〈神戸新聞〉
【第45回全国野球選手権大会兵庫予選】
昭和38年7月23日(火)神戸市民球場
▽2回戦
県兵庫 020 000 011=4
上 郡 010 001 000=2
(県兵庫) 打安点 (上 郡) 打安点
D 保 坂 300 C 桐 谷 410
C 小 谷 400 E 河 原 310
H 宮 長 400 B 中田久 300
B 奥 田 200 G 中田克 411
@ 前 田 400 H 平 田 310
G 森 下 311 @ 田 村 200
A 幤 411 A 松 本 100
E 片 山 201 2 室 井 100
F 長 瀬 310 R 前 川 000
F 政 家 300
H 小 林 110
D 三 宅 400
計 2933 計 2951
(県兵)951213
振球犠盗併残
(上郡)343308
▽三塁打=森下 ▽二塁打=河原、長瀬 ▽捕逸=幤 ▽失策=県兵庫4(保坂、奥
田、前田、幤)上郡1(松本) ▽試合時間=2時間24分
〔評〕県兵庫の幸運な勝利だった。2−2で迎えた八回、二死後長瀬が左線二塁打、保坂四球で一、二塁、次打者小谷の1−1後、一塁走者の保坂が飛び出して一、二塁間にはさまれたが、これを追った捕手の松本が二塁へ悪送球、この間長瀬が生還して勝ち越し点をあげ、九回には森下の左線三塁打でダメを押した。
上郡にとって八回の逸機は痛かった。桐谷安打、河原四球で無死一、二塁の反撃機をつかんだが、次打者がサインを見落して強攻して凡退、後續打者も外野にフライを打ち上げ得点に結びつけることが出来なかった。県兵庫打線をわずか3安打に押さえながら報われなかった田村投手の力投が惜しまれる。
昭和38年7月27日(土)甲子園
▽3回戦
県兵庫 000 000 000=0
関 学 000 300 00X=3
(県兵庫) 打安点 (関 学) 打安点
D 保 坂 410 E 杉 本 420
E 島 田 200 C 西 山 300
6 片 山 200 G 中 村 312
H 富 永 300 B 山 崎 311
H 宮 長 100 A 郭 300
B 奥 田 410 @ 中 条 310
@ 前田一 410 F 谷 岡 300
G 森 下 300 H 原 田 320
A 幤 300 D 辻 310
C 小 谷 200
F 長 瀬 200
計 3030 計 2883
(県兵)820115
振球犠盗併残
(関学)310012
▽三塁打=中村 ▽二塁打=杉本 ▽失策=県兵庫0、関学2(中条、杉本)
▽試合時間=1時間42分
〔評〕関学のバッティングは素直だ。三回までポイントがつかめず三人ずつで、7飛球を打ち上げていたが、打者一巡した四回に前田一をとらえた。先頭の杉本が内角球を引きつけて左翼線に二塁打し、西山死球のあと中村が0−2からこんどは右越えに流し打って三塁打、山崎も軽く右前に落としてあっという間に3点を奪った。
見事な集中攻撃だ。その後も左腕というだけでクセの少ない前田一をよく打ち、県兵庫を守勢一方に追いやった。
その点県兵庫は横手投げに対する工夫がたりない。中条の外角カーブ、内角シュートに泳いだり、詰ったり、さっぱり打てない。振りが大きいためだ。九回敵失と奥田の左前打でつかんだ二死一、二塁もたのみの前田一が二飛に倒れて万事休した。
51陽会(昭和39年卒)
前田 一郎 投手
小谷 節雄 内野
山本 泰教 外野
富永 育宏 投手
田治米剛一郎 捕手
山田 務 外野
寺津 正輝 内野
森 俊夫 外野
田頭 修 内野
私たち51陽会は、戦績ではあまり誇れるものはありませんが、唯一あるとすれば、秋の県大会の地区予選で、中神戸地区で宮本投手(元阪急)−吉田捕手(元巨人)のバッテリーを擁する市神港を下し、地区1位で県大会に出場したことです。
ところが、県大会では、2回戦(1回戦は不戦勝)で葺合高と対戦し、1−16、5回コールド負けという実に不名誉な敗北を喫してしまいました。
一方地区予選2位で県大会に出場した市神港は優勝、近畿大会では1回戦で敗退しましたが、翌春の選抜に出場してベスト4まで駒を進めるという好成績を挙げました。
説明のつかない結果に複雑な気持ちになったことは確かです。以後、大舞台を経験したチームには全く歯が立ちませんでした。
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