昭和62年7月24日(金)神戸市民球場
▽2回戦
県兵庫 000 000 100=1
三 田 010 002 00X=3
(県兵庫) 打安点
G 奥 谷 410
C 前 北 431
H 山本圭 510
D 山本秀 410
A 上 倉 400
E 嶺 山 420
B 石 川 100
H 大 塚 100
3 和 田 100
@ 伊 福 410
F 橋 本 410
計 36101
(三 田) 打安点
H 南 中 420
C 和田貴 400
D 柳 野 310
G 上 岡 410
B 薮 田 210
A 西 沢 210
F 下 岡 411
@ 岸 本 300
E 石 井 222
計 2893
(兵)41211112
振球犠盗失残併
(三)66602130
▽三塁打=奥谷 ▽暴投=伊福 ▽2時間38分
〔評〕三田打線は速くても素直なストレートなら上下位の別なく打ちこなす。二回は先頭の薮田が中前打、暴投、犠打野選で迎えた一、三塁で下岡が1球目を狙いすまして一、二塁間を破り先取点。
六回には西沢の右前打をきっかけに一死二、三塁とし、石井が投前にスリーバントスクイズ、西沢に続いて二塁にいた下岡も俊足をとばして一気に生還、3点目を挙げた。
下岡の好判断と走塁が光った。
兵庫は岸本から10安打したが、伊福からの連打で取った七回の1点だけで攻撃の歯車がかみ合わず競り負けた。
◎昭和62年秋季地区大会◎
〔中神戸〕
8月22日(土)神戸弘陵
▽1回戦
県兵庫 060 000 000 0=6
鈴蘭台 100 003 200 1=7
(延長10回)
(兵)藤堂、梅鉢−日下
(鈴)西−溝口
8月26日(水)鈴蘭台西
▽敗者復活1回戦
県兵庫 011 000 011 0=4
鈴蘭台西 000 200 002 1=5
(延長10回)
(兵)藤堂−日下
(鈴)木村−増田
▽本塁打=和田(兵)
75陽会(昭和63年卒)
伊福 昭則 投手
上倉 幸治 捕手
石川 余祐 一塁
前北 峰成 二塁
山本 秀樹 三塁
嶺山 博一 遊撃
橋本 篤二 左翼
奥谷 康紀 中堅
山本圭一郎 右翼
荒木 克彦 二塁
高山 雅晴 右翼
大西 明夫 二塁
岸 奈穂美 マネ
我々の学年はほとんどが野球経験者であり、投手、捕手、内野、外野と各ポジションはそろっていた。各人、個性はバラバラであったが、チームとしては良くまとまっていた。
メンバー全員、調子乗りが多く、打線に火が付くと止まらず、一挙大量得点をあげることも少なくなかった。練習試合では快進撃を続け、負け試合は少なかった。公立高校との対戦はほとんど負けなかったが、鎌仲投手(中日−近鉄)を擁する神戸高校との定期戦は完敗であった。自慢の打線が完全に抑え込まれての敗戦、悔しい思い出のひとつである。
悔しい思い出はほかにもある。練習試合を含め私立高との対戦では、一度も勝利を挙げることができなかったこと。最後の夏の大会も三田学園に、1−3で負けてしまった。技術的な差はなかったと自負している。ただ、精神面の差はあったのは事実だろう。
悔しい思い出ばかりではない。むしろ楽しい思い出の方多く、何を取り上げればいいか頭を悩ますほど。ただひとつ言えることは、素晴らしいメンバーとともに野球ができたことだ。高校の3年間、うれしいときも悲しいときも、いつも野球部のメンバーがいた。あの当時の思いは今もなお生き続けている。
もう一度昔に戻れるとしたら、また同じメンバーで野球をやってみたい。
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