五月闇に敵の靈の緒斷ちにけり。
明治四十二年六月七日、我が二年撰手對関西學院二年級撰手の試合は武陽原にて開かる。關西學院の名は屡聞きゐたりしも未だ鋒を交へたることなし。本日午後菊名氏審判の下に開かる。兩軍の撰手
次の如し。
明治42年6月7日(月)神戸二中
神戸二中 010002 0400=7
關西學院 001 010 000=2
〔二 中〕 〔關 西〕
直 木(重一郎) P 木 村
井 口(留市) C 池 本
菅 (和三郎)SS 中 西
中 村(従吉) 1B 奥 (英男)
前 川(俊栄) 2B 塚 本
藤 野(三郎) 3B 三 木(政太郎)
横 川(市平) LF 臼 井(正策)
菊 岡( 明) CF 西 (驥一)
村 井(伊太郎)RF 明 石(敏雄)
一聲高きプレーの響きと共に、應援隊側より一度に起る拍手喝采の裡に、十八騎の健兒は英氣凛然として現れたるは實に勇ましくぞ見受けられける。兩軍倶に一戰は無點にて終り、二回我軍の横川熱球を遊撃に送りて成功し、一點を収めぬ。
敵軍猶ほ得る所なし。而して漸く第三回の幕も開きければ、敵の攻撃の勢益々甚きを加へて物凄く、遂に我軍の失錯に乗じて一點を得たるは、實に敵ながら感心の外なし。
四回難なく終りて五回策を講じ敵を弄して一點を収む。然れども敵猶ほ悠然たる態度にあり、六戰の幕は落ちて、我軍猛虎の勢を以て、二點を収めたるに反して、敵亦得る所なし。意氣冲天、軍破竹の勢を以て攻めぬ。拍手の響き彌次の聲に、八回となるや、老将我軍の井口デッドボールに出でて、續く菊岡死し、後を受けて直木四死球を利し、菅又四球に出づ。敵稍々疲勞し始めたるが如し。
これに乗じて村井の安全球は、中堅の左へと飛びてければ、井口直木踵を接して本壘に入り、菅、村井亦難なく生還して、八回の活動も止みたり。九回いと平和なりき。水無月の空もいとよく晴れて平和なりき。兩軍の撰手一同しばし憩ひ、審判菊名氏の評を聞きて散じ去りぬ。凱歌津々として武陽原の何所よりか湧けり。之れぞ校友の同情の叫びなる。
水無月の七日關西を破りてより、一ケ月ならむとする本(七)月四日、一中第二撰手對我軍との試合は開かれぬ。之れ我軍をして血湧き肉躍らしめたる好敵手なりき。左に其の成績を書かむ。此の試合には兩軍實によく守り克く攻めたり。
我軍二回に二點、三回に一擧して四點を収めたり。四回となりて稍敵に弄せられて、三點を與へたるぞ不幸なりし。斯くして試合は終り解散せり。今日の戰状を思ひ思ひに評して、家路へと向ひたる時は實に爽快なりき。六甲の峯は我を迎へて笑めるが如く湊川は我等の去るを惜しむが如く初夏の風、ユーカリの緑を揺りてまた我等の衣をも吹きぬ。
(二軍)
神戸一中 000 300 0=3
神戸二中 024 000 0=6
四十二年八月廿五日「MATCHLESSCLUB」より夏季休暇練習中戰を申し込まれぬ。我軍如何で退くべき直に諾す。されど、こは夏の試合なれば夏休暇練習の記の中に入れたり。されば唯此所に應援隊の勞を謝するのみ。
長空孤雁鳴きて一星霜、恨雲を排して弦月を望む
かくして第二學期は開かれぬ。一葉散って天下の秋を知る、納涼の深緑も散り初めて、山は錦を着飾り野は野分に薄萩野菊今ぞと咲き出で實に好天氣なる十月十日第一中學校の野球大會は遊園地にて開かれたり。
我軍は策を講じて武陽男子の腕を示さんと午前遊園地に至る。午前十時頃なりけむ五回を期して鼎の輕重を問ふべしと、我軍先づ陣を敷きぬ。見ずや現れいでたる九勇士の氣鋭の其の凛然たる英氣を。
敵の先鋒塚本、之れ即ち敵の強打者也。直木打たさじと思ひたりけむ遂に之れに四死球を與へて生かしぬ井上の三壘打、将に塚本を生還せしめむとせるも、老将藤野の投球正鵠を得て脆くも本壘に之れを判(刺)しぬ。續く松尾一振、井上盗壘、三壘に進みぬ。而して松下犠牲球を三壘に送りて井上生還、松下生く。續く丹波脆くも三振し、松下二壘に立往生。我軍代り攻む。
村井の先鋒熱球を中堅と右翼との間に送りて、一擧して三壘に至り、将に本壘に向けて猛進せむとする折しも投ずる外野手よりの球は、正鵠を失し、村井悠々として喝采場裡に本壘を踏みぬ。
續く井口四死球に生き盗壘妙を得て二壘に至る。藤野弱球に生き、菊岡四死球に出でゝ、茲に滿壘となる。續いて武陽の鎮将前川大任を負ひてボックスに立ちぬ。日頃の得意の一振、たちまち熱球を遊撃に飛したる瞬間、三壘上にて本壘を睥睨したりし井口、先づ牙城を陥れぬ。またもや敵の遊撃事をなすに急ぎたりけむ、失錯して藤野を生還せしめむとせしも、まんまと好球を本壘に投じぬ。
失錯は成功を生みて藤野危機一髪にして、惜しくも敵の剣にかゝりて倒れぬ。中村の犠牲球に菊岡生還し、菅三振したれども、川本初陣なるに克く敵投手の術を窺ひけむ、安全球を二壘の後に飛ばして、前川をして生還せしむ。
一擧四點意氣益々旺盛。痛快々々の聲拍手の響、彌次の聲、一時は滿場を壓してなす所を知らず。直木三振して活躍の幕も閉ぢられぬ。時に四面の観客水を打ちたるが如し。二回、三回、四回兩軍とも克く攻め克く守りて得點なし。
五回の幕は彌次の熱狂につれて開かれぬ。敵此處を先途と殊死して迫り來れども、我軍の直木、井口克く之を制したりければ、黒田今井本壘の露と消えたり、木村四球を利して長驅本壘へと突入しぬ。我軍さはさすまじとて投じたる菅の球、稍正鵠を失ひ、塚本辛じてセーフとなりしも後續かず、此に於て我軍四+A對二にて大勝し、名譽ある月桂冠は勝色軍の手に入りぬ。
應援隊より起る武陽の凱歌、歡呼の聲にぞ暫しは鳴りやまざりける。月と空とを外にして此所に鍛へし我力ある腕は鳴りぬ。肉も躍りぬ。二中軍萬歳の聲廣き遊園地に滿ちて、カーキー色益々意氣旺盛也。思ひ起せば一年前の此頃此のグラウンドに、此の芝生青き中にて、大敗の汚名。
カーキー服の敗北、弦然愴然其の當時の戰士無念や涙をおさへ恥をしのび長恨切歯せしが遂に今日會稽の辱を雪ぎて九勇士戎衣に錦を飾りて凱歌を奏し、相並びて英姿凛然として退陣せり。鳴呼痛快。鳴呼痛快。
然り而して野球部の諸君此の勝!!!此の驕!!!果して如何!!!あゝ秋雲は晴れて七夜の弦月清し。
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