《武 陽》
昭和7年4月6日(水)濱ノ宮球場
四月六日午後三時より、原(球)金政(壘)二氏審判の下に關中先攻で開始。
關中は三回迄三者凡退し、四回に一安打あったのみ、五回一死走者二壘の好機も空しく、後半戰に入り七回坂元無死二壘に出ながらも金子兄の遊匍に三壘へ暴進して刺され、八回迄零なるに對して、二中は二回一死後、池田、名倉と二者續けて安打したが、後續二者三振で點入らず。
四回、無死田中柳安打して出たが、之も空しく、以後八回迄得點無く、九回の表に至って、一死後走者二三壘となり、金子兄三振してピンチを切り抜けたと思ったが、谷口のショートゴロ、成川一壘に大高投して二者生還し、最早回復の望なしと感じたが俄然其裏佐久間三側安打、田中柳よく選んで四球に出で、池田の中越二壘打に佐久間生還、
尚走者無死二三壘となり、坂元のスクイズを警戒しての投球は暴投となり、田中柳生還タイとなり、梶井第二球目のスクイズを失して、池田三本間に挟まれたが、三壘手よりの投球極めて低く捕手落し、其間池田巧に廻りこんでホームイン、劇的場面を演じ、土俵際の打棄り見事に利いて、關學をして熱鉛をのましむ。
此の日守備に於いては田中柳の投球、前戰と見違へるやうに變じ、好投よく二本の安打を許したのみで例のシュート、くせのあるカーブ、懸河の如きオーバースローのドロップ等快心の出來ばえであった。一方攻撃に於いては佐久間の三安打と池田の活躍が目にとまり、然し、之に反して、梶井、松村、田中敏の打撃不振が物足りなかった。
持つまじき物は弓矢かな。九回表關中に二點を得られたる時誰が二中軍の勝を豫想したであらうか、風さへ鳴りを静めて、數千の瞳を唯此の一球の行手に蒐められた時今し、關中永井が會心の笑みをもらすと見るや三壘線に沿ふて糸を引いたる如く投げられた白球は捕手中房のミットを低くかすめて轉ぶ。
赫々と照る午後の炎陽を載せてギラギラと轉び行く球よ。そこに誇らかな勝利は、永劫に關中の上を離れ去ったのである。
▽3回戰
關學中等部 000 000 002=2
神戸二中 000 000 003=3
〈神戸新聞〉
昭和7年4月6日(水)濱ノ宮球場
午後2時55分=4時21分
審判・原(球)金政(壘)
▽3回戰
(敵失)000 010 101=3
(安打)000 100 001=2
關學中等部 000 000 002=2
神戸二中 000 000 003=3
(安打)120 101 002=7
(敵失)001 001 002=4
〔關 學〕 打得安犠盗三四残失
數點打打壘振球壘策
2 中 房 400002001
4 中 島 301001100
9 鈴 木 300001110
PR 山 端 010000000
1 坂 元 311010100
7 金子兄 400001010
3 長谷川 400002020
6 谷 口 400002001
8 金 子 200001100
5 永 井 300001001
計 30220111443
〔二 中〕 打得安犠盗三四残失
數點打打壘振球壘策
6 成 川 400000002
8 野 田 400000000
2 佐久間 413000000
1 田中柳 311000120
5 池 田 312100010
3 名 倉 401001011
7 梶 井 300001000
4 松 村 300001000
9 田中敏 300003000
計 3137106143
△二壘打=池田△暴投=坂元△試合時間=一時間二十六分
☆最終回に入り 二中辛勝す 3−2關學恨を呑む☆
第一回。關學、中島四球を利して出たが鈴木の投匍に封殺され鈴木離壘して投手牽制に刺さる。
△二中、二死後佐久間三遊間を抜く安打して出たが投手牽制に一、二間に挟殺。
第二回。關學無為。
△二中、池田中前安打して出で名倉も亦中前に安打したが後續なく無為。
第三回。兩軍とも凡退。
第四回。關學、一死後中島三壘強襲安打して出たが鈴木の投匍に封殺、坂元二飛して退く。
△二中、田中柳左前安打して出で池田のバントに送られ名倉の二匍で三進したが梶井の一飛で双方無為。
第五回。關學、金子兄遊匍、長谷の遊匍高投で一擧二進して谷口三振の後金子四球に出たが永井の遊匍に封殺。
△二中空し。
第六回。關學、中房投匍、中島、鈴木ともに三振。
△二中、一死後佐久間二壘右を抜く安打して出で田中柳の遊匍に封殺、返す球を一壘へ悪投して田中二進したが池田左飛。
第七回。關學、坂元死球を喫し投手牽制一壘失で二進したが金子兄の遊匍で封殺。
△二中凡退。
第八回。兩軍凡退。
第九回。關學、一死後鈴木四球に出で(代走山端)坂元の右前安打で一擧三進、坂元二盗なって走者二、三壘に據るとき金子兄三振して後長谷川の遊匍高投に山端、坂元一擧生還、谷口三匍したがここに關學二點をあげる。
△二中、奮起して佐久間三壘左を抜く安打して出で田中柳二−三まで待って四球を撰み、池田中越二壘打を放って佐久間生還、名倉打者のとき投手スクイズに備へてウエストボールを投ずると不覺にも悪投となり田中生還、池田三進、名倉三振の後梶井打者のとき投手巧みにスクイズを見破って池田を三本間の挟んだが池田よく衝き込んで捕手あはてる間に本壘に入り三點を奪って逆轉、三−二の接戰で關中惜敗、二中勝つ。
《武 陽》
◎對御影師範
昭和7年4月10日(日)濱ノ宮球場
四月十日午後零時九分より橋本(球)生駒、金政(壘)三氏審判の下に御師先攻で開始。
▽準決勝
御影師範 023 000 500=10
神戸二中 000 000 000=0
此の日田中の球に威力なく、久方ぶりに迎へたセミファイナルも御師は第二回、松村の連續三つのエラーに二點を先取し、三回には村上の二壘打、森澤の三壘打等によりて三點を奪ひ、以後四、五、六回は田中の調子回復し、六回の如きは三者三振であったが七回に到り五安打、三四死球に五點を増されて、勝利の道を完全に斷たれてしまった。
一方二中は森澤の投球をよく打ちながらも安打散發でタイムリーにヒット出でず、第一、二回無為の後、三回は二死後山脇が四球に出たのみであった。四回、野田が左中間の垣に達する三壘打をかっとばしたが、つゞく佐久間は焦って、○−一後投匍し、田中柳も亦初球をショートに打ち上げ、期待された池田二匍で空しく、六回佐久間の二壘打に二死ながら走者二、三壘のチャンスをむかへたが田中柳○−二後センター眞正面にフライを揚げ、以後チャンス相當にありしが、得點するに至らず、遂に十−○で負く、只二回松村の失策が無かったならばと心残りである。
勝ちて驕らず、敗れて悔いず、その態度のあくまで純眞に、その舉措のあくまで剛毅に、全力を傾倒するところに球技の究竟があり、男子の懐抱すべき眞骨頭のあらはれがある。只時に利あらずして敗れを取る、これ男子何をか恥ぢん。
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