昭和4年(17陽会)1929年

NO5

〈朝日新聞〉
【第15回全國野球選手権大會兵庫豫選】

 昭和4年7月25日(木)甲子園 開始午後1時5分=閉戰午後2時30分
 球審・關根、壘審・成定
▽2回戰
 神戸二中 090 55=19
 洲本中學 000 00=0

 (5回コールドゲーム)

 〔二 中〕       〔洲 中〕
 遊 牧 野 31打 數15 投 細 川
 右 甲 斐 15安 打1 二 清 水
 三 丸 山 1犠 打0 三 正 木
 捕 別 所 3三 振9 左 草 薙
 中 志 摩 8四死球1 捕 米 岡
 左 石 原 3盗 壘0 右 峰 谷
 一 津久井 0失 策6 一 武 田
 二 中 山 2二壘打0 中 厚 美
 PH  林  2三壘打1 遊 柏 木
 投 前 田 1本壘打0      

▲第一回。二中、二死後丸山中越三壘打に出で一擧本壘を衝いたが中堅、遊撃手の好投に惜しくも刺さる。
▽洲本、二死後正木左中間三壘打のみ。
▲第二回。二中、別所、志摩安打、續く二者四死球、中山三振後前田以下よくうち敵失、安打に一擧九點を占める。
▽洲本無為。
▲第三回。二中、一死後牧野右越三壘打に一擧本壘を衝いて倒れ後援なし。
▽洲本三者三振。
▲第四回。二中、別所遊撃安打に出で敵失と二安打に五點を入れる。
▽洲本、凡退。
▲第五回。二中、丸山四球、別所左中間本壘打、更に安打續出また五點を加ふ。
▽洲本、更になすなく、十九對零で洲本惨敗。

〈神戸新聞〉
〔評〕遠來の洲本中學は本大會のビッグスリーの一つ神戸二中と相見え玉砕した實力の相違如何ともし難く一回左中間に三塁打して氣を吐いた好漢正木バックの脆弱を顧みず好投を續けた投手細川など多士儕々海南の健兒は此の一戰にすべてを撥たず、また海を渡って捲土重來せよ、一方二中は流石優勝チーム第二投手前田に任して洲本中を一蹴した實力はたのもしいかぎりである。
 長打連發を有り餘る走力に依って失ったなど今日の夕涼みの一笑話である。今後の奮闘よく大旆の下に近付け。

《武 陽》
◎對神港中學戰
 昭和4年7月27日(土)寶塚球場
 此の日全日本の争覇場甲子園は都市對抗に使用され阪急寶塚球場に擧行さる。午前中の雨氣晴れ寶塚スタンドも所狭きに思へり、一時五十分關根氏壘審、加藤氏球審に開始す。

第一回。(二中)牧野二失に生きしも投手牽制に刺され石原投手バント、丸山四球に出で別所の中前安打に送られしも志摩の一匍に止む。
(神中)高田○−一後左翼ライナー二壘打し富田三振後捕手好投に二壘に死す。藤井四球に前川中越二壘打に一擧に生還、植田遊飛に止む。

第二回。(二中)林四球に津久井投手バントにアウトされて前田三振後林二走し捕手好投に死す。
(神中)高津三振、山上中飛、野村四球に出で藤井の遊匍に刺さる。

第三回。(二中)甲斐二匍、牧野遊飛、石原○−二後左中間安打に丸山中前安打、別所の左前安打に得點後捕手逸球に三、二走し志摩四球に前田、林に代り右翼飛球に來らず。
(神中)前田右翼に、我軍小林、中山と代り二壘に代る、高田三振、富田三匍、藤井左飛に退く。

第四回。(二中)津久井二失、中山投匍犠打に送り甲斐中飛、牧三振。
(神中)前川中前安打に出で植田の投匍犠打に送られしも高津遊撃ライナーを牧野好捕し前川を二壘に重殺する。

第五回。(二中)石原二匍、丸山三振、別所投匍に凡退。
(神中)山上四球に野村死球に兩者藤井の犠牲バントに出進し高田再び投匍バントせしも本壘に山上倒れ富田の遊匍に入らず。

第六回。(二中)志摩三振、前田中前安打し津久井の四球に送られ投匍バントし投手三壘暴投に生還、甲斐再び投匍犠打し中山還る。牧野三匍一壘暴投に生き中山本壘を踏み石原の投前匍球一壘暴投に牧野入りしも丸山の遊匍にやむ。
(神中)藤井遊飛、前川再び右中越安打せしも投手牽制に倒れ植田四球、高津三飛。

第七回。(二中)別所左前安打し志摩三振、前田安打し津久井三振後中山の左翼左方安打に別所還り甲斐遊匍失に生きしも牧野二匍す。
(神中)山上左翼ライン上二壘打し野村三振、藤井續く中越二壘打し山上生還、高田死球、富田四球、藤井三邪飛に前川右飛に終る。

第八回。(二中)石原一匍、丸山四球、別所同じく志摩三振し前田の左飛に終る。
(神中)植田四球に高津左飛後捕手逸球に二走し山上遊匍、野村左飛して止む。

第九回。(二中)津久井、中山、甲斐三者四球に出で牧野の遊匍に津久井本壘に死し石原三振、丸山中飛に終ひに入らず。
(神中)藤井中飛、高田遊匍、富田同じく一壘に刺され之に戰終る。時正に四時十五分なり。

 我軍前川の投法に壓せられ三振八を負ひ次ぐに安打は餘り續きすぎ敵は時々大物を飛ばして走者一掃得點し状況相反せり、後に抽籖に一中と組せり、その前の事である。時は翌日なり。

▽3回戰
 神戸二中 001 004 100=6
 神港中學 100 000 100=2


 〔二 中〕 打得安犠盗三四残失
             死  
       數點打打壘振球壘策
 6 牧 野 610011010
 7 石 原 611001010
 5 丸 山 401001230
 2 別 所 413000131
 8 志 摩 400003110
 4  林  100000100
 91 前 田 412000010
 3 津久井 310001210
 9 小 林 100001000
 4 中 山 111200120
 19 甲 斐 300100120
     計 37683189151

 〔神港中〕 打得安犠盗三四残失
             死  
       數點打打壘振球壘策
 7 高 田 401001120
 2 富 田 400001111
 8 藤 井 310000100
 1 前 川 403000012
 5 植 田 100100120
 3 高 津 400000100
 9 山 上 311000100
 4 野 村 200001212
 6 藤 井 301100020
     計 2826203895

〈神戸新聞〉
 昭和4年7月27日(土)寶塚球場(球審)加藤(壘審)關根
 開始午後1時50分=閉戰4時
 神戸二中 001 004 100=6
 神港中學 100 000 100=2


 〔神二中〕      〔神港中〕
 6 牧 野 37打數28 7 高 田
 7 石 原 8安打6 2 富 田
 5 丸 山 3犠打2 8 藤井春
 2 別 所 1盗壘1 1 前 川
 8 志 摩 7三振4 5 植 田
 4  林  9四死8 3 高 津
 3 津久井 1失策6 9 山 上
 9 古 林 0二打3 4 野 村
 1 甲 斐 0三打0 6 藤井光
       0本打0      
 △更代=三回二中古林退き前田入り、五回前田と甲斐(一)更代
 △併殺=前川−高津、牧野−林

◇…一回、二中=牧野二匍失、石原のバントはフライとなってダブられ二死後丸山四球、別所の遊側安打に續いたが志摩一壘ゴロして空し。
神中=高田左前安打、野手ハンブルして一擧二進、一死後三壘を望んで刺され藤井(春)四球に出たのち前川左越二壘打して堂々と一點を先取する

◇…三回、二中=二死後石原三遊間を破って出で、丸山の中前安打と別所の左中間安打に石原生還、捕手の後逸に走者二、三壘に據り志摩四球に出で滿壘となったがピンチヒッター前田二飛して同點となる。
神中=高田三振、富田三匍、藤井(春)左飛にやむ。

◇…六回、二中は一死後前田中前安打、津久井四球、林の捕前バントは捕手判斷を誤って三壘に低投、その間前田還へり、次いで津久井も生還、牧野三匍低投に林還へり石原の投匍高投に牧野も生還、二中一擧四點を入れる。
その裏神中は一死後前川三度目の安打を右中間に放って出で植田も四球に出たが二死後前川牽制球に刺さる。

◇…七回、二中=劈頭別所三本目の遊側安打に出で一死後前田の中前安打に進み津久井三振して望み絶へたと見へたが林の左翼線上安打に別所二壘から一擧生還、又一點を重ねる。
神中は山上左翼線近くの二壘打に攻撃の火の手を擧げ一死後藤井の安打と二つの四死球に好機と見へたが藤井(春)前川共にフライを揚げて空し。

◇…九回双方なく結局六對二で神戸二中勝つ。