大正2年(1陽会)1913年

NO5

神戸又新日報新聞社主催】
 [第1回扇港野球大会]
《争覇戰記 武陽》
(第三回對一中戰)
 
想ふだに血湧き肉躍る感ある長月の試合にて、彼に一籌を輸してよりこゝに三旬余、臥薪嘗胆の思して腕を鍛へ技を磨きて、いつか會稽の恥を雪がでは止むべきと待ちに待ちし折しもあれ、扇港野球大會の招待に應じて、端なくも三度一中と覇を争ひぬ。時に霜月の初二日なりき。

 これより曩、前回の試合に敗れしより、全校の健兒を擧げて悲憤抑ふるに由なく、ためにその情は翕然として野球試合の上に集り、之に對する矚望となりて、更に今一たび彼に肉薄して、われを勝たしめよ、二中をして覇者たらしめよとの熱叫は、啻に野球部員の口よりのみ迸り出でたる言にはあらざりき。

 既に此の氣あり、其の慨あり。豈期するところなからぬや。爾來選手の發憤は忽にして激烈なる練習となり、日も維れ足らざるの感ありて、日としてバットの響を耳にせざるはなく、時としてボールの飛び交ふ眼にせざるはなく、心頭に存するものはたゞ優勝の一念のみ。

 加ふるに五年級の有志は能く此の外的活動を助けて遺憾なからしめむと期し、或は熱烈なる應援演説に訴へ、或は應援歌の合唱によりて、選手の活動に對して、時に正となり奇となりて、此を助けたり。グラウンドのほとり烈々たる落暉の光を身に浴びつゝ、可憐の下級生が口に唱ふものは、これ實に二中をして覇者たらしめむとする痛切なる響にあらずや。有形の熱情ならずや。

 かくて内外の準備漸く成り、一日又一日、練習は愈々其の獰をつくし猛をきはめ、戰備全く熟して、遂に十一月二日を迎へぬ。實に最後の日は來りしなり此の日の成果や如何に。雨か或は将た雪か。

 此の日午後二時三十分、全校六百の大應援團は潮の如く校門を辭し、手に手にカーキーの大旗小旗をふり翳して、隊伍堂々、元町より東遊園地に入りぬ。後るること數分にして、一中の應援軍亦入場し、我は本壘より三壘、左翼に至るまで、彼は本壘より右翼までの間に陣を敷く。

 其勢猛虎の相對するが如し。三時二十分兩軍練習を始む。白装の戰士戰はざるに氣既に敵を呑むの慨あり、山雨到らむとして風先樓に充つ、殺氣漸く場内に漲りて、戰期の接近を覺えしむ。

大正2年11月2日(日)東遊園地 〔審判〕球審 杉田、壘審山田
 午後3時
30分開始 4時40分閉戰
 神戸二中 000 020 0=2
 神戸一中 003 100 X=4
 

         打安盗犠刺補失得
〔二中軍〕    撃全壘牲殺殺  
         數球數球數數策點
 6 高瀬  清 20202200
 2 松本 早次 30003100
 9 今村 幡象 30001000
 5 今岡 泰一 31205100
 7 村井    31202000
 3 山崎 武二 31104001
 4 今井  昇 30001100
 8 森崎 了三 30000000
 1 岡本 春男 22200701
   合 計   
25590181202 

〔一中軍〕
 8 塚本 政一 31000000
 3 梶 米太郎 21003001
 4 島 増太郎 20000000
 5 三宅 英一 21001100
 9 松崎 文雄 30001000
 6 坂野    30101100
 7 鈴木 重郎 31200002
 2 藤井 誠一 1001
16000
 1 西村  昌 20000
1801
   合 計  
 21431222004 

     回打安三四悪併
      撃全    
〔二中〕 數數球振球球殺
 岡 本 6
2143301
〔一中〕
 西 村 7
2516100 

〈神戸又新日報〉
〔評〕神戸一中が3回に均衡を破った。鈴木の二壘打をきっかけに安打、四球で滿壘の好機をつかみ島の四球で押し出しの1點。なおもつづく滿壘に三宅が左翼に適時打を放ってこの回3點。4回にも1點を加え4−0と勝負を決めた。
 神戸二中は5回、山崎が三壘線安打、二盗。二死後岡本が二壘の頭上を破る左中間二壘打して2點を返しただけ。
 

 豫定時刻より遅るゝ事一時間、三時半より愈々第一神戸中學校對第二神戸中學校の試合は開始されたり。第一、第二中學全校生の應援隊は所定の位置に就き時々交互に應援歌を唱えて士氣を勵まし丘上に吹奏する音楽隊と相俟って場内早くも活氣立てる中に兩中學選手はプレートに立ちて猛烈な練習を行ひ其妙技早くも觀衆を酔はしむ、練習約二十分にして壘審山田氏は其位置に就き球審松田氏はプレーボールを宣す、此時黒山の如き四囲の人山は一斎に拍手喝采をを浴せ掛けたり 。