大正元年(1陽会)1912年

NO5

◎對第一中學校 (山岸稿)
 秋も既に半ば過ぎて秋冷の氣漸く身に迫る十一月十五日我がティームは第一中學校野球選手と見えぬ。アムパイアのプレーを宣する聲高く運動場に響くや我軍の第一打手吉川先づ莞爾としてボックスに立つ。一中軍の投手西村の發止と投げたる得意のサイドスロー長棍一揮すれば熱球砂を噛んで二壘を襲ふ。

 敵も去るもの島取て一壘に刺す。菅次いで立ちしも遊撃へ飛球を送りて倒れ、二死者の後山崎死球を得て一壘に據りしが二壘を盗まむとして不成。我軍代て陣を敷く。第一打手塚本飛球に死し、井上三壘を衝いて倒る。三宅二壘遊撃間のヒットに出でたれど後援續かずして得點なし。

 第二戰。岡本劈頭絶好のヒットを中野(堅)に送って出で期待する處ありしも茨木、松本本壘に憤死し、宮岡また二壘を襲ひて倒れ、岡本立往生に終る。敵軍代り攻む。投手藤野の老練なる手腕に悩まされ一壘をも踏まず。

 第三戰。森本、藤野三振し、吉川凡死して我軍無為。一中軍亦岸本、塚本、梶凡球に倒れ。

 第四戰に入る。菅弱球にて一壘を得しかば山崎バントを送りて、一壘に死せしも菅二壘に進む。一死者なり。然るに菅投手西村の詭計に陥りて憤死し、岡本亦倒れて、あたら好機會を逸し去りぬ。一中軍攻めしも徒らに大小飛球を飛ばし我が野手をして名を成さしむるのみ。

 第五戰に入るや、敵投手西村の投球猛烈を極め、茨木、松本、宮岡を三振に屠りぬ。されど一中軍もまた藤野の怪腕に翻弄せられ、島遊撃飛球に死し、次に鈴木遊撃オーバーのヒットに出で森本のバントにて送られしも、梶三振し岸本またPゴロに終りて無為。

 第六戰。森本三振し、藤野、吉川亦倒れて生還なし。我軍代りて陣を布く。敵のオーダーは第一打手に還りぬ。事なかれかしと祈りし甲斐なく、二壘オーバーの快球に出でし塚本、井上の三壘を衝く暇に二壘を取りぬ。投手藤野走者を刺さむと二壘へ投ぜし球正鵠を失し、吉川ために逸したれば塚本、井上轡を並べて生還しぬ。

 三宅投手の失に生くるや、西村中野(堅)にヒットを送りて、走者は一壘二壘にあり。島三壘飛球に死し鈴木次いでボックスに立ちぬ。藤野の肩稍疲勞しけむ、彼また右翼へ熱球を飛ばす山崎二壘に刺さむと投ぜし球高くして壘手捕ふ能はず、球は轉々として左翼中堅間に到り、ために三宅、西村、鈴木また生還しぬ。得點實に五。
森本、梶共に小飛球に終り。

 第七戰に入る。我軍の打撃更に振はず皆三振に終る。一中軍代るや、塚本又々岸本の一死の後中堅左翼間へ絶好の三壘打を飛ばし、井上左翼飛球に退きしも、三宅、西村各右翼左翼へヒットを送り塚本、三宅生還しぬ。島遊撃の失に出で二壘三壘にありしも、鈴木凡球に終りて猛襲の幕は閉ぢられぬ。

 第八戰。第九戰。兩軍好く攻めしも守備厳にして得點なく終に○對七Aにて敗れぬ。時に五時を過ぐること十分。兩軍のメンバー左の如し。 

大正元年1115日(金)神戸一中
 神戸二中 000 000 000=0
 神戸一中 000 005 20A=7

          打安犠三四得
〔二中軍〕     撃全牲 死 
          數球球振球點
 2B 吉川 眞蔵 400000
 1B 菅 和三郎 310100
 RF 山崎 武二 101110
 LF 岡本 春男 310100
 3B 茨木 一三 300200
 CF 松本  巍 300300
 SS 宮岡 泰一 300100
  C 森本  功 300300
  P 藤野 三郎 310200
     合計  
26 311410 

          打安犠三四得
〔一中軍〕     撃全牲 死 
          數球球振球點
 3B 塚本 政一 530002
 SS 井上市太郎 401001
 CF 三宅 英一 420002
  P 西村  昌 420001
 2B 島 増太郎 400000
 LF 鈴木 重郎 410101
 RF 森本郁太郎 301000
 1B 梶 米太郎 300100
  C 岸本 泰春 400000
     合計  
 3582207

 夫れ歴史は、偉人巨雄の茲上に印したる足跡の連續のみ。野球部報も亦我武陽の健兒が壬子に於て、グラウンドに残せし足跡を記したる外ならず。
 長汀曲浦を歩みて白き砂上に残りたる足跡を、磯波もて洗ひ去られざる様之を固むる如く、健兒が奮闘の跡、努力の痕が、月日てふ仇波によりて記憶の中より磨滅せられざるやう、ペンとインクもて之を紙上に録したるに過ぎず。

 何が為に斯くの如きことを敢てするか。何にが為に此の足跡を永遠に傳へむとするか。何にがために過去の足跡をしかく尊重するか。是皆、吾人が現在の地歩の由て来る所以を忘却せざらむが為也。更に吾人が将來に於て進むべき道を知悉せむが為也。

 白き砂上に足跡を顧みて、如何なる程度に前進せしか、後退せしかを知るが如く、吾人は野球部報を辿ることにより、果して健兒の實力が年を追うて進歩しつつあるか、退歩しつゝあるかを知らむと欲する也。

 今茲に、本年度の野球部報を綴りて終て、沈思黙考時を久うすれば、吾人は謂然として長嘆息無きを得ず。進歩せしか、退歩せしか、こゝに敢へて言はず。

 一段の進歩とすれば之當然のみ。一年の日子と其間の努力を費したる吾人は、之を以て誇りと為すに足らず。而れども一度、茲に退歩の跡歴々たるものありとせむか、尊き一年の日子を如何せむ、其間の努力を如何にせむ。

 之を思へば風雨を侵し、寒暑を厭はず激勵せし選手諸君の為に同情の涙無きを得ず。平素にありては、最善の方法を盡して練習し、一度戰場に臨むや最大の努力を以て奮闘せし選手諸君に對して、凄惻の情に堪へず。

 若し退歩の跡ありとすれば、其原因は決して選手諸君の練習不足に非らざる也。技倆の拙劣によらざる也。而らば選手を擁護する校友の熱誠足らざりしによる乎。然り或は之も其一因とすべきものならむ。而れども更に大なる影響を齎せるものは他にあり矣。
 曰く、野球部に對する外部の壓迫甚しき之也。吾人は以上詳論するを欲せず。此上筆を進むることを憚る。

 唯この意校友諸君に通ずれば、以て幸とするのみ。被壓迫の孤兒よ。決して心憂ふること勿れ。反撥せよ。奮起せよ。而して汝が進むべき道を猛進せよ。汝の前面に如何に其壓迫威を逞うすとも、汝の背後、部長の精勵、選手の奮激、部員の熱誠、能くそれを退くるものあるやに非ずや。

 過去を思ひ、追憶に耽り、徒らに逡巡し踟蹶するは吾人のとらざる處、吾人は現在に生き、未來に生きむとするものに非ずや、宜しく勇氣を新たにし勇往邁進せざるべからず。過去に於ては、進歩も可也、退歩も可也。進歩とあらば更に一段の向上發展を期せむのみ。若し夫れ退歩とすれば、更に更に大なる奮勵努力を以て、一驅千里、能く前日の敗辱を雪ぎ、尚後日の必勝を期すべきのみ。

 再び言はむ、今後いかなる壓迫生じ來るとも、決して之を恐るゝことなかれ、之を以て躊躇し挫折すること勿れ、過去に執着して、洋々たる希望漲り、赫々たる光明横る未來あるを忘るゝこと勿れ。