糸満交流戦
                            【 元デイリースポーツ記者 武陽野球倶楽部 47陽会 浜田 直人 記】
 
写真はこちら (49陽会 佃 由晃 撮影提供)(3/19)
 

 兵庫高校と選抜出場の糸満高校(沖縄)との交流戦が3月16日、神戸市北区のあじさいスタジアム北神戸で行われた。太平洋戦 )氏(旧制神戸二中=現兵庫高=出身、七陽会)をしのんでの試合で、兵庫、糸満両ナインは平和な時代に野球ができる喜びをかみしめた。

 

    糸 満 150 303 101|14

    兵 庫 510 000 000|6

 

 ◇バッテリー (糸満)山城、徳元、金城、我那覇―長嶺、比嘉、神里
                    (兵庫)松浦、常城、中本―山本純、岡本

 糸満高校は,昨秋の沖縄県大会で優勝。初の選抜出場権をものにした。その糸満がひのき舞台に立つ前の練習試合の相手として兵庫高を指名したのは、兵庫高が沖縄県の元知事、島田氏の母校だからだ。

 

 島田氏は東京帝大から旧内務省入り。昭和20年1月、最後の官選知事として沖縄県知事として就任した。県外疎開や食料調達に尽力し、多くの人を救済した。地上戦が激しさを増し、地下壕などで執務を続けたが、同年6月以降、糸満市摩文仁(まぶに)付近で消息を絶ったとされている。

 

 昨年、「武陽会」と同氏の消息を調査する「島守会」(那覇市)が協力して、摩文仁の平和記念公園付近で捜索活動を行ったが、遺骨はまだ見つかっていない。兵庫高校は今年の修学旅行で沖縄を訪れ、島田氏や沖縄県職員を追悼する「島守の塔」に立ち寄った。神戸二中、東京帝大の学生時代に野球部で活躍した島田氏の名前は、沖縄県高校野球新人中央大会の優勝杯「島田杯」として残っている。

 

 そんないきさつから交流戦が実現。試合は自力に勝る糸満が強打と足攻を生かして勝った。試合後、両チームの全選手がそろって記念撮影。糸満から兵庫にチーム名入りのボールがプレゼントされるなど、和気あいあいの時が流れた。

 

 糸満の池間主将が「死ぬ覚悟で沖縄に来た島田氏のことは後輩に伝えたい」といえば、隣で兵庫の滝下主将は「戦争があって、いまの平和の時代があることをひしひしと感じた」と語っていた。