大正3年(2陽会)1914年

NO4

【對外奮闘史】
◎對御影師範野球仕合
 
大正3年
1025日(日)御影師範  審判 球審 安髄、壘審 失名 
 神戸二中6A−2御影師範

        打犠安三四得刺補失盗
 〔御影軍〕  撃牲  死
        數球打振球點殺殺策壘
 C  河 合 3010007000
    福 田 2001001110
    鈴 木 3000014010
    苦 貝 3000000010
 P  池 内 2010110901
    鴨 川 2000101000
    岩 崎 3000002000
    樋 口 3001001000
    中 尾 3000002000
    合計 
 2402222181031

 〔二中軍〕
 1B 天 野 2101018010
 C  松 本 2101002200
 CF 今 村 3010011113
 3B 宮 岡 1010213100
 P  岡 本 3000000710
 2B 今 井 2001001200
 RF 村 田 1012011000
 LF 橋 本 2100102000
 SS 田 中 2011022021
   合計 
  1834636201354 

 岡本 四球 二、三振 二
 池内 四球 三、三振 六
 宮岡 ホームラン 一、田中 二壘打 一

 秋巳に深く菊の香も床しき十月二十五日、我校は御影師範學校野球大会に招かれ、我は九勇士を派しぬ。夏季休暇以來一高のコーチを受けたる九勇士は鋭氣勃勃として必勝を期して御影に向ひぬ。午後四時御影出身の安髄氏を球審に壘審(失名)の複審にて御影師範選手と干戈を交へぬ。

 第一回。御影先攻、我軍陣を敷くや敵の第一打者河合劈頭三壘を強襲せしも快漢宮岡莞爾としてグラブに収め一壘に投じて之を屠り次で福田左翼飛球に死し、鈴木ファウルを宮岡に得られて止む、我軍攻撃、天野如何にしけん劈頭三振し松本Pゴロに殪れ、今村中堅に大々飛球を呈して止む。

 第二回。一死の後池内遊撃越の安打に出で、續いて二壘に進む、岡本二壘に之を刺さんと投ぜしも正鵠を失し、ボールは轉々として遠く外野に到る。時到れりと池内突進して先づ本壘を破る。鴨川四球を得しも束の間一壘に刺され岩崎Pゴロに斃れて止む。宮岡四球を利せしも岡本の遊撃飛球にダブルプレーを喫し今井三振して敵攻む。

 第三回。敵の凡打に反し我軍時到れり。村田ボックスに立つや、彼一打中堅に安打し天晴なる初陣の功名を拍し、橋本の犠牲球に二壘に進み、田中遊撃を襲ひしに、暴球を投じて村田生還先づ一點を収め、田中二壘による。

 天野三壘を襲ひしに之又一壘に暴球を投じて田中を生還せしめ天野二壘による。續く松本犠牲球を打ちて天野壘を進め今村ボックスに立ちて難なく中堅に安打して天野悠々本壘を落す。次ぐ宮岡四球を得しも岡本中堅に飛球を呈して名をなさしめて止む。

 第四回。敵一死の後鈴木遊撃の失に生き次いで二壘に進む。苦賀井(貝)Pゴロに斃れ池内投手の失に生き次なる鴨川の一打は左翼に飛び、あわや安打となりて一點を得しむるかと思ひの外、彼橋本は外野の一隅より疾風の如く突進して得意のランニングを發揮して安打と註せられし球ものゝ見事にグラブに収め敵をして落膽の聲を放たしめたるは愉快なりき。我軍凡打に終る。

 第五回。田中ボックスに立つや好球を待てる折しも投手の投じたる球は君の得意の處に來るにや、長棍一打すれば球は左翼の左を抜きて絶好の二壘打となり、次いで三壘に逼りて之によれる時、我は第一打者に廻り來りたり。

 天野立ちて一振すれば大飛球は左翼に飛びぬ。機を見るに敏なる田中は左翼手のボールをつかむ否や脱兎の如く本壘に逼りて又一點を加へ、松本三振せしも今村一壘手の失に生き二壘に據るや快漢宮岡ボックスに立つや敵投手は滿身の力を込めて投げ出す球を宮岡得たりとばかり長棍一振すれば戞然として音あり、球は中堅右翼間を抜きて絶好のホームランとなり今村、宮岡二騎轡を竝べて牙城を陥入る。

 岡本大飛球を右翼に得られて止む。五回の裏。五回の表岩崎中堅飛球に斃れ樋口右翼にゴロを呈し一壘に投じ返せしもボール高きに過ぎ、これと見たる樋口二壘に突進せしも、機敏なる我捕手は直ぐ様ボールを取りて二壘に投じて樋口を刺しぬ。中尾左翼に安打し續く河合の中堅安打に送られ更に三壘を奪はんとして三壘に刺る。

 第六回。兩軍凡打。 第七回。御影軍勢を挽回せんとあせりたれど池内二壘に刺され、鴨川も亦二壘にフォースアウトとなり樋口遊撃を突いて生きしも中尾三振して遂に七回にて二對六+アルファーにて我軍の勝に帰しぬ。時に五時二十分夜のとばりは漸く我等を包み西の方武陽原の方に夕陽の没せんとして一條の光明を放ちて我等の勝を祝ふ者の如し。