明治43年(1陽会)1910年

NO4

〔對外奮闘史〕
◎對御影師範學校(第一回)直木稿
 辛亥活動の火蓋を切りしものを實に此試合となす。
 五月二十日の曇天、福田、稲村兩先生の審判の下、兩虎相對峠す。

 第一戦。御影の先攻、應援の叫甲陽グラウンドの一角に起るや、劈頭ボックスに現はれしは勇将後藤なり。投手岡本魔球を弄し難なく之を三振せしむ、本田次で投手にゴロを呈せしも効無く、玉田一壘飛球に倒る代りて我軍攻む、

 松本敵の遊撃の虚に乗じ悠々として一壘を占む、續く鍛冶安全打を呈せしかば、松本緩々として本壘を奪ふ、村井敵の間隙に乗じて二壘を得、鍛冶捕手のエラーに生還す。岡本、藤野相續て三振せしが、直木の遊撃ゴロに村井本壘に突入す、敵の陣形亂れて麻の如し。

 第二戦。高井ヒットを出して一壘を得しが二壘に倒れ、松本又二壘に横死を遂げ、安随Pゴロに死し敵軍後る所無し。我軍の菅四球を利せしも、二壘に刺され松本鍛冶共に三振し枕を本壘に列ぶ。

 第三戦。敵の堀内三振し、土田フライに死し、後藤も亦三振して止む。村井、岡本熱球を送りしも効を奏せずして倒れ、藤野大飛球を中堅に送り、一擧三壘を陥れしが森本の凡死に為す處無し。

 第四戦。本田ヒットを出し、玉田の大飛球に二壘を得んとして志を達せず、次で高井遊撃に熱球を送りて死し、松本三振す。茨木遊撃に直球を送り一壘のエラーに二壘を奪ひ、更に輕走して三壘を得しが、菅三振し松本、鍛冶共に一壘に骸を横へ志を得ず。

 第五戦。安随大飛球を三壘の後ろに送って生き、堀内右翼へ大フライを送りしも利あらず、この間隙を利し安随二壘を得むとして倒さる。土田三振我軍攻む。打撃に名なる村井左翼に大飛球を送りしが、敵もさる者走って之を捕ふ、岡本、藤野の好打得る處なく直木三振す。

 第六戦。後藤遊撃に、本田二壘に飛球を呈して倒れ、玉田三振す。森本左翼に安全球を送りしが二壘に倒れ茨木四球をもって進みしが菅、松本凡球を呈して止む。甲陽軍将に奮はむとして機を得ず。

 第七戦に至る。而して我守備益々巖を加ふ、殊に岡本の投球愈々スピードを加へ、敵軍の悩さるゝこと夥し。高井一壘の骸と化し、松本三振す、玉田(龍)左翼に大飛球を送りて生き、安随四球に出でしも、堀内一壘に倒れて終る。村井、岡本共に小飛球に倒れ、藤野三振す。

 第八戦。土田、後藤の勇将も岡本の手腕に封ぜられて為す所なく、本田中堅に猛球を呈せしも、哀れ堅實無比の鍛冶莞爾として之をグラヴに収む。我直木左翼フライに森本二壘飛球に死し、茨木中堅フライに二壘を得しが菅三振して止む。

 第九戦。玉田中堅に大飛球を送りしが、高井、松本三振し玉田遊撃フライに死し、三+A對○を以て我勝利に歸す。時正に薄暮、六甲山麓の農家より昇る白煙二絛三絛、隙漏る燈火之影螢に見紛ふ頃なりき。
 其日の成績次に録す、
 

明治44年5月20日(金)御影師範
 御影師範 000 000 000=0
 神戸二中 300 000 00A=3
 

          打安犠三四得
 〔御影軍〕    撃全牲 死
          數球球振球點
 1B 後藤 幾治 200200
 2B 本田    310000
 SS 玉田芳三郎 310100
 LF 高井 龍蔵 200110
  C 松本    000400
 RF 玉田 龍作 210010
 CF 安随亮一郎 210010
 3B 堀内喜代治 200100
  P 土田楳太郎 200100
 

〔二中軍〕
  C 松本  巍 200201
 CF 鍛冶 仁吉 300101
 2B 村井伊太郎 400001
  P 岡本    200110
 1B 藤野 三郎 210200
 RF 直木重一郎 300100
 LF 森本  功 310010
 3B 茨木 一三 210110
 SS 菅 和三郎 100210
 

【第二神戸中學初めて外人チーム對戦
明治
44年6月17日(土)東遊園地 午後4時開始
◎對ニューオルレアンズ號選手
(菅、増田稿)
 東都の野球界より飛報あり、曰く「斯界の雄将ニューオルレアンズ、アルバニー號野球選手来り、我野球界震駭せしめたり。近日関西に到らむ。と、即ち我等計を廻し腕を鍛へ東の空を望みつゝありしが、果せる哉、待ち設けたる敵は関西の野球界を風靡せむとして神戸埠頭に現はれ、連日當校選手と善戦し其有名嘖嘖たり。

 我ら二中健兒たる者、空しく黙して白旗を原頭に立つるに忍びむや。好機逸すべからずと直にアルバニー號に挑戦状を送りしが、敵は強敵ニューオルレアンズを以て我に當らしむ。六月十七日午後四時、東遊園地に於て、外人の審判の下に雌雄を決す。蓋し我野球部創立以来、碧眼金髪の輩と戦ふは是を以て嚆矢となす。されば我等選手の意氣平日に倍し、戦はざるの前既に敵を呑むの慨ありて東遊園地の一角白雲低く飛び交ふを見る。

 第一戦。我軍先づ攻む、松本、鍛冶遊撃にグランダーを送って一壘に倒る。而して續く村井も亦遊撃手ファーバーの妙手に刺さる。長躯の敵我選手の矮躯なる侮り、或は絶好のバントを送って内野の守備を撹亂し或は猛球を飛ばして内野の膽を奪ひ一擧五點を得たり。

 第二戦。健兒發憤せざるべからざるの期に至りしも橿村、茨木、直木奮戦の効無く相續て倒さる。レバー中堅の上に大飛球を呈せしも鍛冶の手中に得られ、フォックス、フライに生きしが三壘上捕手よりの投球に刺され、ファーバー四球を利せしが、アルウォース二壘にゴロを送って止む。

 第三戦。森本弱年の身を以て好く打ち一壘を得しが三壘上ファーバーの刺す處となる、菅又虚を衝いて一壘に進みしも二壘の露と消え、松本二壘の飛球に死す、ボイトンPゴロに倒れしが、ヘスター二壘遊撃間に大なる猛球を呈し、あはやと見る間に輕捷なる菅のシングルハンド効を奏し之を一壘に刺す。鯨の如き巨躯を壘上に晒せるは憫也。フエリーPゴロに死し。

 第四戦となる、鍛冶四球に出で為すあらむとせしが村井の2Bゴロの為にフォースアウトとなる。村井長躯して二壘を陥れんとして得ず、岡本三振して止む。敵代りて攻む、Oai.先づ左翼に安全球を飛ばして出でレバーの左翼安全球に生還す。續いてレバー、フォグス二壘を得しが、村井、岡本、松本の連絡よく行はれ、無残にも二壘に憤死を遂ぐ。次ぎて立てるはファーバーなり。彼は當チームの最強打者とて名ある者なるが、岡本の靈腕には顔色無く三振して止みしは痛快なりき。

 第五戦。是れは最後の戦也。我健兒如何でか空しく碧眼兒の馬蹄に蹂躪せられんやと奮戦努力せしが効も無く、橿村三振して茨木二壘ゴロに直木遊撃フライに倒され、遂に十A對○にて敗る。止ぬる哉。
 メンバー左の如し、

 ニューオルレアンズ號 10−0 神戸二中

〔ニューオルレアンズ號選手〕
 2B 
Reber(レバー)
 LF 
Fox (フォックス)
 SS 
Farbar(ファーバー)
  C 
Alworth(アルウォース)
 3B 
Boyton(ボイトン)
 CF 
Hestin(ヘステイン)
 RF 
Ferri(フェリーイ)
 1B 
Oaimichod(オアイミコード)
  P 
Dowselh (ドウセル) 

〔二中軍〕
  C 松本  巍
 LF 鍛冶 仁吉
 2B 村井伊太郎
  P 岡本 春男
 1B 橿村 賢次
 3B 茨木 一三
 RF 直木重一郎
 CF 森本  功
 SS 菅 和三郎
 

明治44年7月19日(水)午後4時開始
◎對クリッケット倶楽部
(吉川稿)
 「君等が三年になれば、クリッケット倶楽部と試合をなすべし」。とは前野球部長池田先生の語なりき。而して其語は深く我野球選手、否全野球部員の胸裡に印せられ、常に我等を激勵する處たりしが、今月今日其クリッケット倶楽部と試合をなすことになりぬ。

 炎熱焦く如き七月十九日の空少しく曇り、好球家の所謂野球日和なりき。而して淵に潜める龍にも比すべき二中と、其猛既に人口に噌炙せるクリッケットとの勝敗如何と好球家の集來する者無慮二千。我が熱誠なる聲援隊を始めとし凡そボールを解する、内外老若の別無くグラウンドの周圍を埋めぬ。三時頃より約一時間熱烈なる二中式武陽健兒的の練習を行ひ、愈四時池田多助氏審判の下に十八騎の龍驤虎鬪の槍杆は相摩し始めぬ。

 第一戦。我軍先攻、拍手の響四寂を破りて起るや、先鋒松本ボックスに立ちぬ、彼健腕を奪ひ一揮して投手の投球を、得たりと高く中堅の頭上に大飛球を送り一擧三壘を奪へり。之にて敵先づ膽を奪はる。次に鍛冶三壘に熱球を送りて一壘を得、二壘への盗壘妙を極む。此の間松本悠然として本壘に入る。勇将村井三振し岡本Pゴロに斃れ、山崎三壘に名を為さしむ、斯くして我陣を敷く。

 敵軍の劈頭コイ二壘に猛球を送るや村井之を一壘に投ぜしが、正鵠を失し敵をして難なく二壘を取らしむ。續いてアーチャー二壘のフライに斃れしが、盗壘に妙を得たるコイ易々として三壘を収めぬ。此際我軍失し、コイ生還す。四面に起る應援の叫に勵まされ益々堅く守ればクリステンセン、エリオン共に遊撃ゴロに斃る。我軍代りて攻む。

 第二戦。劈頭茨木一壘のゴロに斃れ、橿村飛球を右翼に送り、一壘を得しが、菅、吉川共にPゴロに斃れて我軍守備す。されど敵軍に於ても同じく得點無し。

 第三戦。の幕開かるゝや松本の小飛球に斃れし後を受け、鍛冶四球を取り一壘を得、又もや駿馬の如き彼は一躍して二壘に進みしが、天は空しくアウトの宣告を下しぬ。惜むべし。續く村井敵の魔球に弄せられ屍を本壘に晒して止み、ク軍代りて攻む。クーンゴロを二壘に送りて斃れ、ダコストに大飛球を送り、猛進して二壘を盗む。

 コイ猛球を以て遊撃の虚を衝きダコストを生還せしむ。コイ隙を窺ひて二壘を巧に奪ひ續くアーチャーの猛打、球は遥に右翼の側に落ち、コイ、アーチャー肩を並べて本壘に突入す。彼此處に於て四點を収め我陣形稍亂れむとせしが、此處ぞ武陽健兒の意氣剛なるを示す時なれと自重せしかば、クリステンセン、エリオンPゴロに死し漸く虎口を逃れし感ありき。

 第四戦。岡本小飛球に斃れ、山崎四球を得て一壘に進みしが二壘に刺され、茨木二壘に功を為さしめたり、ク軍の氣色益揚り、長棍一揮猛球を送らむとボックスに立ちたるカムペンも、岡本の手腕に施す無くして三振し、エリオンPゴロに斃れ、クーンの飛球松本に得らる。かくして、

 第五戦の幕は、開かれぬ。四周に起る「二中」の叫、聲援隊のハッスル、勝たが良い、熱誠の聲は喜々我士氣を鼓舞せしめ先鋒橿村Pゴロに斃れしも、菅巧に四球を盗み、一壘を利するや、吉川滿身の覇氣に託して痛棍一打、飛球忽ち中堅を襲ひ菅を三壘に送り、續いて自二壘を得たり。次に出でたる老勇士松本左翼に安全球を送りて一壘を奪ひ、菅、吉川一擧にして生還し、二點を加ふ。

 鍛冶四球を利せしも村井本壘上に死し岡本二點にゴロを送り鍛冶を二壘をの鬼と化せしむ。ク軍攻む。ダコスト安全球に出で、驍将コイ又中堅にヒットを飛ばし一壘を占む。アーチャー二壘の失に生き滿壘となる。されどクリステンセン三振し、エリオン遊撃にゴロを呈しせしかば、菅之を本壘に投じてダコストを刺し、次いでクレア中堅飛球に終る。

 第六戦。劈頭山崎二壘にゴロを出せしが、一壘之を失せしかば生き、忽ち二壘を奪ふ。茨木三振せしが橿村のPゴロ成功し山崎を三壘に送りて自も二壘を陥る。聲援益々奮ひ百雷の鳴動するが如く、観衆は正に発展せむとする二中の活動を刮目して待つ。

 この時我キャプテン菅ボックスに立ち必生の勇を奮て一揮し、敵の投手を瞠若たらしめ、山崎を生還せしむ。續く吉川左翼へ安全球を送りて生き滿壘となる。ワンアウトの聲高し。敵軍相警めて守備を巖にせしかば松本、鍛冶續いて凡死を遂ぐ。鳴呼天我に與せざるか、實に長蛇を逸するの感なり。されど敵既に力盡きけるにや又為す處無く。

 第七戦は始まりぬ。村井四球を利して一壘を得しも二壘に刺され、岡本投手の失に一壘を得るや山崎の三振捕手之を失し岡本をして三壘を得しめたり。時既に二死なるに捕手何を思ひけむ、三壘に悪球を投じ岡本を生還せしむ。茨木Pゴロに生きしが橿村三振して止む。敵の打撃愈鈍り又叙すべき活劇無し。

 第八戦。雙方の得點五對五、而して餘す處二回戦、我軍奮勵努力すべき時来たりぬ。菅四球を利して進みしが二壘に斃れ、吉川、松本共に三振して本壘上の露と消ゆ。敵軍又無得點に終わり、最後の一戦に移る。

 第九戦。鍛冶拍手の響きに應じてボックスに立ち巧に四球を得、一壘を得たるが不敵の彼忽ちにして二壘を攻む。村井二壘飛球に死せしが、岡本のバント鍛冶を三壘に送る。時に山崎の三壘ゴロクリステンセン逸しければ鍛冶勇躍本壘に入る。

 之を最後の一點と為す。敵軍恢復を勉めしが我守備の巖なる侵すべき隙だに無く、遂に七對五にて勝利の月桂冠は我九士の頭上を飾り、萬歳の叫天地を撼せり。思ふに野球部開始以来ここに四年、選手の技漸く熟し外敵を美事に打ち破りぬ。これ一に恩師池田先生の熱心なる教導に依るものにして今後の選手たるもの、この外敵撃破の歴史を汚すこと勿れ。成績は次の如し。