[對外奮闘史]
◎對横濱商業學校(山崎稿)
二十日(十一月)夜横濱を出發し、聖上陛下御不例のため、四日市商業との試合を中止し、二十三日來阪せし強チーム横濱商業野球團は、打ち續く雨天のため、亦もや二十三、四兩日とも對明星商業戰を延期し、二十四日來神しぬ。
我軍何條この好敵手を見逃すべき。これより先挑戰状を送りたれば、直ちに軍容を整へて、同日午後二時より東遊園地に遠征軍を迎えぬ。
頃は夏の最中時は日の眞盛なる午後二時、炎々たる太陽は中天より直射して釜中に居るの感あり。兩軍汗と埃りにまみれつつ互に鎬を削りて戰ひしが、我が力や劣りけん、奮闘に奮闘を重ね第七第八兩回何れも二死者にて三壘に據りしが敵の守備堅くして抜く能はず。遂に七對零にて敗れぬ。
大正元年11月24日(金)東遊園地
横濱商業7−0神戸二中
〔横濱軍〕 〔二中軍〕
SS 加藤 2B 吉川
P 遠藤 SS 菅
1B 増田 1B 山崎
3B 山口 P 岡本
2B 打田 3B 茨木
CF 石神 CF 松本
LF 宮下 LF 宮岡
RF 岩田 RF 今井
C 平井 C 田寺
◎對御影師範學校 (森本稿)
「異彩ある野球部」を標榜して、酷熱防ぐに由なき夏と云はず、寒風肌を刺す冬を問はず、日夜神撫山麓武陽原頭に壮姿を見はして、心膽を錬磨しつゝある我武陽快男子は、今夏々季休暇、炎塵熱沙と戰ひて難なく猛烈なる練習を終へ、而して球界の多忙なる、所謂野球シーズンを迎へぬ。
時巳に到れり。いざ我等の今夏錬りに錬りし腕、鍛へに鍛へし心膽を試す可き秋は來ぬ。而して吾が活動振は如何に。時は維れ大正元年九月二十六日、野色秋光を混じて既に初雁の聲を聞き、秋草紅を吐くの時、所は御影師範學校々庭に於て干戈を闘かはしぬ。實に今秋劈頭の奮闘戰なり。記せよ兩軍苦戰の趾を。
第一戰、我軍陣を敷く、劈頭ボックスに現はれしは敵の重鎮、遊撃手玉田(兄)彼長棍一揮、忽ち熱球は、我遊撃手に送られしが、宮岡の投ずる所ワイルドとなり一擧二壘を得せしめ續く玉田(弟)の三壘ゴロに依りて又もや三壘に進む。
然れども後援續かずして得る所なし、我軍代りて攻む。先鋒吉川右翼安全球を送りて先づ敵の心膽を寒からしめ、一壘を取りて二壘に走らんとして敵の刺す所となり、續く松本、山崎いづれも良く打ちしが空くして、
第二戰に入る。敵河合投手ゴロに斃れ、次に出でたる安随、飛球を左翼に送りしが今井の取る所となりて死す。初井遊撃の失策に生き、後援玉田(兄)の右翼安全球に依りて遂に本壘に陥る。是に於て敵一點を収む。
玉田(弟)投手フライに凡死。我軍代る。ボックスに立ちしは令名高き岡本、長棍一揮、又々得意の大飛球となりて空高く二壘上に舞ひ、初井之れを受くるに術なく岡本をして、一壘を踏ましむ。而して茨木捕手の失策に生き岡本をして二壘に進ましめしも之れ又後援續かずして第二戰の幕は閉ぢらぬ。
第三戰、黒崎遊撃に飛球を送りしが宮岡の取る所となり、敵の重鎮而して名投手なる高井あはれ本壘の立往生となり富田好ヒットを打ちしも高橋の三振に得る所なし。我軍代り攻めたれども、意氣揚らざりしか、敵の魔球に弄せられしか、遂に本壘空し。
第四戰、時に戰漸く酣なり。敵既に一點を収むると雖も何かあらん。吾愈守備を固め、愈々攻撃を巖にせり、然るに何ぞ。河合、安随共に投手飛球に斃れて後を受けたる初井、ヒットを中堅に飛ばして一壘を奪ひ、岡本の投球ワイルドとなり二壘に進ましめ、而して玉田(兄)の三壘ゴロ妙を得、初井をして更に三壘に進ましめ、續く玉田(弟)の好打に依りて、悠々と本壘に生還せり、是に敵亦一點を加ふ。
黒崎打ちしも無為。我軍松本左翼安全球に依りて一擧二壘を奪ひ、山崎本壘に空しく、岡本右翼安全球を送りて松本をして三壘を踏ましめ、更に茨木捕手の失により一壘を得んとするとき、松本又本壘に走らんとして共に敵の刃に斃れしは遺憾なり。
第五戰 敵河合、安全球を打ちしも後援續かずしてなすなく、我又平々凡々に終って無為。
第六戰、本戰に特記すべきは敵相次いで三つの安全球を打ちし事之なり。先頭第一初井左翼に安全球を送り、同じく玉田(兄)の安全球に依りて、二壘を冒し、更に玉田(弟)の右翼ヒットにて三壘に送られ将に滿壘にならむとするとき玉田(兄)松本よりの投球によりて二壘上に横死し、玉田(弟)又一壘に斃れて壘上たゞ初井の三壘にあるのみとなる。
然るに黒崎、高井の後を繼ぎたる富田、投手ゴロを送りて、初井を生還せしむ。敵軍得ること三點、愈勢を得たり。黒崎一壘に死す。我軍、森本、吉川、松本共に得る所なし。
第七戰、回を重ねること巳に七回。敵三點を収むるに反し我軍無點。記せよ戰は最後の五分間にあることを。振へ。起て。高橋ファルフライにて捕手に名をなさしめ、河合二壘ゴロを打ちしも吉川の快腕に斃れ安随又投手ゴロに空し。我軍山崎飛球を左翼に飛ばししも敵に名を成さしめ、岡本三壘に熱球を送りしが之れ亦空しく、茨木の三振にて、
第八戰に入りしも兩軍得るところなし。
第九戰、愈最後の幕は開かれぬ。高井投手ゴロに斃れ富田遊撃に猛球を送りしに宮岡失ふ所あり且あせりて其投球低くあたら富田を生かしめしが天我を助けしか後援共に凡死し、代って我攻む。而して山崎の安全球ありしも大勢如何ともすべからず、あはれ恨みを呑んで敵に勝を譲りぬ。
鳴呼過ぎし努力も水泡に歸す乎。恨を呑んで彼に勝を譲ると雖も、此汚名を忘るゝ事勿れ。記せよ「九月二十六日維れ何の日ぞ」希ふ健兒よ!機を逸する勿れ。此際益々奮勵努力し、而して後日又の日に會稽の恥を雪がずして何ぞ可ならんや。いざ振へ。いざ立て。
暮色蒼然として夕榮の紅を止め、晩鐘餘韻久しく諸行無常の響あり。晩鴉も塒に急ぐ暮れつ方、煙に消え行く敗戰の士またあはれならずや。成績左の如し。
大正元年9月26日(土)御影師範
御影師範 010 101 000=3
神戸二中 000 000 000=0
打安犠三四得
〔御影軍〕 撃全牲 死
數球球振球點
SS 玉田兄 530000
C 玉田弟 520000
1B 黒 崎 500000
P 高 井 510100
3B 飛 田 312000
CF 高 橋 300200
RF 河 合 410100
LF 安 随 400000
2B 初 井 420003
合計 38102403
打安犠三四得
〔二中軍〕 撃全牲 死
數球球振球點
2B 吉 川 410200
CF 松 本 310010
1B 山 崎 410100
P 岡 本 410000
3B 茨 木 101110
SS 宮 岡 300200
LF 今 井 310100
RF 菅 300100
C 森 本 300200
合計 28511020
◎第壹回本校對神戸クリケット倶楽部(田中稿)
野球季到りぬ。野球季來りぬ。かくて我等健兒が、期待に期待せし活動の好機とはなりぬ。豈神撫山下、白旗を立てゝ自ら黙々然たる可けむや。此の秋高く馬肥ゆるの候、恰もよし、神戸クリケット倶楽部の、試合挑戰状に接したれば、快く諾して、十月十日を以て、之と東遊園地に會して、親しく雌雄を決して、我等武陽健兒の怪腕を示さむとす。
顧みれば、一年前の夏同じき倶楽部と此處に會して、技を競ひ、遂にわれの大勝に歸せしことを懐へば、我軍の氣、戰はずして敵を呑むの慨あり。白装九雄姿の胸中や如何に。
大正元年10月10日(木)東遊園地
クリケット倶
003 361=13
神戸二中 201 02 =5
打安犠三四得
〔二中軍〕 撃全牲 死
數球球振球點
2B 吉 川 300011
1B 菅 410300
C 村 井 410002
P 藤 野 410101
LF 岡 本 400200
3B 茨 木 310101
RF 田 寺 211000
SS 宮 岡 300100
CF 松 本 101010
合計 2852825
〔クリッケト軍〕 打安犠三四得
撃全牲 死
數球球振球點
2B T.Cristencen 200022
P/LF H.Dacosta
420002
3B F.Alion
320011
LF/P
G.Roper
410101
CF F.Crane
400002
1B Atkinson 400101
SS C.Alion
410102
RF H.Cristensen 300012
C
Cary 300000
合計 31603413
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