明治43年(1陽会)1910年

NO5

    神戸二中 100 021 102=7
 クリッケット倶 104 000 000=5
 

         打安犠三四得
 〔二中軍〕   撃全牲 死
         數球球振球點
  C松本  巍 310201
 CF鍛冶 仁吉 100131
 2B村井伊太郎 200210
  P岡本 春男 500001
 1B山崎 武二 300111
 3B茨木 一三 400100
 RF橿村 賢次 300101
 SS菅 和三郎 202021
 LF吉川 眞蔵 310101
     合 計 
2622977 

〔ク 軍〕           打安犠三四得
                撃全牲 死
                數球球振球點
  C 
Coe(コイ)      410002
 SS 
Archer(アーチャー)  420001
 3B 
Crystensen(クリステンセン) 300100
 2B 
Ailione(エリオン)  300100
 1B 
Crare (クレア)    400000
 RF 
Cambell(カムベル)  100300
  P 
Aekrnan(アッケーマン)400000
 CF 
Kuhu(クーウ)     300101
 LF 
Dacosta(ダゴスタ)  420001
        合 計
    3050605 

◎對慶應浪華倶楽部(第一回)  (鍛冶稿)
明治
44年7月28日(金)午前10時開始 神戸二中

    神戸二中  101 023 400=11
 慶應浪華倶楽部 010 000 000=1
 

 (神戸二中)   (慶応浪華)
 2 松 本     8 睦 田
 8 鍛 冶     4 小 林
 4 村 井     2 奈良崎
 1 岡 本     5 金 原
 3 山 崎     3 辰 馬
 6  菅      9 田 村
 9 森 本     6 土 澤
 7 松本虎     7 抽 木
 5 茨 木     1 小野田

 三四得安打     三四得安打
 度死 全撃     度死 全撃
 振球點球數     振球點球數
 34
1146     931135 

 休暇前より本校に試合を申込み居たる慶應浪華倶楽部の選手對本校選手の試合は七月二十八日午前十時より我校庭に開かれぬ。

 前日より降り續きし雨も、何時しか晴れて、何となく麗かに我戦勝を豫言するが如く覚ゆ。彼浪華倶楽部選手の態度は、如何にも物々しく寧滑稽を覺ゆる程也。中には貴公子然たる者、或は日影に生ひ立つ草木の如きひょろひょろ然たる者もありて、總じて生意氣千萬の奴多し。日本野球界の重鎮慶應野球團の一員也と言はぬ許なるは實に癪の種也。

 兩軍の練習約三十分にして、關西學院の松浦君の審判の下に仕合は開始せられぬ、我軍先攻なり。

 第一戦。松本の快腕一振すれば、戞然たる響と共に球は左翼の頭上を越え、正にホームランたらむとせしが、敵もさる者左翼選手走りつゝ之をグラヴに収む。されど此一打のよく敵の心膽を寒からしめたるは疑ふべくも非ず。第二打手鍛冶の一撃、左翼に安全球となり、敵の隙に乗じて一擧三壘を陥る。村井左翼フライに斃れしが、岡本三壘ゴロに生き續く山崎のPゴロ之を逸しければ、鍛冶生還し我に先づ一點を加へたり。

 時機頗る好かりしが、菅打球當りて死し、岡本、山崎共に壘上に立往生となりしは遺憾なりき。敵の第一打手睦田劈頭三振し、續く小林四球を以て出でしも、奈良崎三壘にゴロを呈しければ、三壘手茨木之を取りて二壘に投じ小林をフォースアウトとなす。村井更に一壘に投じて、ダブルプレイを演ぜむとせしが、球稍低かりし為山崎之を逸せしかば、奈良崎二壘を得たり。而れども續くバッター神原三振して得る處無し。

 第二戦。森本投手の失をもって一壘を得しも、我打撃不振のため續く打者平凡の中飛に倒る。辰馬四球を得て一壘を踏む、續く打者田村遊撃にフライを呈して斃れ、土澤三壘にゴロを送りて一壘に刺されしが一壘にありし辰馬之によりて二壘を占め續いて三壘を襲ふ。捕手之を刺さむとして三壘に投ぜし球悪く、茨木之を逸し辰馬生還す。この一點こそ敵をして零敗を免れしめたるもの也。次なる打者柚木三振し我軍攻む。

 第三戦。村井投手にフライを呈して斃れ、岡本右翼に安全球を送って一壘に進み、續いて二壘を奪ふ。山崎三振せしも、菅三壘にゴロを打ち三壘手の失に生き岡本間を得てホームに突入す。森本三振して敵代て攻む。而れども打撃奮はずして三振或は3Bゴロに相續いて斃る。

 第四戦。茨木左翼に安全球を打ちしが、後援續かずして平凡に終る。敵も辰馬の安全球ありしのみにして他は概ね屍を一壘上に晒して終り平々凡々たり。

 第五戦。鍛冶四球を得て一壘に斃る。而して村井の遊撃ゴロを左翼手田村進んで捕へしが、一壘への投球ワイルドを極め、一壘手止むるに術無く之を逸す。鍛冶この間に乗じ本壘を陥る。岡本三振せしが山崎左翼に安全球を送り、村井ホームに入る。菅遊撃に猛球を送りて一壘に斃れ、山崎本壘を突破せむとして志を得ず、空しく本壘上に屍を晒す。敵軍の活劇又論ずるの價値無し。

 第六戦。我又三點を加ふ。而して我攻撃益々奮ひ、敵軍の守備愈々亂れ、第七戦に到りて我得點前後十一を算す。而かも敵の得處は僅に一を數ふるに過ぎず。哀れといふも愚也。第八戦、第九戦兩軍共に得る處無かりき。

 斯くて我等は遠来の客慶應浪華倶楽部を一堪も無く撃破し終りぬ。時に午後一時、萬歳を三唱して光榮ある勝利を祝し各歸路に就けり。 

◎對京都一中同窓會倶楽部 (山崎稿)
 燬くが如き暑氣を冒して、八月十七日京都一中同窓會倶楽部と東遊園地に於て、梅本氏審判の下に相見ゆ、此日投手岡本病の為に出戰し得ず。而して老巧の捕手松本も亦既に二中の人に非ざりき。而れども京都軍は既に遊園地に来りたれば、やむを得ず武陽倶楽部の名義の下に、三壘手茨木をプレートに立たしめ二壘手村井を捕手として戰ふ。時に二時を過ぐること四十分。

 第一戰、京都先づ攻む。猪子、小澤等共に茨木に翻弄せられて三振し、高畑四球に出でしも、町田投手に凡球を呈して止み我軍代りて攻む。井口三振し、鍛冶遊撃を衝きて成らず、村井又三振して戰は。

 第二戰に入る。二壘手木下のフライを落として、之に一壘を與ふ。湯川次いで立つや、老練なる茨木、之にフライを打たしめ、永山、三井を三振或は弱球に終らしむ。同回裏に於て我山崎四球を利して一壘に進みしが、山崎も亦此日身體に故障ありて走者たる能はず。鍛冶代走す。鍛冶走者となるや、二壘に滑り込みて生き、吉川の三振せし隙に三壘を陥れ、茨木の犠牲球に生還し先ず一點を収む。森本凡死して、

 第三戰に入るや、京都軍奮起し猪子一死の後四球にて一壘を取り、小澤再び四球を得て走者は二壘一壘に在り。而して高畑の遊撃を衝くや、菅之を失せしかば各一壘に進め、一死者に滿壘となれり。町田輕打して出でむと欲して能はず。續く木下滿身の力を込めて打ちし熱球砂を噛むで三壘を襲ひしも、吉川の得る所となりて生還すること能はざりき。我軍菅遊撃にグランダーを呈して仆れ、田寺、井口三振して無為。

 第四戰に於ては、兩軍の守備巖にして一壘をも踏む者無かりき。されど戰機漸く熟して、

 第五戰に入る。果然京都軍攻むるや、猪子二壘を失せしめて一壘を得、小澤の一壘に刺さるゝの隙に二壘を得、高畑三壘を襲ひて生き、町田、木下バントを連發し、我軍の混亂に乗じて、猪子、高畑轡を並べて生還す、湯川死したれ共永山の打ちし球を左翼手逸するや、町田、木下又生還し得點四を數ふ。三井三振して我軍代り攻む。吉川、森本、三井の快腕に屠られて本壘に憤死す。

 第六戰、敵の徳岡生還したるに反し、我軍の井口のヒットありしのみ。

 第七戰、敵軍永山二死者の後を受けて、三壘の失に一壘に入り、三井の遊撃貫通のヒットにして生還す。我軍飛球若くは緩球をのみ呈し、一壘に枕を竝べて仆る。

 第八戰に入るや、敵はバントを弄して我を苦脳(悩)せしむ、徳岡劈頭バントにて入壘し、猪子又バントを弄して生き、一壘の失に二人生還し、此に得點八を計ふ、小澤、高畑、町田相踵いて仆る。我軍必死となりて攻むれども牢として抜くべくも非ず。

 遂にラストインニングとなり、兩軍火花を散らして戰ひしかど、相互に能く守りて生還する者無く、終に八對一にて大敗す。時に四時。兩軍の成蹟は次の如し、
 

明治43年8月17日(木)東遊園地  午後2時40分開始
 京都一中倶 000 041 120=8
 武陽倶楽部 010 000 000=1
 

         打安犠三四得
 〔京都軍〕   撃全牲 死
         數球球振球點
 SS猪松 一到 200122
  C小 澤   300110
 RF高畑信三郎 410011
 1B町田耕三郎 400011
 CF木 下   400011
 3B湯 川   500000
 LF永 山   500001
  P三 井   320020
 2B徳 岡   200122
   合 計   
3230310 

         打安犠三四得
 〔武陽軍〕   撃全牲 死
         數球球振球點
 LF井口 留吉 210200
 CF鍛冶 仁吉 200110
  C村井伊太郎 200100
 1B山崎 武二 210011
 3B吉川 眞蔵 100200
  P茨木 一三 100110
 RF森本  功 100110
 SS菅 和三郎 200100
 2B田寺 元治 100200
   合計    
14201140 

◎對慶應浪華倶楽部(第二回) (森本稿)
 八月十八日の午後、本校選手は再び慶應浪華倶楽部選手と干戈の間に相見えぬ。此日盛夏鬱燠炎威赫々たりしが、其にも窟せず集り來る観衆無虜數千、渺茫たる東遊園地も人山もて築かれぬ。古人は言ひぬ、恥を怖るゝは名を得るの始也。と應軍會稽の恥を雪ぎ再び名を得むとするなれば、其意氣の旺盛なる、怒髪天を衝くの觀り。

 而して之と雌雄を決せむとする我九士の雄姿は、凛然として生龍活虎の勢あり。夫血涙ある武陽の士よ。見よや兩旗戰苦の趾を。一聲高きプレーの響と共に戰端は開始せられぬ。我軍先攻。

 第一戰、當日は先鋒井口空しく本壘に倒れしが、次に躍り出でたる鍛冶猛然として三壘に熱球を送るや、神原悪球を一壘に投じ一擧二壘を得しめたり。次なる吾重鎮村井も矢野の魔球に為す術無く三振するの巳む無きに至る、續く岡本遊撃を衝いて成らず、我軍代りて壘を堅む。先鋒睦田投手に飛球を送りて生きしも小野田凡死し、高野の二壘飛球森本に得られて終る。續く田藤、辰野の強打によりて三壘を得んとせしが茨木の刺す處となる。

 第二戰、我軍得點無し。敵の猛将神原バントに依りて生き、奈良崎投手に飛球を送るや、岡本二壘に悪球を投じ神原をして本壘を得しむ。敵此擧に乗じ、益勇氣を鼓舞し、續く矢野グランダーを遊撃に送り、奈良崎を生還せしめぬ。是に於て敵愈意氣昂り一擧七點を得たり。

 第三戰、井口再度三振し、鍛冶猛球を三壘に送りて生き、續いて二壘三壘を奪ひ疾驅して本壘を陥れぬ。我軍こゝに一點を収む。敵軍も亦無得點に終る。

 第四、第五の兩戰は、兩軍さしたる活動を為さず無得點に終る。

 第六戰、の裏に於て敵の鷹取バントを以て一壘を襲ひ、睦田のバントに二壘を侵し、續いて三壘に進み又もや小野田の絶好のバントに本壘を陥る。高野又一壘二壘間の虚を衝きて睦田を生還せしめぬ。斯くて三點を加へしが、神原、奈良崎、小野田の三手諸共に我妙投手岡本に弄殺せられ、屍を本壘に横たへぬ。

 これより兩軍の活躍叙すべき程のこと無し、殊に第八戰以後は雨さへ催しければ、互に守備攻撃の困難を感ぜしが、敢て窟する所無く勇猛奮迅、武陽健兒の本領を發揮せし勞空しからずしてラストインニングに於て山崎の生還を見たり。鳴呼大勢如何ともすべからず十對二にて大なるスコアを残して退きぬ。成績は次の如し、

明治43年8月18日(金)東遊園地
  神戸二中 001 000 001=2 
 慶應浪華倶 070 003 00A=
10  

       打安犠三四得
 〔慶應軍〕 撃全牲 死
       數球球振球點
 SS睦 田 310012
 2B小野田 402012
 CF高 野 520001
 LF田 藤 100131
 1B辰 野 310110
 3B神 原 300111
 RF奈良崎 400101
  P矢 野 300101
  C鷹 取 310011
   合計  
29525810 

         打安犠三四得
 〔二中軍〕   撃打全牲 死
         數球球振球點
 1B井口 留市 100300
 CF鍛冶 仁吉 400001
  C村井伊太郎 300010
  P岡本 春男 400000
 RF山崎 武二 400001
 3B茨木 一三 300010
 2B森本  功 201100
 SS菅 和三郎 200110
 LF吉川 眞蔵 200010
   合 計  
 2501542 

◎對御影師範學校(第二回)田寺稿
 盛夏去りて涼秋来る。野球シーズンは開かれぬ。本校も對御影師範學校の仕合いを以て今秋の活動の序幕となす。九月二十三日、土曜日?(金)彼の挑戰に應じ武陽原頭に雌雄を決す。敵は今春の恥辱を雪がんものと心中期する所あれば、其一擧一動自ら凄氣あり。我は俄仕立ての混合選手を以て之に當る。

 午後三時を相圖に本校選手菅、鍛冶二氏の審判の下に戰闘は開始せられぬ。

 第一戰、我軍先づ陣を敷く、菅氏のプレイの聲と共に、應援隊の拍手の裡に敵の第一打手後藤悠然としてボックスに立つ、而れども僅に遊撃への凡球を呈せしのみ、本田三壘、高井亦遊撃をして各名を成さしめて終る。我軍攻め村井先づ一壘を取る、藤野三振せしも、井口中堅のゴロに生き二壘に進み、村井生還す。我軍大に振ふ、田寺二壘の手腕に倒れ直木三振して止む。

 第二戰、兩軍無為に終る。

 第三戰、玉田四球に出で二壘を奪ひしも、松本三振す。土田四球を利し、後藤遊撃のオバーにて一壘を得しも、玉田為に三壘に刺さる。本田中堅の安全球に出で土田生還す。高井三振し後藤、本田壘上の立往生となる。我軍の松本四球に出で村井二壘のゴロに死したれども松本巧に二壘を奪ふ。藤野四球に出づ。

 次ぎに出でし井口長棍一振すれば、中堅左翼間に大飛球となり松本、藤野相續いて牙城に入る。井口二壘を奪はむとするや、捕手の二壘に投ぜし球正鵠を失し、中堅オヴァーとなり井口悠々として本壘に入る。田寺三壘ゴロに死し直木遊撃の失に生きたれど、藤本二壘のフライに死して止む。

 第四戰、玉田四球に出で富田遊撃に倒されしが玉田三壘に到り機を窺ふ。堀口熱球を遊撃に送り一壘の失に生き玉田生還す。玉田凡死せしも松本のヒットに堀口生還し上田三振して止む。我軍無為。

 第五戰、後藤四球に出づ、本田死球にて一壘を得たり。後藤三壘を取らむとして壘上の露と消え、高井のバントに本田二壘へ、玉田の弱グランダーに本田三壘を高井二壘を取り此に滿壘となる。敵将我虚を衝かむとし、我陣又抜くべくも非らず。時に三壘にありし本田俄然として本壘を侵さむとす、而して球は二壘手村井の手中に在り、村井の本壘への投球正鵠を得、本田本壘上に死す。

 野心勃々たる富田左翼に向けて大飛球を送りしが、松本莞爾として之を捕へ敵軍萬事休矣。藤野左翼の失に生き、井口左翼の安全球に出でしも、田寺右翼に飛球を呈しトリッププレイを演ぜらる。

 第六戰、堀口遊撃の失に生きしも、二壘に進んで倒れ、玉田三壘オヴァーのヒットに出でしも、三壘を奪はむとして刺さる。松本、土田死球に出でしが、後藤のPフライに止む。我軍の直木、藤本、天野相續いて死し為す所無し。

 第七戰、より井口投手、村井捕手、直木右翼手、田寺二壘手と變る。本田四球に出で、投手の一壘への投球悪きに乗じ三壘に向はむとして死す。高井四球に出でて玉田遊撃の失に生き其ワイルドピッチに乗じ高井生還す。富田、堀口三振して止む。而して我軍森本、松本、村井相續いて三振す。

 第八戰、玉田、松本三振し、土田遊撃ゴロに死す。藤野のファウルフライは捕手の捕る所と也、井口Pゴロに死す。田寺四球に出で三壘に至りしも、直木三振して止む。

 第九戰、最後の幕は開かれぬ。而して各得點は四、實に此一戰こそ今日の勝敗を決するもの、兩軍共に努力せざるべからず。審判官の一層高きプレイと共に躍り出でたる打手後藤は、忽ち一揮して球を遥に左翼の頭上に送る。松本捕ふること能はず。本田遊撃の失に生き、高井三振す。玉田又一壘手の失に進む。此時後藤突如として本壘に迫る。

 一壘手藤野滿身の力を籠めて本壘に投球す、如何でか正鵠を失すべき、見事後藤を本壘に刺す。玉田遊撃の失に出で、本田この間に乗じて牙城に入らむとせしが、却て遊撃の投球に本壘の骸と化す。而れども敵陣又巖にして、又乗ずべき隙無し。藤本三振したれども、天野右翼に安全球に出で、森本三壘の失に生き、松本投手の失に一壘を得茲に滿壘となる。而して我強打手村井出づ、衆刮目して其活躍を待つ。

 而るに敵も亦形勢の不利なるを察し彼に死球を與へて天野のみを生還せしむ。次で藤野弱ゴロを出ししが効無く森本本壘に死す。井口野心や大なりけむ、終に三振して戰終りぬ。時に四時四十分。當日に於ける兩軍の成績次の如し、