大正11年(10陽会)1922年

NO4

《武 陽》
◎對姫路中學春期定期戰

 六月十一日絶好の野球日和なり。我此の日白鷺城下の雄姫路中學を邀ふ。彼や捲土重來の勢を以て去年の辱を雪がんとす。然れども吾武陽魂には何條かなふべきや。先輩橋本氏主審吾軍先攻のもとに午後二時五分戰端を開く。

△第一回 稻田の遊匍後甲斐三匍失に生き二盗、建部の中堅越二打に生還、建部又三本壘を盗んで茲に二點を奪ひしも宇麼谷、村尾凡退。
▲姫中福澤三壘左をぬき小林の一壘失に走者一二壘にあり。次打者瀬戸三壘左を抜く二壘打に福澤生還、瀬戸、小林二三壘にありしが續く三者凡退。

△第二回 尾西遊撃越安打に出でしが後援なし。
▲姫中二死後梶原、福澤、小林敵失と四球に各壘に機を窺ひしが瀬戸三振。

△第三回 稻田四球に出でしも甲斐、建部、宇麼谷凡退。
▲敵方淵岡、北條三振後丹羽二壘失に壘を得しも有阪三振。

△第四回 村尾遊飛、尾西安打、中野、石場三振。
▲姫中井田遊飛後梶原の左翼安打、福澤のPゴロに封殺。小林、瀬戸四球と敵失に出で滿壘となりしも北條三振。

△第五回 我軍に甲斐の左翼安打、彼に北條の三遊間安打あるのみ。
△第六回 敵福澤四球に出でしのみ。
△第七回 吾軍三者凡退。
▲姫中淵岡四球に出で二盗せしが三壘に斃る。北條又四球に出で丹羽の三壘野手選擇有阪の一壘失に乗じ一點を奪ひ同點となる。

△第八回 一死後稻田左中間安打、甲斐の左翼二壘打に生還、建部、宇麼谷安打し甲斐生還、建部又續いて本壘を奪ふ。二死後尾西、中野敵の守備を亂して宇麼谷を生還せしめしが中野三壘上に刺さる。
▲敵方梶原遊飛、福澤三振後小林四球を利し瀬戸の左翼越本壘打に二者生還す。淵岡安打せしも北條三振。

△第九回 吾軍輕く退く。
▲丹羽四球に出、點をなさんとてあせれども續く三者凡退す。
 かくて勝利は三度我手に歸す。時に四時三十分、得點六對四。

 神戸二中 200 000 040=6
 姫路中學 100 000 120=4


  〔本校〕   〔姫中〕
 8 稻 田  6 福 澤
 7 甲 斐  2 小 林
 1 建 部  8 瀬 戸
 2 宇麼谷  5 淵 岡
 8 村 尾  1 北 條
 4 尾 西  4 丹 羽
 9 中 野  3 有 阪
 3 石 場  9 井 田
 5 榎 本  7 梶 原

◎對市岡中學戰
 六月三十日。鳴尾に浪速の勇市岡中と戰ふ、午後五時彼の先攻に開始、敵の當て主義に出で十點を算したるに反し我れ収むる所僅かに二點にして破る。

 市岡中10−2神戸二中

  〔本校〕   〔市岡〕
 6 稻 田  5 森 田
 7 甲 斐  71 池 田
 1 建 部  8 土 肥
 2 宇麼谷  2  南
 8 村 尾  17 近 藤
 4 尾 西  6 河 村
 9 中 野  9 億 川
 3 石 場  3 伊 吹
 5 榎 本  4 神 野

〈朝日新聞〉
【第8回全國野球選手権大會兵庫豫選】
 大正11年7月28日(金)東遊園地
 午後3時開始 6時45分閉戰 (審判)球審・稻田 壘審・中村

▽1回戰
 神戸一中 000 330 002=8
 神戸二中 100 000 200=3


 〔一 中〕    〔二 中〕
 中 梅 田    遊 稻 田
 二 高 原    中 宇麼谷
 遊 高 松    左 甲 斐
 投 高 杉    投 建 部
 左 下 里    二 尾 西
 三 馬 淵    三 村 尾
 右 井 上    一 石 場
 捕  橘     右 中 野
 一 片 倉    捕 榎 本

 失犠盗四三安打  失犠盗四三安打
 策打壘死振打數  策打壘死振打數
 703241140  605513333

◇第一回。一中梅田三匍一壘暴投に生き高原の軟打を投手二壘へ暴投し無死で走者一二壘に據り二中に危機來れりと場内は緊張に滿ちたが、遊直を遊撃二壘に觸れダブルプレーに危機去り、高杉左飛に斃る。
▲二中稻田、宇麼谷三振、甲斐四球に出で二盗、建部投匍して一壘失に生きその隙に甲斐生還、貴重なる一點は二中に先取され尚ほ建部三壘に據り捕手のインターフェヤーに尾西出で二盗し村尾四球に出で二死滿壘に二中逸すべからざる好機來ったが石場の三振に終る。(一中零、二中一)

◇第二回。一中凡退。
▲二中中野三壘右を抜く安打に出で榎本の犠打に送られたが稻田三振、宇麼谷左飛に為すなし。(兩軍零)

◇第三回。一中快打なく三者凡退。
▲このインニングに一中軍下里捕手、井上左翼、八木右翼に入り陣容を改む。二中二死後尾西捕手のインターフェヤーに出でゝ二盗したが村尾三振。(兩軍零)

◇第四回。一中高原の二匍を一壘低投に二壘を占め更に二壘への投手暴投に三壘に據り高松四球に出で二盗無死で二三壘に走者據り高杉遊三間の安打に二者生還、一躍地を替へ一中一點を勝ち越す、尚無死で下里二匍に生き馬淵三壘手に邪飛を得られ井上の捕前バントに高杉本壘に斃れたが八木の中前安打に下里生還、尚三壘に走者あったが片倉の投匍に終る。
▲二中石場四球に出でたが二盗成らず、中野二匍、榎本四球に出でたが稻田の二飛に止む。(一中三、二中零)

◇第五回。一中二者凡退の後を受け高松一壘越安打に出で二三の連盗に成功し高杉の遊三間の安打に生還一點を加え下里三壘の右を抜いて出で馬淵右前安打に高杉、下里二者生還、二中軍の守備混亂甚だしく井上四球に出でたが八木の中飛に終る。
▲二中宇麼谷四球に出で二盗したが、甲斐の二飛にダブルプレーを喫し建部三振。(一中三、二中零)

◇第六回。一中三者凡打。
▲二中三者凡退。

◇第七回。一中快打なく凡退。
▲二中中野遊匍に死し榎本三壘左を抜く二壘打、稻田三振不死一壘に斃れ榎本三壘を占め宇摩谷の遊匍失に榎本生還、甲斐中前直球に宇摩谷生還、建部の三振に。(一中零、二中二)

◇第八回。一中馬淵二越安打に出たが井上三振、馬淵二盗を失し八木二匍に一中軍振はず。
▲二中尾西遊匍、一壘高投に二壘に生きたが三者三振。(兩軍零)

◇第九回。一中片倉遊越安打、梅田三匍に片倉二壘にフォースアウト、高原投匍に生き高松二匍に高原一壘にフォースアウト二死となったが高杉三遊間の安打に梅田生還、下里の遊前安打に高松歸り、更に二點を加え計八點を算す。
▲二中最後の奮闘に引き緊って榎本立ち遊匍一壘暴投に次で二盗に成功し稻田三振したが、宇麼谷の犠打に三壘に送られ一點を加えんとしたが甲斐の邪球を野手に得られて遂に八對三に一中軍の勝利に帰した。(閉戰六時四十五分)

〔概評〕神一中對神二中戰は蓋し當日の呼物である。古き歴史を有する試合だけに兩軍選手は共に極度に自重し、そのため却ってつまらぬ失策を度々演じた。
 一中第一回目無死にして走者一二壘にある時大きく打たんとして却ってダブルプレーを喫した。あの際一中は何故に正攻法によらなかったか、二中軍はこれによって大いに元氣を得、同回の裏一中一壘手の大失敗により一點を先取して一中をして苦戰せしめた。
 併し投手に於て劣れる二中は四回、五回に一中の亂打に會ひ、勝敗の數は既に定った。二中軍は更に眞面目なる練習により捲土重來再び覇を唱へんの日を希望して止まぬ。

《武 陽》
【兵庫縣野球大會出場之記】
◎對神戸一中戰
 大正11年7月28日(金)東遊園地
 鳴呼何等の痛快事ぞや。我今茲に一中と戈を交へんとす。彼捲土重來以て昨秋の敗を雪がんとす。吾又去年の榮を荷はんとす。破らずるべからず。破らざるべからず。
時は大正十一年七月二十八日殆も酷熱の午後三時我まづ堅陣を張る。

△第一回 トップ梅田三匍暴投に出づるや高原バントして一二壘による。次打者高松長振せば直球遊撃稻田のグラヴにありて梅田を併殺す。四番高杉左翼に飛球をあげて我と交る。
▲稻田、宇麼谷三振に退きしも甲斐四球をよりて出づ。建部のPゴロ一壘を失せしむるよと見る間もあらず甲斐飜然三壘をへて本城を陥れ茲に先づ幸先きよき一點を占む。其間既に三壘にあるに敵の狼狽一方ならず尾西捕手の障害村尾四球に滿壘のチャンスを造りしも石場かひなく三振に退く。

△第二回 一中下里遊匍、馬淵三匍、井上三振に顔色なし。
▲中野三遊間に絶好のヒットを放ちパスボール及び榎本の犠打に三壘に進みしも稻田の三振、宇麼谷の左飛に又復好機を逸す。

△第三回 (敵方橘退き八木入る)八木Pゴロ、片倉捕手飛球、梅田Pゴロ。
▲甲斐の飛遊、建部の遊匍後尾西又も障害に出で二盗せしも村尾三振に終る。

△第四回 敵はノーランなり。あせって攻む。高原まづ一壘失に二壘を得、高松四球に各々盗壘すれば高杉遊撃左をぬきて二者生還す。下里内野安打二盗して走者二三壘による。馬淵三邪飛に死し井上の捕手前バントに高杉本壘を窺って刺され八木又安打に出で下里入壘せしも片倉のPゴロに危機去る。
▲敵の得し所僅かに三點なり。四球をよりし石場二盗効を奏せず、中野三匍後榎本又四球を利せしも稻田二直飛に退く。

△第五回 敵は梅田三振及高原遊飛の後高松二壘安打に出で一擧三壘を盗めば高杉遊撃に安打して之を生還せしむ。高杉二盗し下里の野手選擇と共に馬淵の安打に生還。井上四球後八木中堅に飛球を上ぐ。
▲宇麼谷の四球二盗、甲斐の二壘直飛に併殺を喫し建部三振す。遺憾やる方なし。

△第六回 一中方片倉、梅田、高原凡打。
▲尾松二盗、村尾三振、石場邪飛に涙を振ふ。

△第七回 ラッキーセヴンは來たりぬ。敵は高松、下里凡打、高杉三振になすなし。
▲吾軍今こそは點を加へざるべからず。中野遊撃を襲ひて倒れしも榎本の長棍一振球は三壘をぬいて唯一の二壘打となり三盗す。稻田三振するや宇麼谷奮然遊撃をねらへば彼暴投して二壘を得榎本生還す。續く甲斐中堅に安打して宇麼谷本城を乗取りしも既に二死なり建部の三振に止む。

△第八回 一中馬淵中堅安打、井上三振後二盗せんとして榎本に強肩に刺され八木二匍。
▲又點を窺ふ事急なり尾西遊撃をみだして二壘を奪ひしに、鳴呼何ぞや續く三者三振に屠るとは。

△第九回 敵又我に肉迫す。片倉遊撃安打は梅田の三匍に封殺されしが梅田に高原の野手選擇球に二壘に達す。續く高松又Pゴロにて高原を封殺し梅田を三壘に送り二盗して又も吾に危機を與ふ。と、高杉二遊間をぬきて梅田生還し下里遊撃をみだして高松又も入壘し更に二點を加ふ。馬淵一壘邪飛飛球。

▲所謂攻め仕舞ひなり。吾全軍に決死の色漲る。而も天なほ我に幸せざるか。榎本遊撃の暴投に二壘を踏めるに稻田の長棍三たび空に唸り宇麼谷二壘に強打せしも榎本を三壘に送るに止まり望をかけし甲斐又飛球を捕手にえられて千秋の恨をのんで退く、噫。
 如何んせんこの敗戰、而も一中に破れしを八對三、八對三、何ぞ其のうらめしき。願ふ所はただ「復讐を忘る勿れ」のみ。

▽1回戰
 神戸一中 000 330 002=8
 神戸二中 100 000 200=3


  〔二中〕   〔一中〕
 6 稻 田  8 梅 田
 8 宇麼谷  4 高 原
 7 甲 斐  6 高 松
 1 建 部  1 高 杉
 4 尾 西  72 下 里
 5 村 尾  5 馬 淵
 3 石 場  79 井 上
 9 中 野  9 八木橘
 2 榎 本  3 片 倉