明治42年10月10日(日)居留地遊園(東遊園地)
神戸一中 100 01=2
神戸二中 400 0X=4
(5回試合)
四十二年十月十七日我校庭に第二回野球大會開かる午後に一中一年撰手對我校一年との試合ありき。其兩軍の撰手次の如し。
神戸一中 3對18A 神戸二中
〔一 中〕 〔二 中〕
寺 田(正雄) P 建 部(亨)
岸 本(泰春) C 松 本(巍)
稲 津(榮太郎) SS 高 瀬(清)
三 宅(榮一) 1B 行 木(定一)
祖文江(始) 2B 岡 本(春男)
西 村(昌) 3B 泉 谷(謹三)
武 藤(誠之助) LF 橿 村(賢治)
菅 原(貞郎) CF 鍛冶谷(龍太郎)
田 村(義正) RF 松 浦(嘉蔵)
此日我一年撰手得點十八+A對三の大勝利なりき。中途に於て建部を投手たらしむ。盖し建部ならば最適すれば也。以下大略「大會記事に編入」。
茲に四十二年の秋も老いんとする十一月十四日二年撰手對一中二年撰手試合は第一中學校々庭に開かれぬ、審判河原(政勝)氏一聲高きプレーの響に我軍陣を敷きぬ。記せよ兩軍の勇壮なる十八騎、
明治42年12月14日(火)神戸一中
神戸一中 101 030 000=5
神戸二中 000 000 001=1
〔一 中〕 〔二 中〕
木 村 P 直 木(重一郎)
松 尾(賢治) C 井 口(留市)
田 村(一良) SS 菅 (和三郎)
今 井(一二三)1B 中 村(従吉)
井 上(市太郎)2B 村 井(伊太郎)
松 下 3B 藤 野(三郎)
塚 本(政一) LF 横 川(市平)
島 (増太郎)CF 田 中(庸三)
黒 田(實) RF 川 本(弘夫)
第一戰。敵の先鋒塚本生き、井上の犠牲球に送られて生還して一點を収めたれど、我軍村井、川本或ひは遊撃を突き、或ひは二壘に熱球を送りたるも、其勞空し。田中三振して第一戰は止みぬ。第二戰の黒田、今井、木村相續きて直木の魔球に弄せられて、枕を本壘に列べたるこそいと痛快なれ。
亦直木の功大也といふ可し此所に於て我軍代り攻め直木死せども菅小飛球にいでて、名を敵になさしむ。井口亦大飛球を右翼に呈したれども敵の黒田克く之れを取り留めぬ。此に第二戰の幕は垂れて、第三戰敵の島、亦安全球に出でゝ一點を加ふ。
第四戰兩軍克く攻め克く守る。
第五戰となるや敵亦攻撃の色益々現はれて物凄し。我軍壘を堅くして守れども如何にせむ、敵の攻むる状あたかも猛虎の突進するが如く遂に一擧して三點を加へたるに反して、我軍の村井、藤野、井口亦奮はず。
第八戰に至るも無點にして第九戰は開かれぬ。此所ぞ最後の奮闘と我軍の勇将井口先づ一壘に生き、村井に送られて二壘に至り、敵の投手の機を窺ひて一擧突入、三壘へまんまと一大冒険の功を成しぬ。時に川本二壘に有り。
而して我軍唯一死あるのみ。最後の五分間、聲は應援隊より起りて意氣冲天、時々田中、木村の熱球を戞として一揮すれば球は遊撃に飛びぬ。其瞬間井口早くも本壘へとすべり込みぬ。此に井口本日の一番槍の栄を負ひて我軍辛じて一點をとりぬ。
しかるに猛虎の如き活動も之を續くるに術なく終りを告げぬ。鳴呼戰は敗れぬ。鉾は折れぬ。策は盡きぬ。弦袋破れぬ。北首して恨ある本壘を望めば、摩耶の峯巒我等の敗軍を迎へて嘲るが如し。而して悄然として陣を去りぬ。然りと雖も未だ撰手の氣は盡きず。鉾は折れ、弦袋は破るとも期せよ!武陽の野球部撰手。
其の愁眉を開くの日近きにあることを、時に暮色蒼然として至る。敵揚々と凱歌を歌ひつゝ引上げぬ。聞くを止めよ。生田川堤上の暗中の黒影を。之れ本日の悲運に落ちたる九勇士ならずして誰ぞ、あゝ時鳥鳴きて我を呼ぶが如く其聲連山に響きて亦歸らず悲運永に胸裡に存ず。
此所に於て過去四十二年を回顧するに其最後の試合たる七日の戰思ひ出すも無念の限り、敗軍の汚名を浴びて之を洗ふ日なくして、遂に四十二年を不歸の歳として送りぬ。而して汚名の衣に新年を迎ふ。思ふに此一年は吾が部の最も重要なる、亦最も趣味ある時にして、去りし年の活動を思ひ起すと共に本年の飛躍を畫し、宜しく今一歩を進めて理想の進を辿らざるべからず。
三百の勇士。其れ兩手の槍杆を堅く握り占めよ。而して武備して立てよ武陽ケ原に。而して理想の星の永久に。
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