昭和12年(25陽会)1937年

NO3

◎對三中戰
 昭和12年5月?日 神戸二中
 審判・岸、加茂、岡田
 神戸二中 301 200 30=9
 神戸三中 001 020 01=4


一回(二中)一死後高原左前安打、山本三匍失、木村四球、投手ボークで高原還り、
      尾崎の左中間二壘打で山本、木村還り三點を擧ぐ。

三回(二中)木村二匍失、投手暴投で三進、津田四球、尾崎右飛で木村還る、奥田四球
      に出たが僅に一點のみ。
  (三中)吉田遊撃右を抜く安打、中堅手後逸で三進、田村三振、竹野四球後二盗、
      篠原の右飛で吉田還る、海老原三匍。

四回(二中)一死後高原四球、山本三壘強襲安打、木村捕邪飛、津田四球、尾崎二匍、
      一壘失で高原還り、一壘捕手に暴投して山本還る、奥田左飛。

五回(三中)山田三壘頭上を抜き、吉田四球、田村遊匍で吉田二封、田村二盗、竹野
      三飛、篠原二匍失で山田、田村還る、海老原遊飛。

七回(二中)芝山右前安打、二盗成り、立花左飛、池田四球、高原左飛、山本左翼越
      本壘打で三點、木村四球に出、二盗したが津田遊飛。

八回(三中)海老原、和辻四球、北川(福井の代打)三振、友國(杉浦の代打)二匍失
      で海老原還り、山田遊匍で友國二封、吉田四球、田村三匍。
九回 兩軍無為で二中勝つ。

《武 陽》
【全國中等學校優勝野球大會兵庫豫選】

 ☆對中外商10−1にて大敗す。
 昭和12年7月25日(日)甲子園
▽1回戰
 中外商業 1000 000 0=10
 神戸二中 001 000 0=1

 (7回コールドゲーム)

一回(中外)早司一越安打、石田四球、中濱も四球(二中池田投手、藤井左翼となる)
      石井、吉野、平田、八馬四球(再び藤井投手)山崎四球、中東二越安打、
      早司三遊間安打、石田四球、中濱三遊間安打に早司一舉本壘を衝き刺る。
      石井遊越安打、吉野遊飛、平田三振に止んだが、此回一舉十點を得。
  (二中)池田中前安打、高原の遊匍に二封、山本三壘を抜いたが木村中飛、尾崎二
      匍に空し。

二回 以後(中外)四四球、一安打を出し毎回走者を置いたが、得點に至らず。
  (二中)二四球三安打に捕手の失策に一點を返したのみ。遂に挽回ならず甲子園
      原頭に血涙を呑む。

 思へば昨秋軍を起してより勝つべきは勝ち、強豪をもよく倒して本年に入ってからは、連戰連勝に近い成績を舉げながら天運の何ぞ皮肉なる。

 兵庫王座の一角を狙ふものとして我も許し、人も許し、今日の此の日をのみ目指して、諸方に轉戰して武陽原頭に汗血をしぼって練習して來た二中が噫中外如き二流チームに敗れ様とは残念とも残念とも言ふべき語さへ出ない。

 山名先生諸先輩始め我々を期待して下さった校友諸君よ。すまなかった。勝敗は兎に角日頃の力量さへ出し得なかった我々又何をか言はんや。

〈神戸新聞〉
【第23回全國野球選手権大會兵庫豫選】

 昭和12年7月25日(日)甲子園
 開始午前零時35分=閉戰2時8分 審判・町田(球)佐藤、眞島(壘)
▽1回戰
 中外商業 1000 000 0=10
 神戸二中 001 000 0=1

 (7回コールドゲーム)

 〔中外商〕     〔二 中〕
 6 早 司 28打26 717 池 田
 5 石 田 8安5 5 高 原
 8 中 濱 0犠1 6 山 本
 3 石 井 1盗1 2 木 村
 1 吉 野 2振3 3 尾 崎
 7 平 田 12球2 9 津 田
 9 八 馬 2失1 4 立 花
 4 山 崎 9残7 8 芝 山
 2 中 東     8 奥 田
           171 藤 井

 △暴投=吉野 △交替=一回石井打者の時池田1、藤井7、山崎打者の時元通り、
  七回芝山退き奥田9 △時間=1時間33分

〔戰の跡〕全く豫想外の試合だった。ベスト4の一角を脅かすと期待された二中が恃みとする藤井投手全く亂調子で、リリーフの池田もまた不調で一回中外第一打者早司の安打後七人の打者に四球また四球の連續、そのあとへ三安打と四球、この回實に十五人を打箱に送り一擧十點の大量得點を擧げられ試合は早くも一回に於いて決してしまった。

 二回以後漸く立直った藤井は背後の攻守に頼って好投し以後中外の打力を阻んだが、この大差は如何な二中とて回復すべくもなく三回安打の藤井が投手の暴投を捕手の怠慢から一擧本壘を突いて一點をかへしたのみで意外な大敗を喫した。

 背後にあれだけの好守備陣を控え中外に劣らぬ力倆を持ちながら只一回の不調で早くも退かねばならなかった二中ナインは全く天運がなかった。