昭和8年(21陽会)1933年

NO5

《武 陽》
【第19回全國野球選手権大會兵庫豫選】

 夏だ中京商業再度の制覇なり、ビクトリプスバルマエの大旆を金城城頭高くひるがへしより又一年、オール日本七百チームの若人が血をたぎらせて尊くも輝しの王座を狙ひて堂々相戰ふ時が來た。

 我等も全大阪軍の西川東平氏(舊慶應)を始めとして三輪重雄(全神戸)それに我校に縁の深い現立教の志摩君等のコーチを受け、馬場監督、筒井、田中(柳)兩先輩の引率のもとに合宿を行ひ猛練習が始められた。

◎對三中戰
 昭和8年7月26日(火)甲子園
 開始午前10時36分=閉戦11時49分 審判・生駒(球)西川、野村(壘)
▽1回戰
 神戸三中 000 00=0
 神戸二中 1031 0A=14

 (5回コールドゲーム)

第一回(三中)(零)入江三振、大村(兄)二壘ベースよりの強ゴロは池田スタートよく之を掴み一壘に刺すのファインプレーを演じ、江川三振。
(二中)(十)第一打者池田1−2後の第四球を痛打すれば左中間を抜く猛烈なライナーとなり白球緑の芝生を縫って轉々壁に達する大本壘打となり、池田悠々生還、最初の一點を擧げ敵の度膽を奪ふ。この為三中徳久コントロール亂れ梶井、山脇、野田に連續の四球を與へ續く中内も四球を選び梶井を押出し、續く名倉左中間に痛打し山脇、野田を還し松村死球で再び滿壘、加島の四球で中内還り、能勢の四球で名倉押出さる。

 こゝに打順一巡し池田も四球で松村生還、梶井の遊匍に加島本壘に封殺、山脇も再度の四球を得、能勢を押出す、野田ボックスにある時捕手僅にボールを後方に逸す間に池田本壘を陥れ、走者二、三壘に進みたる時野田左前にライナーのヒットを放ち、梶井還り山脇も二壘よりホームを衝きしも左翼よりの好返球にホーム寸前にて憤死、中内打者の時捕逸ありて野田二進、中内中前に安打し直ちに二盗、走者二、三壘により好機と見えたが名倉遊匍に終りチェンジとなりしも二中はこの回十五人を打線に送り四球及タイムリーヒットに一擧十點を擧げ早くも大勢を決す。

第二回(三中)(零)松井遊匍、廣岡中前に安打し齋藤一飛、徳久三壘後方のフライは梶井よく掴む。
(二中)(三)松村、加島共に四球に出で能勢打者の時重盗に成功し二、三壘による。能勢左前に安打し松村生還、加島も捕手の三壘牽制悪投に還り、池田四球、梶井遊撃左を抜き滿壘となり山脇カーブを強振して三振、野田の二匍に能勢本壘に封殺、中内四球で池田押出されて名倉の遊匍にやみしも三點を加ふ。

第三回(三中)(零)大村(弟)松森共に三振、入江三匍共に出でしも大村(兄)中飛。
(二中)(一)松村0−1後の第二球を痛打すれば球はぐんぐん延びて左翼オーバーの痛烈な本壘打となり更に一點を加ふ、加島、能勢共に三匍、池田遊匍。

第四回(三中)(零)江川三振、松井一匍、廣岡三振。
(二中)(零)梶井中前にライナーのヒットを放ち、山脇四球で一、二壘時、野田中堅に大飛球をあげしも松井よく背走し掴み、三壘に進まんとせし梶井を三壘に好投し寸前に刺す。中内四球、中倉中飛。

第五回(三中)(零)(この回二中島野投手となり野田二壘、加島退く)齋藤遊匍、徳久、大森(弟)共に四球(野田投手、島野二壘)によりしもピンチヒッター赤澤三振、關屋遊直に終り十四A對零にて二中大勝す。閉戰十一時四十九分。

〔後記〕風は朗々と空をゆき、蒼穹羊雲しきりに馳せて野球日和は紺碧晴れ、若さに誇る腕を見よ、意氣を見よ、相手の三中は過ぐる練習試合に二十一對五の大差で葬ってゐるが、敵もさるもの玉碎してくるに相違ないと思はれた。

 先攻の二中は一回目池田、投手のアウトコーナーをつく低目の直球を左中間に痛打して本壘打とした。これによりて折角緊張してゐた三中軍の精神も目茶苦茶に壊され、其れ以後四死球九つ、安打三本を許して一擧十點を奪はれ、全然回復の見込みを無くし其の上いよいよ打撃不振で二回廣岡が只一つの安打を中前に放ち、五回僅に野田に代りし島野投手のコントロール無きに乗じて二四球を奪っただけで、それも再度野田が代るに及びて動きがとれず終りたるに反し二中は二回以後やゝ調子を下したが二回には二安打、四四球で三點、三回には松村が左翼線上に本壘打を放ちて又一點、四回には得點は無かったが結局十四對零、五回コールドゲームで我軍先づ凱歌をあげた。

 野田投手の巧なる球さばきと、チェンジオブペースは流石四年間マウンドを踏みつゞけて來た者だとうなづかせられる。
 これに伴ふバックの守備も格別あながなく、少年加島の巧さや梶井の澁い打撃は賞するに足るべく、難しきショートバウンドを再々巧みに處理せる山脇の守備振は現慶應の一壘手岡を髣髴たらしむるものがある。要するに三中とはあまりにも實力の差がかけはなれ相手に取って不足だった事は否めない。

〈神戸新聞〉
【第19回全國野球選手権大會兵庫豫選】

 昭和8年7月26日(火)甲子園
 開始午前10時38分=閉戰午後11時46分 球審・生駒(球)西川、野村(壘)
▽1回戰
 神戸三中 000 00=0
 神戸二中 1031 0X=14

 (5回コールドゲーム)

 〔三 中〕 打得安犠盗振球残失
 21 入 江 301001010
 4 大村兄 200000000
 32 江 川 200002001
 8 松 井 200000000
 6 廣 岡 201001010
 73 斎 藤 200000000
 17 徳 久 100000010
 5 大村弟 100001010
 9 松 森 200002000
     計 1702007041

 〔二 中〕 打得安犠盗振球残失
 6 池 田 231000200
 5 梶 井 322000110
 3 山 脇 110001310
 141 野 田 311000120
 9 中 内 111010330
 2 名 倉 411000000
 8 松 村 131010200
 4 加 島 110010200
 14 島 野 000000000
 7 能 勢 211000100
     計 181480311570

〔本壘打〕池田、松村〔捕逸〕江川2
〔選手交替〕三中=一回、二中能勢打者のとき入江投手、江川捕手、徳久左翼、
      齋藤一壘。
二中=五回、三中徳久打者のとき野田二壘、島野投手、加島退き、松森打者のとき野田投手、加島二壘へ入る。
〔試合時間〕一時間八分。

◇……攻守にダンチの兩チームの得點の開きがこんなに大きくなったのは所詮は實力の相違、四球十五は三中の投手なきを語ってゐよう。三中は野田投手から二安打を記録したのみで惨敗した。
 
 二中は劈頭池田が左中間に痛烈な本壘打を放ってまづ膽を奪ひ、それから四つの連續四球と名倉の安打、また、二つの四球があって五點を重ねなほ無死滿壘、こゝで三中は陣容を代へて入江プレートに立ったが同じくノーコンを極めて四球で二點を押し出し、二つの捕逸に野田、中内の安打を交へて一擧十點。

 二中はその回に十五人の打者をボックスに送ったて八つの四球、四安打でワッショワッショとホームイン。二回にも四つの四球と能勢、梶井の安打で三點、三回には松村の本壘打で見事な止めをさした。
 その目まぐるしい得点ぶりはよう云はんとしか云はんワ!