大正11年(10陽会)1922年

NO1

《武 陽》

◎對關西學院普通部戰 大正11年4月22日(土)關西學院

 關學普通部 110 510 7=15
  神戸二中 101 110 1=5


 〔本校〕    〔關普〕
 6 稻 田  81 今 北
 7 甲 斐  2 西 川
 1 建 部  6  辻
 2 宇麼谷  18 河 原
 5 榎 本  3 井 田
 3 石 場  7 中 村
 4 尾 西  4  森
 9 楫 野  9 花 房
 8 中 野  5 細 川

 △三壘打=甲斐、細川
 △二壘打=井田

◎對瀧川中學戰 大正11年4月26日(水)神戸二中
 神戸二中 9−7 瀧川中學

 〔本校〕    〔瀧中〕
 8 稻 田  5 木 谷
 7 甲 斐  6 石 井
 1 建 部  8 村 上
 2 宇麼谷  7 手 島
 5 榎 本  2 村 野
 9 中 野  9 柳 生
 3 石 場  1 今 井
 4 尾 西  3 橋 本
 6 松 尾  4 別 所

[京神野球大會出場之記]大正11年4月29日(土)山下グラウンド
 本年度より神戸新聞主催の下に開かる。本校乃ち参加す。

◎第一回戰對瀧川中學 四月二十九日午後四時、稻田、安江兩氏審判
 本校先攻に開始。
 第一回 稻田三壘手の暴投、甲斐の遊匍に三壘を奪ひ建部の遊匍捕手失に生還先づ一點を得。建部一擧二三壘を得んとして刺され、宇麼谷四球に出るや榎本の一匍失に走者一二壘による。時しも宇麼谷又三壘を盗まんとして刺さる。
▲瀧中木谷三匍暴投に二壘、石井のPゴロに三壘を得しが村上、手島三振。

 第二回 中野遊匍、石場二飛、尾西左翼飛球
▲松野三振、柳生投匍、橋本遊匍。

 第三回 松尾中堅に快打せしも獲られ稻田、甲斐凡退。
▲敵軍一死後別所四球を利せしも投手の牽制に倒れ、木谷、石井共に遊撃に打ちて出でしも村上の遊匍にやむ。

 第四回 一死後宇麼谷三壘越の安打し一擧三壘をふむ。續く榎本の遊匍に本壘を窺ひて刺され中野投匍す。
▲瀧中方松野一壘をふみ別所代走二盗せしのみ。

 第五回 我一死後尾西四球に出で二死後二壘を得、稻田の遊匍失に三壘に至り本壘を奪ふ。稻田二三連盗し甲斐の遊匍失に生還、甲斐の二盗効を奏せざれど既に二點を加ふ。
▲瀧中今井一壘手失に出で別所三振、木谷Pゴロ、今井を封殺し連盗して三壘に至る。石井又四球をより二壘に進みしが村上投飛を打ちあぐ。

 第六回 本校三者凡退。
▲敵手島先づ四球を得一死後柳生の遊直失に走者一二壘に撻る。橋本の三壘手暴投に手島生還、走者尚二三壘にあり此の時今井の犠牲遊匍に柳生生還。橋本三壘にありしが別所投匍。

 第七回 本軍二死後尾西三壘左に二壘打せしが後なし。
▲瀧中一死後石井四球に出でしがこれ又後援なし。

 第八回 三者凡退。
▲瀧中三者三振

 第九回 本校宇麼谷内野安打に出でしが榎本のPゴロに併殺さる。中野又も内野安打に出で二盗し、石場のタイムリー安打に生還一點を加しが尾西凡退。
▲敵今井内野安打に出で別所の遊匍に封殺。別所パスボールに進み木谷、石井の四死球に滿壘となる。折しも村上のバント僥倖内野安打となり別所生還又復滿壘となりしが、建部の怪腕手島、松野を三振に屠り四對三にて危く勝つ。

 備考、兩軍メムバーは二十六日瀧川對校戰の時と同じ。
△二壘打=尾西