昭和7年(20陽会)1932年

NO8

〈神戸新聞〉
 昭和7年8月1日(月)甲子園 開始午後10時42分=閉戰11時58分
 球審・森口壘審・鹽見、宮崎
▽3回戰
 神戸二中 000 00=0
 明石中學 531 01=10

 (5回コールドゲーム)

 〔二 中〕 打得安犠盗三死残失
 6 成 川 200001001
 5 池 田 200000000
 2 佐久間 200001000
 18 田中柳 100000120
 81 野 田 200000001
 3 名 倉 200000001
 9 田中敏 200002000
 7 松 村 200002000
 4 梶 井 100001004
     計 1600007127

 〔明 石〕 打得安犠盗三死残失
 6 峰 本 210110210
 4 横 内 210000211
 1 楠 本 220010110
 9 山 田 221000100
 8 中 田 310000000
 3 深 瀬 310000011
 2 福 島 300000000
 7 田 口 120000210
 5 加 藤 300000020
     計 21101120672

 △三壘打=山田△試合時間=1時間46分△第五回田口退き吉岡PRとなる。
  一回二中田中中堅へ野田投手に

 強剛明中を向うに廻し武陽軍はち切れる許りの意氣を以て攻め、先づ成川一匍失に生き、二中幸先よしと見えたが二盗に死し池田二飛、佐久間三振。

△明中峰本、横内四球、楠本の遊匍、横内を封殺したが田中投手の調子悪く山田死球に遂にマウンドを野田に譲る。中田二匍失に峰本還り深瀬の遊匍、中田封殺と見えたが梶井堅くなって失し、その間に楠本、山田生還、福島遊匍後田口投手頭上をバウンドで抜いたが成川よく掴んで一壘へ稍左寄りに投じ名倉またよく掴んで驀進してきた田口にタッチしたと見えたがセーフ、その間走者二人還り滿場喧々囂々のうちに二中側から抗議が出て一時試合は中止された。

△二中は楠本のスモークボールに手が出ず、よくあてては居たが遂に二壘を踏む者一人、無安打に終ったに反し明中は一回に五點、二回にも一敵失、四球二個、山田の右越三壘打などで三點、三回に一點、四回は二中の好守に阻まれたが五回また猛攻して一點を入れ十對零のコールドゲームで明中勝つ。

☆昭和7年度野球部員☆
 部長 馬場先生、主任 眞鍋先生、内藤先生
 五年級(主将)佐久間寛、成川太郎、田中柳喜、田中敏男、松島藤太、荒木辰蔵
    (マネージャー)筒井秀雄
 四年級(新主将)野田和重、名倉哲三、松村誠之、梶井孝雄、山脇猛男
 三年級 池田繁久、能勢正博、佐藤公男、中内省三、島野 實
 二年級(マネージャー)吉田雅彌、山本忠行、一本松博
 一年級 加島 大、葛野 弘、矢野啓司

《武 陽》
[第一回近畿中等學校野球大會兵庫縣豫選]

出場校=神戸二中、育英商業、御影師範、關學中等部、姫路師範、第一神港、甲陽中學、神戸一中

◎對御影師範戰
 昭和7年9月8日(木)甲子園 開戰午後2時30分 閉戰4時50分
 審判・濱井(球)杉村、泉谷(壘)
 神戸二中 000 010 000=1
 御影師範 000 001 01A=2


 〔二 中〕 打得安犠盗三四失
       數點打打壘振球策
 6 池 田 30101013
 1 野 田 40101000
 2 名 倉 30000110
 9 井 貝 40100200
 8 松 村 20000120
 5 梶 井 30000010
 3 山 脇 40200100
 4 加 島 10000030
 7 能 勢 41000200
     計 281502783

 〔御 師〕 打得安犠盗三四失
 4 村 上 51400001
 5 大 坂 40001210
 8 白 石 40100010
 2 井 上 50100100
 3 陶 山 30200010
 7  南  40000001
 1 中 内 40200100
 6 中 山 30000111
 9 竹 田 41001100
     計 362002643

 △二壘打=村上2、白石△併殺=御影2

第一回(二中)(零)池田一壘直球、野田二匍失に出で名倉四球に續いたが井貝、松村共に三振。
(御影)(零)村上三匍、大坂三振、白石遊飛。

第二回(二中)(零)梶井三匍、山脇三振、加島四球、能勢三振。
(御影)(零)井上遊匍失に出で陶山の遊匍で封殺、南も二匍して陶山を封殺、中内は中前に安打を送り南三振し中内も二壘を占めたが中山投匍に空し。

第三回(二中)(零)池田四球、野田の三前バントで二進、更に名倉の二匍に三進せしも井貝遊飛。
   (御影)(零)竹田三匍、村上左前安打、大坂三振、白石遊匍失、井上遊飛。

第四回(二中)(零)松村四球を選び梶井の第一球で二盗せしが成らず、梶井四球、山脇左直安打、加島の三匍は山脇と併殺さる。
   (御影)(零)陶山遊撃頭上を抜く。南投飛、中内中飛、中山四球、竹田遊匍して中山を封殺。

第五回(二中)(一)能勢三匍一失に出で池田の三前バントに二進、野田の中前安打に三進、野田も二盗すれば名倉とのスクイズ成り能勢還り、球が一壘に送られてゐる間に野田本壘を突きしが野手の投球に憤死す、しかしこの間二中一點先取す。(御影)(零)村上右翼線に二壘打せしも次打者の第一球で三盗せしが成らず、大坂三匍、白石遊匍失、井上左前安打を送りボールが二壘に送られてゐる間に大坂三壘を占め、陶山四球に續いたが南投匍して御影必死の逆襲も成らず。

第六回(二中)(零)井貝三振、松村四球、梶井の遊匍で封殺、山脇二越安打を放ち、加島四球に二死滿壘となり次打者能勢衆望をになってボックスに入ったが遂に三振して可惜二中絶好のチャンスを逸す。
(御影)(一)中内遊撃右を抜く、中山三飛、竹田の遊匍で中内を封殺せしも村上の三壘線軟打は内野安打となり大坂四球で二死滿壘となり白石には1−2、1−3、2−3となり二中危機に立つ、野田最後の一投はやゝ高くボールとなり血を吐くが如き一點を與ふ、井上三球三振して二中危機去る。

第七回(二中)(零)池田左飛、野田右飛、名倉遊匍失に出で井貝遊撃右を抜く、松村の右中間好打は中堅手の美技に退けらる。
   (御影)(零)陶山三觸安打、南中飛、中内、中山共に三振。

第八回(二中)(零)梶井第一球捕邪飛、山脇も第一球を遊匍、加島四球、能勢投飛して一對一の均衡破れず。
   (御影)(一)竹田三振、村上中堅右に二壘打、大坂左飛、白石は第一球を左越二壘打して一點をリード、井上遊匍。

第九回(二中)(零)最後の攻撃に入り池田第三球を中前に安打し續く野田強氣に出で一邪飛、名倉打者の時池田二盗なり名倉とのヒット・エンド・ランは名倉空振りして三振し池田は三壘寸前で刺され萬事休し二A−一で二中長恨を呑む、時に四時五十分。

〔後記〕文部省統制案による第一回近畿中等學校野球大會の兵庫豫選は秋未だ淺き九月上旬に開かれた。参加校は八校で新たに五人の精鋭を失ひながらも我校は傳統を持つ強さに、選抜の榮を羸ち得た。

 然し新チームとして練習を始めてより僅か半月、陣容未だ整備せざるに反し、相手の御師は森澤投手を送ったとはいへ白石、井上、村上、陶山等の古豪健在で點々優勝を目指すもの。特に年來苦手の感ある御師にして其の特有の粘り強さに二中軍最初より大苦戰であった。

 二中は御師中内投手の餘り香しからぬ投球に再々走者を出しながらも今一息の處で得點し得なかった。僅かに五回、一死二三壘の時、名倉のスクイズに能勢が還ったのみで、野田も一舉本壘を狙ったが惜しくもならず、六回二死滿壘も物にならず、九回一點の差に池田三盗を試みたが、これ又間一髪寸前に刺されてついに回復ならなかった。

 御影は一回目より野田の直球、曲球を問はず、よく打ったがバントの拙劣と走壘の失敗に、折角作ったチャンスを失って前半一點のリードを返すことが出来なかったが、六回二死後強打者白石、好く選球に努めて押出しの一點を酬ひ、更に八回一死後当たり屋村上右中間に二壘打を放ち大坂は2−3後レフトフライに倒れたが白石は最初の直球を左翼に猛打して村上決勝の一點を入れた。

 兩軍の中にあって特に目立ったのは二中の年少名手加島の投手泣かせの打撃と、御影に於いては現明大の布谷を思はせる様な村上二壘手の活躍が光ってゐた。

21陽会(昭和8年卒)
 筒井 秀雄    マネ
 佐久間 寛    遊撃
 松島 藤太    中堅
 荒木 辰蔵    
 今井 英世    
 成川 太郎    二塁
 田中 柳喜    中堅
 田中 敏男    右翼