昭和3年(16陽会)1928年

NO2

☆神中決死の奮闘も及ばず  二中軍の陣營に凱歌擧る☆

意氣こそ尊し
 紅のストッキングに紅のマーク…どこから見ても少年らしい選手を揃へた神港中學には恐ろしいファイティングスピリットがある。投手前川の一癖ある投球がこゝろよくミットに反響する毎に内外野は一齊に口を開いてまづ舌端から戰を挑んでかゝる−その意氣その熱−尊い純正の戰ひはかくて一回はことなくすみ、二回二中は一アウト池田二壘左寄りにゴロを呈し最初の安打に出壘したが、牧野、甲斐三振する、

 その裏神中も一アウト後垂水の強いゴロ、池田調子が合はず美事トンネルして出し二アウト後二盗を許しつゞく増井二壘の前へ小飛球をあげるを二中牧野追って及ばず、一壘田中また離壘して生かしたが植田三振してとどまる。

神中まづ一點
 溌溂たる意氣においてすでに二中を呑む神中は、三回一アウト後石橋の三壘強襲安打に端を發し、高津二壘左を抜く安打、清水も亦同じく二壘を襲ふ安打を放って石橋生還。なほ二、三點をかせぐチャンスであるのにこの間高津、清水無暴な次壘奪掠を試みて6−2−5と刺さる。

二中軍追撃す
 二、三回神港中學の前川投手を偵察してゐた二中は太田死球に出で直にスティール、二アウト後池田の二壘ゴロを植田大切なところで逸し、太田生還してまづ得點を對にして後五回獨特の總攻撃に移った。ノーアウトで甲斐が四球に出る。

 前田は一球を打氣に出てからバントに送る慎重な方策をとった後丸山の遊側安打と山本の投匍野手選擇は完全に前川を撹亂した。太田はこの機をすかさず二壘バック上にフライして出るをバックアップした増井はづし甲斐、丸山、山本相ついで生還、なほ大橋右翼をグンと抜いて太田を還し一擧四點、武陽健兒の氣概を見せる。

勇ましき石橋
 神中の三壘を守る石橋は覇氣滿々の好選手である。六回二中甲斐のあげた三壘背後の難飛球を逆に走って轉々しながら捕へるの美技を見せて破れるやうな拍手を浴びた上その裏攻撃の先陣を承はり一−○を中前に糸のやうな直球で安打して出る、然れど時運にめぐまれず高津三振、清水右翼フライに二アウト後投手牽制球に刺されて空し、あゝ滿々の覇氣も時利あらず、かくて味方の失意を買ふのみ。

七回の小波瀾
 二中攻めてなく七回神中の攻撃は幸先よく訪れた。一アウト後垂水の一打は遊撃頭上を抜くと見るやグングンと小氣味よく伸びて左中間フェンスの邊りに落ちた。立派な三壘打である。藤井の投匍、大橋よく握り三壘走者を引きつけてから一壘に投ずるの方法をとったが壘手田中一旦ミットに入れて弾き出すの醜態にセーフ、走者を一、三壘においてアウトはワンである、一壘走者藤井は豫定の如く二盗するを捕手前田ベンチよりの『殺せ、殺せ』に刺戟されて二壘に投げる。

 この瞬間三壘走者垂水の泳ぎ出るのを防がんと牧野また三壘に高投して垂水生還、なほ増井の二匍牧野散々に苦しんで握ったが一壘田中の落球で藤井生還、此の混亂時にベンチの昂奮は選手と行動を一にして植田を四球に出しながら後續二者を三振せしめ神中は好機永久に失ふ。

二中なほ一點
 最終回の二中は一アウトで丸山右中間を破りて出でスティール、山本三振したが太田の二壘左のゴロ安打となって生還、止めの一點を刺す、神中の悲壮な攻撃は得點の差三點をめがけて集中されたが垂水二匍、藤井、増井、大橋に弄殺されて空しく六對三の善戰記録をのこして神中退く。

《武 陽》
◎第三戰。對姫路中學(准優勝戰)
昭和3年4月14日(明石公園)
 かくて我軍は神戸三中を鎧袖一觸し、神港中學を粉砕して、櫻も咲きし卯月十四日、白鷺城の梟雄姫路中學と相見えぬ。彼と我と相戰ふこと幾度か敗戰に敗戰を重ねて怨讐髄に徹せるなれば、我軍今日の戰ひを一氣に決せんと武陽健兒獨特の物凄き戰闘的精神を以て敵陣へ殺到す。あゝ、されど。天は我に與せずして、記録するところ三對一、萬斛の熱涙を呑み旌旗を巻きて、陣を撤す。

第一回。(姫中)一番打者は敵中の剛将竹田、大橋投手奮闘して二−三と漕ぎ付けしが、この時我軍應援團全校を揚げて、長蛇の列を連ねて入場し來る、怨むべし、この遅延。選手の背後に、應援歌を高唱して通過する為め選手氣を奪はれて昂奮す、突如バットに響きあり、球は白線を引きて高く空中を飛ぶ。

 中堅手山本、應援團の掻擾のため注意散漫なりし故、判斷を誤りて捕へ得ず、竹田遂に二壘に達す。劈頭のこの一打我軍にとりて大いに不利なるものあり。試合以外に氣を奪はれたる選手に責ありと雖も、遅刻をなして試合中に入場し來る應援にその罪多し、かくの如き一事よく全試合に關するもの大なれば、應援團當事者は大いに反省すべき點あり。

 次打者田代遊撃背後の凡飛球テキサスとなりて生く、水田の遊匍、池田よく掴みて二壘に田代をフォースアウトせしが、その間に竹田三壘に到り、永尾の一打中堅深き大フライ犠打となりて生還。次打者は六割打者田中、大橋よく投げて二壘ゴロに打ち留む。
(二中)一點を得られて奮起せしも一死後太田三壘への匍球は駿足のため内野安打となりしも後續振はず。

第二回。(姫中)三者凡退。
(二中)も水田投手の快腕を破り得ず。

第三回。(姫中)一死後再び迎へしはさきに二壘打せし竹田なり、一撃猛烈なるライナーとなりて、大橋止め得ず、田代を三振に打ち取りて後水田を四球に出して、永尾に勢力集中の策を取りしが、前田捕手如何にしけん一壘へ牽制球を投げしがワイルドスロウとなりて竹田生還、又してもあきらめ難き一點をムザムザとあたふ。
(二中)水田投手の怪腕を破るものあらず、無残三者三振を記録す。

第四回。兩軍振はず、大橋も亦よく健闘す。
第五回。姫中攻めて無く。
(二中)劈頭牧野年少打者よくセレクトして四球を得、その後甲斐凡打、前田三振に二死となりしが、永尾捕手連續的逸球に牧野よく走って生還、一點を返す。

第六回。(姫中)無死にして田代遊側安打に出で、水田のライトフライを甲斐よく捕へて一死、次打者永尾の遊撃を衝くライナーに敵乍ら天晴なるラン・エンド・ヒットとなりて田代三進、田中のレフトフライのサクリファイスに生還。
(二中)依然として水田を打ちあぐみ、太田は三球の三振を喫し、大橋の怨を報ひんと渾身の力をこめて打ちしも中堅深き大飛球となりて物にならず、ヘヴィバッター田中も振はず。二−二の後のアウトコーナーを通るストレートを看過して退く。

第七回。ラッキイセヴンも兩軍の打棒當らず、波瀾なくしてやみ。
第八回。(姫中)一死後田代三壘背後のテキサスを丸山掴み得ず、水田の一撃山本好走好捕してツウアウト。永尾左前安打に續きしが、田中、大橋に強匍を呈して退く。
(二中)前田センターフライに退き、丸山はドロップを振って三振。山本の中前テキサスを竹田背走又背走よく走って入らず。

第九回。(姫中)最終の攻撃に黒田テキサスヒットに出壘し一死後、機を窺ひて二盗せしも、榮永の三壘ゴロを二−三間に挟撃され、榮永亦判斷悪く二壘望みてダブルプレーを喫す。
(二中)この回を物にせんと決眦して起ち二番太田四球を強奪して出で、ノーアウトにして打者は三番大橋、一撃遊撃を襲へば竹田亂れず田中三振に二死後池田最後の猛烈な聲援裡にボックスに入る。彼は主将、一打よく全軍を決するもの、一球毎に應援團の聲援物凄し、されど彼も三振の悲運を擔ひ、最後の一振長棍に音なく明石城頭怨を呑む。幾度か戰ひて、勝ってとなく、又今敗北の苦痛を嘗む。たゞ、願はくは、捲土重来、夏の日に必ずや彼を屠らんことを。

〈神戸新聞〉
昭和3年4月14日(土)明石公園グラウンド 午後3時10分=5時25分
▽準優勝戰
  (敵失) 101 000 100=3
  (安打) 201 002 021=8
 姫路中學 101 001 000=3
 神戸二中 000 010 000=1

  (安打) 110 000 000=2
  (敵失) 000 010 000=1

 〔姫路中〕 打得安犠盗三四失
       數點打打壘振死策
 (6)竹 田 42200000
 (4)田 代 41300100
 (1)水 田 30001010
 (2)永 尾 30211000
 (8)田 中 30010100
 (5)黒 田 40101000
 (3)鎌 田 40000101
 (7)榮 永 40000100
 (9)早 足 30000000
     計 323823411

 〔二 中〕 打得安犠盗三四失
       數點打打壘振死策
 (8)山 本 30001210
 (7)太 田 30102210
 (1)大 橋 40000201
 (3)田 中 40100200
 (6)池 田 40000300
 (4)牧 野 21000210
 (9)甲 斐 30000100
 (2)前 田 30000201
 (5)丸 山 20000111
     計 2812031743

『備考』△球審=加藤、壘審=關根△二壘打=竹田△捕逸=永尾3△併殺=二中1

☆武陽軍を見事に屠る 鷺城軍水田投手の堅闘遂に酬られて
 三對一のスコアーに姫中勝つ☆

必勝の武陽軍
 白鷺城下の至寶水田投手を持つ姫中軍と、はからずも准優勝戰に顔を合せた神撫山下の雄二中軍は自校を擧げて明石球場に殺到、まづ一壘側に長蛇の列を布き『名も千載にかんばしき』その校歌の高唱に戰意をあふる

姫中まづ一點
 姫中豎子(じゅし=青二才)何するものぞと先攻すれば劈頭竹田は中越二壘打に出る、幸先よき出發である、續く田代又遊撃背後にフライして生き水田の遊匍は田代を二壘に封殺したが永尾の中堅犠飛に竹田生還、なほ六割打者田中と續いて二中を苦しめたが大橋よく投げて二壘ゴロに片づける、されど姫中先攻チームの定石通り一點を先取する、その裏の二中は一アウト太田が駿足で内野安打をかせぎ二盗したのみ。

姫中更に一點
 水田投手の剛球と魔球に二中の打力が封ぜられてゐる間に姫中は三回また一アウト後竹田猛烈なライナーで投手を抜いて出で田代三振後水田を迎えた二中大橋は水田をストレートの四球に出し永尾に勢力を集中するの策をとったが捕手前田は何と思てか一壘へ牽制球を暴投して竹田の生還を許す、クロスゲームは二中に甚だしくハードラックに進む。

捕手なき姫中
 剛球投手宮崎を擁する一中に捕手なき哀しさがあるが如く今白鷺城下の至寶水田投手に配するに永尾捕手には如何にも物足らぬ不安はあったが果して五回裏二中牧野四球に出た後二アウトまで漕ぎつけた水田の努力も、永尾のあきらめられぬ逸球二個に牧野の生還を許し得點の差僅に一點を残すのみとなる、姫中に往年の小林はなきものか。

美事な走壘法
 六回の姫中はノーアウトで田代が遊側安打に出る、水田は右翼フライで一アウト後永尾の遊撃を抜く安打にラン・エンド・ヒットは美事になり田代三進し田中の左翼犠牲フライに生還するなど理論通りの戰法に姫中は一點を重ね又得點をアヘッドする、二中は相變らず水田に悩まされ太田は三振、大橋は深いフライを中堅に獲られ田中は二−二の後外角を衝かれて看過し一壘を踏まずして退く。

淡々たる進展
 ラッキーセブンに兩軍波瀾なく八回姫中は一アウト後田代が三壘後のテキサスに出る、水田は中堅大飛球を返り咲きの山本に取られて二アウト後永尾左前安打と續いたが田中はこの日當らず投手に強匍を呈して退く、二中も前田中飛、丸山は水田の物凄いドロップに三振、山本の中前フライは遊撃竹田背走又背走よく握ってなく最終回に入る。

姫中遂に勝つ
 姫中最後の攻撃に黒田まづ内野小飛球テキサスに出で一アウト後機を見て二盗したが榮永の三壘ゴロに二−三壘間に挟殺され榮永も亦判斷悪く二壘を望んで併殺され二中決眦して起つ、二番田中は猛烈な應援裡に四球を強奪して出る、ノーアウトで打者は三番大橋、姫中のピンチは最終に見舞はれたが大橋の遊匍は竹田に刺されて一アウト、田中三振で二アウト、重任を負うてボックスにあるは主将池田である、彼の一打に運命は決せられるわけである、一投球毎に二中軍の應援は凄絶を極めたが姫中水田の好投に遂に三振し結局三對一の接戰に鷺城軍凱歌を揚ぐ。

あゝ水田投手
 三對一の接戰に強敵二中軍を破った姫中軍の投手水田は三振十七をとり安打僅に二本を與へたのみで、まさに至寶として姫中を大旆の下に一歩進ませた、名譽の投手として禮讃の筆を置く。

《武 陽》
[ダイヤコーチリーグ戰出場之記]

時や晩春中旬、ダイヤモンドクラブの招きに依りてリーグ戰に出場す。出づる處の校九校、本校、海草中學、神戸商業、神港商業、御影師範、平安中學、高津中學、豐中中學、北野中學なり。

◎第一戰 本校對海草中學 昭和3年5月13日(日)甲子園
 海草中學 4A−0 神戸二中
相會せし海草中學は、前教頭谷口先生の赴任して、校長にならせたまふところ。先生の御薫陶よろしきためなりや、技あり、意氣あり、吾軍敗れたりとも、その悔更になし。
記録は四A−零。此の日太田左翼手眼鏡を割りて負傷せし混亂のため記録を缺きし故たゞ得點をのみ記す。

◎第二戰 本校對高津中學 昭和3年5月22日(火)甲子園
 神戸二中 100 001 004=6
 高津中學 000 000 003=3


〔神戸二中〕第一回。一死後池田右飛失に三進、大橋の遊匍に生還、田中四球に出でしも、牧野投匍、丸山の右前安打も甲斐三振に空し、二、三、四回凡退。
五回に入りて、二死後池田、大橋それぞれ二遊間、三遊間を抜く安打に出でしも後續振はず。

第六回。牧野四球に出で、甲斐の二匍失、前田の三遊間安打、太田二遊間安打に一點を擧げ、七、八回攻めて無く、九回に入るや、山本の四球、池田の三遊間安打、大橋の右前安打、丸山の三壘右の強匍安打、牧野四球、甲斐二匍グラウンドヒットとなり一擧四點を奪ひ、計六點を擧ぐ。

〔高津中學〕一回より八回まで大橋の球を打ち得ず、悉く三者三退を繰す。九回に入りて一死後富田三振不死(振り逃げ)で一壘に生き、捕手前田暴投して富田は二進、次には大橋二壘走者を刺さんとやゝ高めの球を池田ショート掴み得ず、この間富田は三進、山本強匍はハヂク處となりて生還、この人三振不死に出壘すべて、失策にて生還す。

 これ未だ嘗て見ざる奇現象なり。次打者久米第一球を中前へ直球安打す、これ初めての安打らしき安打なり。續く橋本の一打ライトの稍々後方に飛ぶフライにして、甚だ捕へ易きを、右翼手甲斐見ながら轉倒するの醜態を演じ生還を許す。

戰績六−三我軍勝てり。