睦好◇二壘打=兒島、北澤
◎復讐戰之記 對一中戰 (睦好稿)
前年度四度戰ひて四度敗れし我が選手は臥薪嘗膽茲に數月如何にもしてこの復讐をなさばやと日々練習怠りなく七百の校友に勵まされて軍備整ひ五月二十日堂堂と生田の彼方へ出征しぬ。
如何でこの仇敵逃すべき、我は鉢巻姿に必勝を期して舊慶大選手高濱氏を球審、日吉氏を壘審として四時一中方先攻にて戰の序幕は切り落されぬ。凄絶快絶、いでや左に勇士が奮闘の跡を記さん。
第一回、敵の第一打者別所遊撃フライに退き續く岩井、緒方共に右翼、左翼にフライを呈して我北澤、兒島に名をなさしめしのみ、我軍代り攻む。箸倉投手ゴロに斃れ睦好三壘手にフライを獲られ二死となる續く岸本ボックスに立ちて長棍一振すれば戞然として音あり右翼の頭上を抜く絶好の三壘打なり、得たりと兒島三壘を襲ひ壘手一壘に球を投じたるも彼快足に任せて既に一壘を破り岸本生還して光榮ある最初の一點は我が手に帰せり。今村フライを右翼に呈して止む。
第二回、敵の御大石本憤然三壘越の安打に出で久保田左翼に安打して出で大いになすあらんとせしも續く三者悉く今村の快腕に弄せられ枕を竝べて本壘に憤死す。我軍凡打に終る。
第三回、敵橋本三振し別所火を吐く直球を一壘に送りしも松尾莞爾として手中に収め岩井左翼安打に出でしも緒方飛球を兒島に得られて止む。我藤原遊撃を失せしめて出で次いで一壘手の失にて二壘を得箸倉三壘を突いて殪れしも睦好四球を利して走者一二壘に據り好望なりしも岸本三振、兒島二壘手に飛球を得らる。
第四回、石本三振、久保山四球を得て生きしも多木の遊撃強襲に二壘にフォースアウトされ來田三振して我軍攻む。一死の後三宅投手を失せしめて出で二壘を盗まんとするや多木暴球を投じ三宅一擧本壘を陥る。北澤、松尾凡死す。
第五回、敵一死の後橋本左翼に二壘打して出で次で牽制球を二壘手の失する間に三壘に進みしも三壘本壘間に挟殺され別所死球に出でしも岩井の三振にて止む。我が藤原投手を襲ひて生きしも離壘して刺され箸倉飛球を二壘手に得られしも睦好左翼に安打して出で機を窺ひしも岸本凡打して止む。
第六回、緒方三振せしも石本左翼中堅間に三壘打をなし久保田の安打性の打球に我が遊撃手秘術を盡したるも取り得ず石本生還、久保田一壘による。一中方の應援勢を得て猛烈に我が應援團之に應じ肉迫戰愈々酷なり。
久保田二壘をスティールせんとして二壘上の露と消え多木四球を得しも來田三振して我軍代りて攻む。兒島又劈頭左翼に二壘打し續く今村又左翼中堅間に二壘打し兒島を生還せしめ一擧に三壘を得んとして刺さる。三宅、北澤共に投手ゴロに殪る。
第七回、敵の吉田三振、橋本辛くも遊撃手、三壘手の衝突に生きしも二壘に進まんとして捕手よりの投球に斃れ別所三壘手の失に生きしも岩井の中堅飛球に我軍代り攻む。我がラッキーセブンは來れり。松尾三壘手のエラーに生き藤原遊撃を襲ひて出で箸倉の中堅二壘打に松尾生還、睦好四球を得て滿壘になる。
續く岸本右翼に犠牲球を送り併せて捕手のエラーに藤原生還、兒島三壘越の安打を出して箸倉又生還す。而も走者三壘一壘にあり有望なりしも兒島先を急ぎ今村と共にダブルプレーを演ぜらる。
第八回、緒方左翼安打に出で石本の犠牲球に二壘に送られしも久保田、多木共に遊撃に名をなさしむ。我軍三宅遊撃ゴロに北澤左翼飛球に殪れ松尾三振して止む。
第九回、ラストインニングに入るや敵軍大いに逆撃して血路を開かんとせしも我守備の堅固なるには顔色なく來田、吉田、橋本の三者本壘に最後の露と消えかくして我は一對六+Aを以て他年の欝憤を晴すを得たり。
大正5年5月20日(土)神戸一中 午後4時開始 審判 高濱(球審)日吉(壘審)
神戸一中 000 001 000=1
神戸二中 100 101 30A=6
打得安三四犠
〔一中軍〕 撃 死牲
數點打振球球
6 別 所 300010
4 岩 井 301100
8 緒 方 401100
7 石 本 312101
1 久保田 301010
2 多 木 300110
3 來 田 400400
5 吉 田 400400
9 橋 本 401200
合計 31161431
〔二中軍〕
4 箸 倉 411000
2 睦 好 201020
5 岸 本 311101
8 兒 島 412000
1 今 村 401000
6 三 宅 410000
9 北 澤 400000
3 松 尾 410300
7 蔵 原 310000
合計 3266421
《武 陽》
◎對大阪市岡中學校(藤原稿)
我軍は神戸高商の招待に應じ六月四日一中校庭に於いて擧行されたる同校野球大會に参加す。敵は大阪の覇者市岡中学、侮る可からざる大敵なり。然るに我等は豫告試験の為め練習不足、然れども我には二中魂あり如何でか彼に負くべきか、十餘一士勝利を帰して出場す。
午後三時七分。プレーの聲と共に戰は開かれたり。敵軍先攻。
第一回、富永四球に出でし後松本見事左翼中堅の頭上を抜く本壘打に一擧二點を與へしかば今村次の三人を立ちどころに三振せしめしは、痛快なりき。我軍代り攻めしも、一回二回唯敵の投手に弄せられるるのみ。
第三回に入りて富永又もや四球に出で松本中堅に飛死せしに田中の左翼安打にて生還す。我軍敵に三點を先んぜられ如何でか黙すべき北澤劈頭左翼に大飛球を送りて敵の膽を寒からしめ松尾四球を利し、藤原三振せしも其の間に盗壘に盗壘を重ね、箸倉の三壘線上を抜く絶好のタイムリーヒットにて易々として本壘に入り先づ一點を得たり、岸本直も箸倉を入れんとして、奮闘せしも遊撃ゴロに倒れしは惜むべし。
四、五、六、七回我が守備堅くして敵をして乗ぜしめず、然れども我軍の乗ずべきは、常にこの回にあり敵投手は我が應援團の猛烈なる攻撃に少しく狼狽せしがワイルドボールにワイルドボール、敵の守備は漸く亂れんとせり、我軍の乗ずべきは今なり勝負の境は今なり。
四回兒島、一壘を失らしめ出で今村の遊撃ゴロにフォースアウトされしも次の打者は年少氣鋭の勇者三宅なり、彼莞爾と笑みてボックスに入りしは何にか心中に決する所ありしか−投手の滿身の力をこめて投げ出す球、打者の見事ヒットせんとする心中觀衆の眼の輝く所、共に共に好對照なり−。
ボールワン又も續いてボール次に來りし直球。俄然として音あり見よ、一壘線上を抜く絶好の二壘打。今村奔馬の如く空を飛んで帰へる、三宅又も投手のエラーに勞せずして牙城に入る。一年生の應援團の可愛らしき聲にて目出度凱旋なされしが御無事で御帰へりなされしか−敵の應援團一句もなし。
五回六回何事もなかりしが七回に入りて、藤原二壘ゴロに倒れしが箸倉遊撃の失に巧妙に盗壘に盗壘を重ね忽ちにして三壘に來る「睦好責任をはたすは今なるぞ功名手柄をなすは今なるぞ」との囁きが後の方で起った、睦好バントして入れんとせしも、正鵠なる打撃力を持つ彼は球を待つ事久しく、遂に左翼に絶好のタイムリーを飛ばして箸倉を生還せしむ。敵の守備これによりて益々亂れ、我軍總攻撃に出でんとせしも睦好二壘を得んとして刺れ、岸本三振して萬事休す、スコアー、四對三。
第八回、松本三振に退きしが田中中堅にヒットして兒島のエラーにてやすやすと二壘に進みたり島道二壘にゴロを打ちて生き、敵は一死者にて、走者は三壘、一壘にあり我軍に取りては危急存亡の時なり、我軍よく守るか敵軍よく攻むるか。
我等の腕は益々緊張の度を加へたり、時に敵の第五番打者山田三壘に軟ゴロを呈す、岸本得たりと球をグローブに治めしも、時既に遅し、敵軍には何かサインありしか走者は早や本壘に入らんとせり、岸本詮方なしと思ひしか球を一壘に投じて山田を殺す、水田四球に出で魚谷二壘を失らし島道生還す、スコアー、四對五。
嗚呼敵軍又一點を勝越す。我軍代り攻めしも兒島三振し、今村右翼に強ゴロを送りしも運動場狭き為一壘に殺されしは詮方なし三宅三振して止む。
第九回、我が守備漸く亂れ、二本の安打と、我軍の失策により敵軍又もや二點を加ふ、我軍最後の攻撃にて目に物見せんとせしも北澤、松尾相續いて三振せし藤原左翼に安打し、箸倉四球に出で投手の暴球に藤原、箸倉共に進壘し、本壘を窺ひしが睦好惜しくも三振して止む。
時に五時五十分。スコアー四對七。
新學期より、常勝軍の驍名を恣にし雄然として關西の球界を睥睨せし我軍も今日の敗戰。吾こゝに感谷って筆動かず。古人曰く勝敗は兵家も期す可からずと奮へ選手、此の際一層奮勵努力以て今日の敗辱を雪がんことを。
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