昭和34年(47陽会)1959年

NO5

[秋季県高校野球大会]
〈神戸新聞〉

昭和34年10月25日(日)神戸市民球場
▽2回戦
 県兵庫 000 000 000=0
 飾 磨 300 001 00X=4


 (県兵庫) 打安失     (飾 磨) 打安失
 7 中 村 410     8 松 谷 310
 4 網 野 400     4 宮 本 200
 6 桑 原 301     7 井 置 410
 2 丹 羽 300     3 中 村 410
 19 国 本 420     2 金 沢 400
 8 長谷川 300     1 磯 田 300
 5 道 本 301     5 山 下 320
 9 江 口 000     6 三 和 300
 1 伊之坂 300     9 上 野 200
 3 長谷川 310     9 川 嶋 110
犠盗振球残併打安失
01112503042
犠盗振球残併打安失
2132502960 

 ◇三塁打=中村 ◇二塁打=井置、山下 ◇試合時間=1時間56分

〔評〕飾磨初回の速攻で試合は決まった。この回先頭松谷が四球を選んだあと、犠打、敵失をはさむ3長単打を集めて一挙三点を奪った。コントロールを生命とする国本が珍しく好球をそろえるところをねらい打ったもの。
 
 磯田はこの先制点をバックに楽に投げた。外角速球、内角シュートにカーブを配して兵庫を散発4安打に封じ危げなかった。それでも兵庫は磯田攻略に懸命だった。

 二回には安打の国本が三進、三回にも中村が三塁打してチャンスを築きながら二死後でものにならず四、五回にはバント安打の走者が出塁するなどあらゆる秘術を尽くしたが、どうしても磯田を打ち込めず、11三振を奪われて零敗した。

47陽会(昭和35年卒)

 望月親二郎    投手
 山下 敏雄    捕手
 牧之内良昭    一塁
 上田  勝    二塁
 徳田 隆史    三塁
 八木 康裕    左翼
 大塚  勇    中堅
 笹山 就由    右翼
 浜田 直人    マネ

☆笹山敦由氏 昭和35年卒 47陽会

 いまでもしっかりと私の脳裏に焼きついている。あの日のことは一生涯忘れられない思い出だ。それは第41回大会兵庫予選4回戦、対県尼崎戦のことだった。

 この大会、私はベンチ入りしたものの、先発要員ではなく、控え戦力だった。それが2回戦の御影戦で八木選手が負傷、3回戦の甲南戦から先発出場することになった。
 当時の監督は兵庫高校のOBで甲南大学野球部主将の田中さん。甲南の監督は甲南大学野球部の副主将、主将−副主将対決で話題になった。

 甲南に勝ち4回戦で顔が会ったのが優勝候補最右翼との下馬評が高かった県尼崎。
 当然、兵庫高校にはほとんど勝ち目がない−と見られていた。

 九番、ライトで先発出場した私の第1打席は2−2から見逃しの三振。
 第2打席は二死二塁という好機に巡ってきた。『もしかしたら代打を出されるか』と思ってベンチを見ると、田中監督は右手で大きく“打て”のゼスチュアー。

 初球はなんでも振ってやろうと思って打席に立った。狙い通り無我夢中でバットを 力いっぱい振った。打球は右線へのタイムリーヒットとなった。これが自信となって続く第3打席も右前打。守ってはエースの国本が力投して3−0で勝つという大金星を挙げた。

 やれば出来る−この試合でのプレーはその後の私の人生で大きな支えになったと思う。