大正11年(10陽会)1922年

NO2

〈神戸新聞〉
[第1回京神中等學校對抗野球戰]
 大正11年4月29日(土)神戸・大手山下グラウンド
 午後3時45分=6時10分 審判・稻田(球)安江(壘)

 神戸二中 100 020 001=4
 瀧川中學 000 002 001=3


 〔神戸二中〕    〔瀧川中學〕
 8 稻 田     5 木 谷
 7 甲 斐     6 石 井
 1 建 部     8 村 上
 2 宇麼谷     7 手 島
 5 榎 本     2 松 野
 9 中 野     9 柳 生
 3 石 場     3 橋 本
 4 尾 西     1 今 井
 6 松 尾     4 別 所

 打安犠盗三四刺補失   打安犠盗三四刺補失
 數打打壘振死殺殺策   數打打壘振死殺殺策
 323037227246   3521310627215

☆神二中悪戦苦闘して辛く瀧中を屠る 手に汗握せた四對三☆

第一回=二中稻田三匍高投に一擧二壘を占め甲斐の犠打に稻田三進し、建部の遊匍低投に稻田生還し先づ一點を占める。宇麼谷四球、榎本三匍失に出たが建部三壘に封殺、宇麼谷亦三盗せんとして投手と三壘手の策戰に斃れ退く。
▼瀧中=木谷三匍高投に一擧二壘を占め石井の犠打に三盗したるも續く村上休む。(二中一點、瀧中零)

第二回=二中中野遊匍、石場二飛、尾西左飛に凡退。
▼瀧中=松野三振、柳生投匍、橋本遊匍に何れも凡死。(兩軍零)

第三回=二中松尾中飛、瀧中村上美技を演じて之を収むるや瀧中應援團一齊に狂喜する。次で稻田三振、甲斐二匍と枕を並べて討死す。
▼瀧中=今井二匍に死し別所四球に出たが木谷の投匍に二壘に封殺、續く石井の遊匍失に木谷二壘に進み走者一、二壘に據って好機を得たが村上の遊匍に惜しくも退く。
(兩軍零)

第四回=二中建部一匍、宇麼谷左翼に絶好の安打を送り敵の混亂に乗じ一擧三壘を占め榎本の遊匍に本壘を奪はんとしたが惜しや、寸前に刺され榎本二盗したるも中野の投匍に交代。
▼瀧中=手島中飛、松野(代走別所)遊匍失に生き柳生三振、松野二盗したるも橋本の二匍に退く。(兩軍零)

第五回=二中石場三振、尾西四球、松尾三振、即ち二死者後稻田の遊匍失に尾西三盗、稻田亦二壘に進み壘を離る。瀧中軍之を挟撃せんとするやその間尾西長驅生還し續く甲斐の遊匍失に稻田亦生還。甲斐二盗せんとし刺されて止んだが此回二中二點を奪取して意氣大に昂った。
▼瀧中=今井遊匍一失に生き別所三振、更に木谷投匍に生きたが今井二壘に封殺、次いで木谷二盗せんとし捕手の高投に一擧三壘に進み石井四球に出で二盗し走者二三壘に據るの好機を作ったが、村上の投飛に空しく涙を呑む。(二中二點、瀧中零)

第六回=二中建部二匍、宇麼谷左翼に大飛球を送ったが手島好く捕へ榎本三振して無為。
▼瀧中=手島四球、松野中飛、柳生遊直失に生き松野二盗し榎本三匍低投を一壘失するや手島生還、續く今井の犠打に柳生亦生還して瀧中一擧二點を収め應援團の熱狂其極に達した。別所投匍。(二中零、瀧中二點)

第七回=二中中野、石場共に二匍に斃れ尾西三壘右を抜く安打に出で二壘を盗んだが松尾の三振に休む。
▼ラッキーセブンではあり打撃順もよいので瀧中決死の色がある。木谷遊飛に斃れ石井四球、村上左飛を戞飛したが二中の甲斐に名を成さしめ石井二盗したが村上の一匍に退く。(兩軍零)

第八回=二中稻田二飛、甲斐、建部共に三振。
▼瀧中=松野、柳生、橋本三者三振。(兩軍零)

第九回=二中宇麼谷遊匍高投に一擧二壘を占め榎本の投匍に宇麼谷三壘を奪はんとしたが一壘の好投に依って併殺、中野遊匍高投に生き石場の二壘右を抜く安打に生還、尾西投匍。

▼瀧中=今井一壘越安打に出たが別所の遊匍に二壘に封殺、即ち一死後別所捕逸に二壘に進み續いて木谷四球、石井死球に出で滿壘となり絶好の機會となるや就中應援團の歡呼場を揺がす恰も好し村上の三前軟打に別所生還。村上亦生きて依然滿壘、手島三振の後松野主将一校の重責、勝敗の運命を双肩に擔ひボックスに起つ、觀衆亦片唾を呑んで非常な緊張味を示したが、一振又一振遂に三振に斃れ四對三の接迫戰にて瀧中一敗地に塗れ去ったのは惜しむべき限りであった。時に六時十分。