【昭和30年(1955)】

〈神戸新聞〉

【第27回全国選抜野球大会】

昭和30年4月5日(火)甲子園

▽2回戦

若 狭 000 010 200=3

県兵庫 000 100 100=2

〔評〕地元代表の兵庫は相手投手松井の速球に振り遅れて打棒伸びず、投手の森滝もコントロールが荒れ気味の不調とあって、苦しい試合だった。しかし守勢に立ちながらも、力いっぱいに健闘は、場内をわかすに十分であった。四回に鳴川の左翼越え堂々の二塁打から先取得点をあげたが、その喜びも束の間、五回によく似たケースで山下の無死二塁打から同点とされ、しかも七回に内藤の右前安打を野手の後逸にピンチを招き、その後敵のスクイズ失敗に恵まれて二死とこぎつけながら走者を二、三塁において川渕の手痛い二、遊間内野安打を喫し、逆に二点のリードを奪われてしまった。 

これを追って兵庫は、その裏天野の安打、二盗と四球でチャンスを得、重盗で一点を返し肉薄したが、惜しくも二塁走者の石原が投手けん制に倒れれたのは、場面が場面だけに痛かった。敗れたりとはいえ悔いなきその健闘は、十分に期待に添えるものであり、事実内容的にももう少しスコアの開いたであろうと思えば立派な戦績であるといえる。その堅実なバックの守備ぶり、粘り強さにおいては、深い印象を与えていた。

(構 拡司)=昭和18年(31陽会)神戸二中卒、野球部OB=