昭和4年(17陽会)1929年

NO2

〈神戸新聞〉
【第8回京神中等學校對抗野球戰】

 昭和4年4月6日(土)明石公園グラウンド 正午開始 午後2時34分終了
 審判・金政(球)高田(壘)
▽1回戰
 神戸二中 000 000 120 0=3
 神港商業 200 010 100 1=4

 (延長10回)

 〔神二中〕    〔神港商〕
 左 志 摩    一 後 藤
 二 牧 野    中 中 根
 一 別 所    三 西 垣
 遊 前 田    左 高 瀬
 三 丸 山    遊 濱 崎
 中 石 原    投 岸 本
 右 山 田    捕  倉 
 投 甲 斐    二 寺 岡
 捕 津久井    右 平 田
 打安犠盗三四失  打安犠盗三四失
 數打打壘振死策  數打打壘振死策
 35400712  30314691
 △三塁打=別所2、高瀬

☆血戰も効なく 二中遂に惜敗
 四對三の接戰にて あきらめ得ぬゲームを終る☆

◇…(第一回)二中=志摩、牧野、別所の三者何れも二壘ゴロで無為。神港岸本投手の先發は先づ無難である。
神港=後藤先づ中根四球に續き西垣送らんとしてバントフライを投手に得られて一死後高瀬胸に死球を喰って滿壘、捕逸に後藤還へり濱崎三振、二死後岸本の一壘フライ失に中根も生還、倉左翼に大きくフライしてやんだが神港難なく二點を得る。

◇…(第二回)二中=前田、丸山相次いで三振、石原二壘ゴロで退く。
神港=寺岡中堅フライ、チャンスメイカー平田四球、後藤も直線的四球に出され中根又四球に續いて滿壘となったが、西垣三振後三壘走者平田サインのあやまりから本壘に走って刺さる。

◇…(第三回)二中=山田一壘ゴロ、一死後甲斐四球にはじめて一壘に出たが津久井の投匍に封殺され志摩は右翼フライ。
神港=高瀬、濱崎遊匍二死後岸本四球に出たが倉は遊撃フライ。

◇…(第四回)二中=牧野三振、別所三匍低投に一擧二進したが前田三振、丸山中堅フライで戰機未だ熟さず。
神港=寺岡左翼フライ、一死後平田三壘ゴロ高投に一擧二進、後藤の三壘左寄の安打に三壘に進んだが中根二ストライクののちバントを失敗し西垣の中堅フライに神港は好機を得乍ら二中甲斐投手の緩曲球を打悩む。

◇…(第五回)二中=石原二壘ゴロして一壘に倒れ込んだが遅く、山田遊撃ゴロ、甲斐遊撃フライで簡單に代はる。
神港=高瀬二−三の後スイフトを右中間深くワンバウンドで松林中に打込む三壘打を放って出で濱崎右前テキサスに生還、濱崎、岸本の遊撃ゴロに三壘を盗んで刺され倉の左飛に岸本アウトの數を間違へて二壘へ走って封殺されたが神港更に一點を重ねる。

◇…(第六回)二中=津久井投匍、志摩三壘ゴロ、牧野三振して依然神港岸本投手に打撃を封ぜられ未だノーヒットである。
神港=寺岡、平田何れも三振、後藤三壘ゴロして退きラッキーセブンに入る。

◇…(第七回)二中=別所右中間淺くライナーするを中根追へども及ばず三壘打となり次打者前田の遊匍は幸福にも遊撃前で高くバウンドするグラウンドヒットとなり別所勇躍生還。續く丸山は二匍して前田を封殺、石原の三壘ゴロに又丸山を封殺、山田大きなドロップを見逃して三振したが、二中一點を返して意氣高し。
神港=中根中堅フライ、西垣は左翼フライ、西垣は左翼フライで二死後高瀬期待に背いて中堅に緩慢なフライを上げて退く。

◇…(第八回)二中=得點の差二點を追うて必死の攻撃を續け甲斐二壘フライ、津久井三振、二死後志摩一壘左をかすめる安打に出るや牧野も二壘左を破って續き別所の中堅深き二壘打に二走者踵を接して生還、同點に漕附けば滿場騒然、前田打者のとき捕手落球に別所三壘に驀進したが間髪に刺されてやむ。
神港=濱崎遊撃ゴロ、岸本二壘ゴロ、倉三壘ゴロしてやみいよいよ三對三のラストインニングに入る。

◇…(第九回)二中攻めるや神港三壘に休養してゐた西垣を投手に代へて對し前田を遊ゴロに、丸山を二壘フライに、石原を二壘ゴロに輕く退け最終の攻撃に起つ。
神港=(寺岡に代はる)ピンチヒッター釣四球を選んで出たが直ちにスチールして刺され平田に代はる。志摩は遊撃フライ、二死後後藤三壘ゴロで得點なく三對三でいよいよ大會最初のエキストラインニングに入る。

◇…(第十回)二中=山田二壘ゴロ、甲斐三振、津久井セーフティーバントを試みてなく。
神港=中根能く選球して四球を強奪、西垣のバントに送られ高瀬三振するやスタートよく三壘三盗、次打者濱崎は二死後ながら得意のアンチセオリーにスクイズを試みんとしてウエストに泳ぎ中根三壘から走り出たが捕手の投球やゝ高く三壘丸山彈いてそのまゝ生還を許し二中四對三にてあきらめられぬゲームを失ふ。

《武 陽》
〈練習試合之記〉

●神戸海上保険戰 昭和4年4月15日(月)東遊園地
 我部大先輩島津氏ある神戸海上と東遊園地に目見えたり、時正に三時四十五分、日も
 漸く傾かんとする頃なり、成績左の通り。

 神戸海上 101 000 210=5
 神戸二中 000 001 000=1


    打得安犠盗三四残失
    數點打打壘振死壘策
 海上 3454146780
 二中 3014047355

●全三菱戰 昭和4年5月19日(日)三菱グラウンド
 前日の雨にグラウンドコンディションは濕の方であったが三菱のグラウンドに於ける
 初試合である。鈴鹿の横山氏主審、谷牛氏壘審の下にプレーを開始せり。

 神戸二中 001 000 000=1
  全三菱 000 100 01A=2


    打得安犠盗三四残失
    數點打打壘振球壘策
 二中 30130518112
 三菱 2724045573

《武 陽》
[第六回ダイヤモンド倶楽部コーチリーグ戰出場之記]

例年の催し月遅れて六月に入りスケジュールの決定を見る。
總て全参加校十六校二組に分けて試合を行ふ。
 Aチーム=北野中學、豐中中學、高津中學、神戸商業、育英商業、御影師範
 Bチーム=甲陽中學、平安中學、浪速(華)商業、海草中學、第一神港、神戸二中

◎第一回 對甲陽中學 昭和4年6月9日(日)
此の日、日曜にして午前中加州大學對慶應大學戰あり空一點の白雲すら認めぬ好天氣、グラウンドコンディションは上々なり。主審黒田、壘審丸泉兩氏のもと火蓋を切る。

第一回。(甲陽)渡邊、藤田の左中間二安打續き川端犠打、布谷四球、熊城犠飛、紺屋の遊撃グラウンドヒットに二者生還、先づ二點を占めらる、野田四球、危機再來せしと見えしが藤尾の遊撃ライナーに逸す。
(二中)別所捕手邪飛、牧野三振、丸山二匍に退く。

第二回。(甲陽)渡邊遊匍して一失に生き渡邊、藤田の三匍に送られ川端の中前安打に得點を重ね布谷三匍後再び一壘手津久井のエラーに生きしも川端牽制に刺さる。(二中)志摩四球、前田三振、津久井の二匍に志摩倒れ甲斐三振、若冠渡邊の球に功なさず。

第三回。(甲陽)熊城左前安打、紺屋犠打バントなり、野田の右翼ライン側に二壘打を得一擧生還、藤尾、濱邊二匍左飛に止む。
(二中)山田投飛、中山三匍、別所三振。

第四回。(甲陽)渡邊、藤田遊匍、投匍、川端中前安打し津久井の失策に二壘を得布谷一−○後左上を抜く本壘打し二點を入れ熊城三匍に終る。
(二中)牧野、丸山遊撃、二匍、志摩凡退に元氣なし。

第五回。(甲陽)紺屋、野田遊匍に刺され藤尾三遊間を抜く安打して濱邊左前安打せしも渡邊の三振あり。
(二中)前田飛球を右翼に取られ津久井遊匍、甲斐右前安打、山田遊撃を突きしも甲斐二壘に刺さる。

第六回。(甲陽)藤田二飛後川端中前安打し中堅手の逸球に二壘に至る、布谷の三失に生還。布谷續く捕手暴投に帰る、熊坂三振、紺屋左飛に閉づ。
(二中)中山遊匍、別所三振、牧野快打中堅上を抜き三壘に止る、丸山の遊飛に入らず。

第七回。野田遊失に生き藤尾右中間へ安打しテキサスに二壘を得濱邊の一匍に野田帰り渡邊の遊飛に藤尾掛りダブルプレーを喫す。
(二中)濱邊投手三壘の渡邊に代る、志摩二匍、前田左飛、津久井三振に止む。

第八回。(甲陽)藤田二飛、川端投匍、布谷左飛。
(二中)甲斐一匍、次打者山田、石原のピンチに代り三匍、中山二飛に無為なり。

第九回。(甲陽)熊城、紺屋各々捕失、左失に生き野田中飛、藤尾の左中を抜く本壘打に三點を加ふ、濱邊、渡邊中飛に終る。
(二中)最後の攻撃なり、打順一番より別所中飛、牧野二失、丸山二飛に牧野一壘重殺さる、事終れり、如何なる敗や親閲行幸ありと云へど敵も同じ心の締り如何ならん。

 甲陽中學 211 202 103=12
 神戸二中 000 000 000=0


 〔甲 陽〕 打得安犠盗三四残失
             死  
       數點打打壘振球壘策
 51 渡 邊 611001000
 9 藤 田 510000000
 2 川 端 423100000
 4 布 谷 421001121
 8 熊 城 421100000
 3 紺 屋 411100010
 6 野 田 411000120
 7 藤 尾 513000010
 15 濱 邊 511000010
     計 411212302271

 〔二 中〕 打得安犠盗三四残失
             死  
       數點打打壘振球壘策
 8 別 所 400002001
 6 牧 野 401001011
 5 丸 山 400000001
 7 志 摩 200001101
 2 前 田 300000002
 3 津久井 300001013
 1 甲 斐 301001000
 9 山 田 200000011
 9 石 原 100000000
 4 中 山 300000000
     計 29020061310