昭和36年(49陽会)1961年

NO2

【第43回全国野球選手権大会兵庫予選】
昭和36年7月22日(土)甲子園
▽2回戦
 市伊丹 011 001 300=6
 県兵庫 000 100 000=1


 (市伊丹) 打安点    (県兵庫) 打安点
 C 村 田 400    G 前田光 310
 G 郡 田 322    C 早 川 300
 E 瀬 川 511    B13 道本 411
 B 道 上 310    A 久 米 410
 @ 藤 田 211    H39 千葉 310
 A 中 田 311    D 橋 本 300
 F 大福地 310    H 石 本 100
 H 中 島 311    @9 松尾 200
 9 吉 川 100    1 前田一 100
 D 池 田 410    F 中 田 300
              E 小 林 300
     計 3196        計 3041

 (市伊)372107
     振球犠盗併残
 (県兵)721015

 ▽三塁打=前田光、郡田、瀬川 ▽二塁打=中田(市伊丹)大福地
 ▽失策=市伊1(藤田)兵庫0 ▽試合時間=2時間33分

〔評〕調子に乗る市伊丹は攻守に活発だった。野手の動きが機敏で、難球をさばき、バットの振りもシャープだった。二回3四球で二死満塁後中島が左前に先制打、三回にも二死一塁から道上、藤田が連安打、六、七回には3本の長打を生かして加点した。

 県兵庫の先発松尾は制球力に欠けるため、四球の走者を出したあと、好球を投げてねらい打たれた。県兵庫は四回道本のスクイズで1点をあげたが、元気な市伊丹のペースにはまり、いいところがなかった。

(昭和37年優秀選手)前田光次

49陽会(昭和37年卒)=部長・樋口秀雄、監督・真鍋宗次=
 松尾 嘉彦    投手
 久米 忠昭    捕手
 千葉  孝    一塁
 早川 泰雄    二塁
 橋本  進    三塁
 小林 年夫    遊撃
 道本  修    中堅
 西本  進    右、マネ
 

☆早川泰雄氏 昭和37年卒 49陽会 

 われわれの学年は“唯我独尊”というわけでは決してないが、結構各人が学力もそこそこで且つ強い個性を持っていたという点が他の学年に比しての特徴ではなかったかと思われます。そして主将であった私自身の力不足もあり、全体をまとめていくのに苦労した記憶が強く残っています。

 しかし、入部後は、それぞれ自己の希望あるいは得意、不得意を考え自然にそれぞれのポジションに重複することなく就くこととなり、結果各人の個性、能力を一番発揮できるチーム構成になっていきました。

 二年先輩のチームが県大会でベスト8に入ったこともあり、われわれもと思い頑張ったが、地区予選は勝ち抜いたもののベスト16という結果が最高で少々残念な記憶も残っています。

 後になって思い返すと、当時は伝統に従うあるいは先輩指導による根性野球を目指す練習方法を採っていましたが、もう少し合理的、効率的なやり方で取り組むことが出来なかったのかと反省する点もあります。

 暑い暑い日が続く夏に、ベースランニングなどは暗くなっても出来るというわけで夜遅くまで繰り返すこともありました。疲れが続くある日主将である私の考えで一通りの練習が終わる暗くなるころに練習を切り上げることにして引き揚げようとしたところ、逆にそれまで以上の多いランニングを先輩に課せられ逆効果を招いた苦い経験もありました。最近ではこれら“シゴキ”スタイルから科学的、合理的練習法が採り入れられ、実施されているようで良いことだと思います。

 クラブ活動が三年の夏休みで終わり、各自が勉強に力を入れた結果だと思いますが、卒業後就職者(1人)、神戸大(2人)、慶応、立教、立命、関学、神外大(各1人)と進路を決めて行きました。これもまたそれぞれが強い個性を発揮した一端であったのかと私は考え、高校生としてのある意味での頑張りを示したことで今でも我チームの各人を誇りに思っています。

 最後に仲間の道本君がガンで亡くなったことが残念でなりません。ご冥福を心よりお祈りします。
 

☆橋本 進氏 昭和37年卒 49陽会

 正直言って弱かったからだろう。楽しかった思い出は浮かんでこない。でも、いい思い出はいっぱいある。一番は、やはり甲子園で野球ができたことか。

 昭和36年、夏の県予選。相手は市伊丹だった。満塁のチャンスにボテボテの内野ゴロ。試合に負けたこともあって余計に悔いが残った。涙が止まらなかった。人に見られたくなくて、二階にあった水道の水で何時までも顔を洗っていたものだった。

 デイリースポーツに入社、とら番記者として甲子園球場に通うようになり、その水道を見るたびに“あの日”がホロ苦くよみがえった。しかし、それでも大人になってからは経験出来ない思い出。ひたむきに野球だけを考えていた県兵庫の野球部時代が懐かしい。

 先輩の片岡さん(故人、元巨人−国鉄)の猛ノック、冬恒例の高取山へのランニング、授業中には眠気と戦いながらタコ糸でボール縫い、葺合高校との練習試合に負け、石段にスパイクのまま正座させられたこともある。

『授業に出られなくても、練習には出て来い!』先輩の声が今も耳に残っている。苦しかった出来事が今では皆いい思い出になり、どこかで心の支えになっている。
 県兵庫の野球部員であったことを誇りに思い、感謝している。