明治42年(1陽会)1909年

NO1

《武 陽》
明くれば四十二年萬事新而新英氣溢る

 春雨に對し雲和を彈ずる風流も秋月を仰いで洞簫を吹し韻を解せざる我々は唯新なる四十二年に懸軍長驅至誠の旗を翻して、理想に邁進せむとするのみ。
 小なる自我より大なる自我に進まむとし、滿空の望を致さむとするのみ。小なる部員はやがて大となり、威巖を添へ異彩ある野球部をして益々異彩を發揮せしめ、獨流滔々たるの此の社會の裡に、獨り超然として巍然として至誠の旗を守り巖然として、神撫山下に寄せ來る敵を制し、常勝軍をして益々発展せしむるは、之れ實に偏に懸って部員の双肩にあり。自覺自重して新なる年に新なる活動の舞臺の開かるも嬉し。
 部員校友共に、一校の運動の消長は、校全體の盛衰にかゝるを覚悟せよ。人の赤誠は人の生命也。至誠の旗を汚す勿れ。

蹄聲戞々、旗幟天を掩ひ戰鼓を打ちて會稽の恥を雪ぐ

 年改まり心氣新なる二日の候未だ武陽の空冬の衣を飾れる折しも一通の挑戰状は舞ひ込みぬ。此所に二十七日を期して一中一年對我軍の試合は武陽の冬を破りて開かれぬ。回顧すれば昨年の敗北。恥辱。此度の試合は果して如何。昨年の汚名を雪がむとする撰手の意氣旺盛英姿凛々たり。此日稍曇りたる日なりき。白装の九勇士は、

明治42年2月27日(土)神戸二中
  神戸二中 7−5 神戸一中

 〔一 中〕       〔二 中〕
 木村      P  直木(重一郎)
 松尾(賢治)  C  井口(留市)
 塚本(政一)  SS 菅 (和三郎)
 福井(達郎)  1B 中村(従吉)
 井上(市太郎) 2B 前川(俊栄)
 松下      3B 藤野(三郎)
 田村(一良)  LF 伊井(眞蔵)
 今井(一二三) CF 横川(市平)
 日野(勉)   RF 村井(伊太郎)

        〔一中軍〕
        打安犠三四
        撃全牲 死
        數球球振球

 SS 塚 本 41000
 RF 日 野 21001
 1B 福 井 40200
  P 木 村 31000
 3B 松 下 31000
 LF 田 村 21010
 2B 井 上 30003
 CF 今 井 00000
  C 松 尾 31000
 

        〔二 中〕
        打安犠三四
        撃全牲 死
        數球球振球

 RF 村 井 20011
 2B 前 川 21100
 LF 伊 井 30000
  C 井 口 11020
 CF 横 川 20010
  P 直 木 21000
 1B 中 村 31101
 SS 菅   20010
 3B 藤 野 20010
 

 時は二十七日の午後。一中撰手織田氏審判の下に十八騎の龍驤虎鬪の槍杆は相摩し始めぬ。拍手の響喝采の聲四寂を破りて起るや、吾軍の先鋒村井先づボックスに立ちぬ。彼四死球を利するや、前川滿身の氣に詫(託)して痛棍一揮、忽ち中堅を抜き一擧三壘を奪ふ。村井悠々として生還。吾が軍意氣甚だ旺盛なり。

 蓋し前川のヒットや實に本日の花なりしなり。賞讃の聲は悠々とし今や三壘に立てる君の頭上に浴び懸りけり。伊井遊撃打ちに出でて生き、藤野に飛球にて死したれども、續いて出でたる武陽の捕手井口忽ち敵投手の投げ來る魔球を長棍一揮、忽ち猛球は中堅の頭上に抜けてフールベースヒットとの晴業を演じて、伊井本壘へと入りて武陽軍一時萬場を壓したり。横川魔球に弄せられたりと雖も、直木の安全球に井口生還して三點。

 再び拍手起りぬ。而して我軍代りて陣を敷きぬ。再び起る拍手の響、彌次の聲に送られて悠々として出でたるは敵の老将塚本。からくも三振を逃れて生き、續く日野デッドボールに出でゝ、塚本二壘を奪ふや、直に三壘を突かむとせるも、捕手井口正鵠を失することなく、早くも投じたる球は塚本をして三壘の露と消えしめぬ。

 木村、直木の睥睨して投ずる球に脆くも小フライに死し、續く田村、日野を生還せしめむとあせれども、打てばこそ。将に萬事休せむとする折柄、日野何思ひたりけむ、早くも本壘に辷り込みに畢生の晴業を演じぬ、田村任輕しと思ひしか苦もなく三振憐れ也。