昭和15年(28陽会)1940年

NO5

◎對村野工業戰  昭和15年10月12日(土)村野工業
 村野工業 017 100 03=12
 神戸二中 000 000 10=1


 〔村 工〕 打點安犠盗三四失
 7 村 川 41102120
 5 山 田 52201012
 6 細 見 52001010
 8 松 岡 41000020
 3 景 山 53101110
 4 瀬 利 60201000
 2 太 田 41000010
 9 岩 本 31100120
 1 辻 田 41000000
     計 40127063102

 〔二 中〕 打點安犠盗三四失
 4 本 城 40000010
 8 上 山 20000000
 93 岩 崎 10000012
 7 三 谷 31100011
 91 柳 田 40000000
 198 竹 中 40201001
 3 川 戸 10000011
 2 葛 目 20000200
 6 松 本 30000201
 6 木 村 10000100
 2 小 出 10001010
 9  構  20001000
 5 前 田 40101102
     計 321404658

 △二壘打=前田、竹中、三谷△三壘打=村川

青野ケ原行のため四年級の練習の出來なかった事が最も痛く感ぜられた。

◎對成器商業戰  昭和15年10月13日(日)藤井寺球場
 成器商業 002 100 300=6
 神戸二中 000 000 000=0


 〔成 器〕 打點安犠盗三四失
 2 山 本 51101000
 6 中 村 41010100
 8 樽 井 51202100
 1 岡 本 41300010
 5 阪 本 41000010
 3 奥 田 40000110
 9 藤 田 51101000
 4 洒 木 40101101
 7  岡  40001000
     計 396816431

 〔二 中〕 打點安犠盗三四失
 4 本 城 20000021
 9 上 山 40000000
 7 三 谷 30000010
 8 竹 中 40000200
 1 柳 田 40000001
 3 小 出 20000111
 6 松 本 20000212
 2 葛 目 30000300
 5 前 田 30000001
     計 270000856

 △三壘打=岡本2

 前日と同様練習出來ずしてむざと敗けてしまったことは全く残念であった。敵岡本投手の左腕より繰出される球に我が軍全然手が出ず無安打に止む。切歯の極み也。

《武 陽》
◎對育英商業戰
  昭和15年10月27日(日)甲子園球場
 神戸二中 502 000 000=7
 育英商業 100 202 001=6


 〔育 英〕 打點安犠盗三四失
 31 菅 原 32001030
 13 山 下 32101030
 6 寸 田 50100211
 2 行 部 40002020
 8 關 元 40001120
 7 鈴 木 20001030
 9 松 原 31000020
 5 花 木 40000111
 4 山 口 31100121
     計 3163065193

 〔二 中〕 打點安犠盗三四失
 4 本 城 41100013
 9  構  31000200
 9 上 山 20000100
 7 三 谷 40001010
 1 柳 田 41000010
 8 竹 中 42100011
 3 小 出 12000040
 6 松 本 40000010
 2 葛 目 30101020
 5 前 田 20000111
     計 3173024125

 △三壘打=竹中

 快なる哉此の一戦!!である。古豪育英の追撃をしりぞけ堂々勝つ。練習の賜であらう。兩軍投手に於ては何れも不調であり芳しくなかったが我が軍良く團結し機に臨んで逸することなく最後の勝利を得、正に武陽魂の前には強豪育英も尻尾を捲くの態である。

[野球部員]
 五年生=小林幹治、井上玄太郎、猿丸安之、小室芳保
 四年生=主将・竹中昌三、副将・三谷元一郎、柳田創三、前田正夫、川戸利文、
     福島基弘、石川昌利
 三年生=本城唯一、上山勝美、松本 博、構 擴司、葛目博亨、岩崎 睦、
     小出誠一、椿井正彦
 二年生=栗原良行、佐藤廣成、高橋俊彌
 一年生=岩崎謙一、木村治朗、栗川 淳、小谷憲弘、岡田潤一、岡本 巌、
     矢田 治、山下 猛、山本淳三、池野耕次、楠見吉弘、梅垣邦一、
     久保井欣一。

29陽会(昭和16年卒)
 苅部  孝    
 鈴江 喜伴    右翼
 小室 芳保    
 村上 安正    三塁
 井上玄太郎    
 小林 幹治    一塁
 藤池 俊一    
 堺  慶一    右翼
 猿丸 安之    一塁