昭和7年(20陽会)1932年

NO5

◎對神戸三中戰
 昭和7年5月29日(日)甲子園 開戰午後3時 閉戰5時10分
 所要時間2時間10分 審判・杉村(球)濱井(壘)
 神戸二中 010 005 200=8
 神戸三中 000 000 000=0


 〔二 中〕 打得安犠盗三四失残
       數點打打壘振球策壘
 6 成 川 510001101
 1 野 田 500001000
 2 佐久間 500020004
 5 池 田 500001000
 8 田中柳 511010000
 3 名 倉 432010102
 9 田中敏 510002001
 7 松 村 321000201
 4 梶 井 402111012
     計 41861564111

 〔三 中〕 打得安犠盗三四失残
       數點打打壘振球策壘
 8 松 井 401000001
 2 江 川 301001103
 1  原  301001101
 6 三 笠 400001030
 7 平 井 400001000
 9 松 村 300002000
 5 古 田 200002120
 4 太 田 200000020
 4 岡 田 100000010
 3 平 田 300000000
     計 2903008385

 △捕逸=江川 △併殺=野田−成川−名倉 △二壘打=江川、松井 
 △打撃妨害=江川

第一回(兩軍零)二中、成川四球に出たが、野田の三匍に封殺され、佐久間の遊匍で野田も亦封殺、池田二匍。
三中、松井一匍後江川右中間二壘打に出て、原の二匍に三進したが三笠遊匍。

第二回(二中一)田中柳三匍悪投に出で、名倉の犠打は内野安打となり田中敏バントは田中柳を三壘に封殺したが、松村中飛後梶井の三壘抜きの安打に名倉生還、成川三振。
(三中零)平井投匍後松本、古宇田三振。

第三回(兩軍零)二中、野田遊匍、佐久間三匍、池田右飛。
三中、太田捕飛、平田遊匍後、松井右中間に三壘打したが江川三振。

第四回(兩軍零)二中、田中柳右飛、名倉中前安打、田中敏三振後松村三遊間安打に續いたが梶井三振。
三中、原一壘右を抜く安打に出で、三笠中飛、平井左飛二死後二盗成らず。

第五回(兩軍零)二中、成川遊匍、野田遊飛、佐久間二匍失に出で二盗したが池田三振。
三中、松本三振、太田四球に出たが、平田の投手ゴロで重殺さる。

第六回(二中五)田中柳遊匍失に出で、名倉四球重盗なり、田中敏の二匍失で田中柳、名倉生還、松村も四球に續きて梶井の三壘打、犠打に兩者進み、成川の遊匍高投で二者還り、成川も三壘に到り、野田三振後、佐久間の遊匍ハンブルに成川生還、佐久間二盗したが池田右飛。
(三中零)平田二匍失に出たが松井三飛後江川の三匍で二壘に封殺され原四球に出たが三笠は一−三後一飛。

第七回(二中二)田中柳中前安打に名倉の遊匍でフォースアウト、名倉は田中敏の一匍に二進し、松村四球後捕手パスボールで走者二、三壘となった時梶井再度サードの頭上を直球で抜いて二者ホームイン、梶井も二盗し、成川は捕手のインターフェアーに生き野田の三匍失に滿壘となったが、佐久間のショートゴロは野田を封殺。
(三中零)平井三振、松本捕邪飛、古宇田三振。

第八回(兩軍零)二中、池田三匍、田中柳二匍、名倉二匍失に出たが田中敏三振。
三中、PH岡田二匍、平田三匍、松井も三匍。

第九回(兩軍零)二中、松村遊匍、梶井捕邪飛、成川投匍。
三中、江川四球に出たが原、三笠共に三振し、平井の二匍は梶井其の儘二壘に持込んで江川を殺し、結局八−○で三中を敗る。

〔後記〕今日野田は浮き気味のシュートと内角から流れ込むアウトドロのコントロール宜しく三中の打者を輕くあしらった。一、三回の二壘打とても二死後とて、物にならず、六回、二死一、二壘に走者有りて、野田のコントロールやゝ失したる時三笠は1−3後の好球を内野に打上げた時がピンチを思はせた位で、チャンスらしきチャンスは全然なかった。

 又三中原投手も左投手獨有の近くに大きく曲がってくるインドロと、低めの直球とで、我軍に對したが、内野の守備の弱き事、思ひの外で折角の投手の健闘をも臺なしにしてしまった。我軍今日は上位打者原の球が打てず、退きたるに反し、下位打者がよくあてゝ就中梶井の二度の三壘方面を襲ふタイムリーヒットが見事なものであった。

◎對關學中等戰
 昭和7年6月11日(土)甲子園 開戰午後3時3分 閉戰6時35分
 所要時間3時間32分 審判・森田(球)杉村(壘)
  神戸二中 300 000 200 100 00=6
 關學中等部 000 100 040 100 00=6

 (延長14回ドロンゲーム)

 〔二 中〕     〔關 中〕
 9 田中敏     68 山 端
 6 成 川     4 中 島
 2 佐久間     2 中 房
 1 田中柳     81 坂 元
 5 池 田     7 金子兄
 8 野 田     3 鈴 木
 3 名 倉     5 永 井
 7 松 井     9 金子弟
 4 梶 井     16 谷 口

 打得安犠盗三四失  打得安犠盗三四失
 數點打打壘振壘策  數點打打壘振球策
 52612239144  48680019124

 △二壘打=田中柳 △三壘打=野田、金子兄 △本壘打=鈴木 
 △残壘=二中19、關中10

〔後記〕四中學リーグ戰の仇を討つべく、我がチームは日ならずして再び甲子園頭に相見えた。二中は第一回敵投手谷口のコントロール無きに乗じて三點を奪ひ以後變った坂元のボールをも相當よく打ったが得點せず、僅に七回田中、野田の連續長打で二點を得たるのみで合計五點なるに反し、關中は田中柳の好投に全く手も足も出ず、四回に一點をあげたるのみで八回を迎へたが俄然此の回二死滿壘の時鈴木が右中間にホームランを放ちて同點となる。

 九回關中二死走者一三壘の好機もものにならず十回二中一點を舉ぐれば其の裏關中も金子弟のドラッグヒットに一點を返し、試合は将に白熱化し以上十一、十二、十三と兩軍得點無く、十四回二中の好機も梶井の鈍走によりて失はれ、試合は何時果つべしとも見えず、遂にドロンゲームとなる。

 此の日二中は始終押してゐたが、關中鈴木が1−3の苦境に立った田中の投げ込む直球を右中間に引掛けて同點となし、幸福であったのに、二中は十回無死滿壘の機に僅か一點しか得られなかった不運があった。然し、田中柳はサイドスローのひねくれた直球と外角に流れ込むカーブ、時々交へるオーバースローのスイフト、アウドロは四球十二を出したとは言へ三振十九を奪ひ、新記録を樹立して敵膽を寒からしめた。