「OBだより」
“41陽会、42陽会親睦忘年会の開催について”
(敬称略)

42陽会 田中博人記

去る12月8日、数年前から実施している41、42陽会野球部合同親睦忘年会が昔懐かしい新開地「大力」で行われた。当日は41陽会・藤井主将はじめ藤田、都、木下、水上、藤原、毛利、42陽会・田中主将、中村(旧姓城野)及び紅一点の41陽会・坂部様(ソフトボール部で活躍)が集い、昔話に花が咲き、予定の時間を約一時間オーバーするなど賑やかなうちに、大変有意義で楽しい一時を過ごした。(世話人41陽会毛利氏)

特に、今を去る50年余り前の昭和28年、夏の全国大会兵庫予選の話に集中した。当時兵庫高はダークホース的存在で、1、2、3回戦(対市兵庫、明石南、村野工)は順調に勝ち進み、ベスト4をかけた準々決勝で洲本高校と西宮球場で対戦した。当時の洲本は北口、加藤のバッテリーを中心に阿部、志貴、長尾など好選手を擁し、春の選抜大会で初出場ながら全国優勝し、優勝候補NO.1であった。試合は我が兵庫高はエース藤田が粘り強い投球で好投し、又打線も全国大会優勝投手北口にくらいつき、何とか1点をとり、9回を迎えたが、2−1で敗戦濃厚の9回裏二死からチャンスをつくり、代打川上(42陽会)が見事二塁打を打ち同点とした。その後お互い決定打がなく結果は延長14回表洲本が決勝点をあげ、兵庫は3−2で惜敗し、甲子園出場の夢は破れた。田中から現役の状況の説明があったが、2年後の創部100周年には精進を重ね、甲子園出場を果すようエールを送った。

この試合については主催の朝日新聞はじめ、地元の神戸新聞などマスコミ関係者も”兵庫高の粘り、善戦、惜敗に心から拍手を送り、絶賛する・・・“などのコメントが多く、「兵庫高球児ここにあり」を示したことは、50年以上経った今もなお、鮮明に脳裏に残っている。41、42陽会から兵庫県下優秀選手として藤田、都、木下、市川(故人)、藤井、田中、中村(旧姓 城野)、川上が選ばれている。

又、当時一年生であった森滝、広沢(故人)、高橋、岡本(故人)三瀬、藤本、鳴川など(43陽会)を主力とするチームは2年後の昭和30年春の選抜大会に見事出場を果した。兵庫高校野球部史上戦後の第二期黄金期の基礎を築いた41、42陽会の親睦会を今後とも継続し、参加者一同の健勝と現役の健闘を祈り、一本締めでお開きとなった。

(参考)S.28.8.1 西宮球場、第35回昭和28年兵庫大会準々決勝

 

洲 本 2 0 0   0 0 0   0 0 0   0 0 0   0 1 3 (延長14回)
兵 庫 0 0 1   0 0 0   0 0 1   0 0 0   0 0 2
  先発メンバー

 

(洲本) 7 3 5 2 8 9 6 1 4 (兵庫) 5 7 3 2 9 6 4 1 8
  坂本 沖田 阿部 加藤 長尾 久下本 志貴 北口 木戸口   田中 藤井 木下 野村 市川 水上 藤田 三瀬
HP管理人追記(12/29)
【野球部史より】
[洲 本]   [兵 庫]
7 坂本 6 0 0   5 田中 2 0 1
3 沖田 6 0 0   5 毛利 3 0 0
5 阿部 6 0 2   7 藤井 6 1 0
2 加藤 6 1 0   3 木下 6 2 0
8 長尾 6 1 0   2 5 2 0
9 久下本 6 0 0   9 町村 2 1 0
6 志賀 6 2 0   H 中西 1 0 0
1 北口 5 3 0   4 藤原 1 0 1
4 木戸口 5 2 0   6 市川 3 0 1
          9 川上 3 1 0
          4 6 水上 6 0 0
          1 藤田 6 0 0
          8 三瀬 3 0 0
52 9 2     47 7 3
                   
(洲本) 3 5 3 1 1
(兵庫) 2 6 5 1 0

▽本塁打=加藤 ▽二塁打=川上、志賀 ▽試合時間=2時間30分 

【評】立ち上がり洲本は遊失の阿部を一塁に置いて加藤が0−1後第2球を左翼席に大会第4号の2ランホーマーした2点をめぐって攻防の熱戦をくりひろげ、北口―藤田の一騎打ちは容易にくずれず3回兵庫が三塁失とスクイズで差をちぢめてたんたんと試合は運ばれた。

9回裏兵庫が最後のもがきに似た代打川上をくり出したが、川上は気負い立って右越に二塁打して兵庫は同点に持ち込んだ。しかし延長に入ってからやはり洲本はじりじりと押して、14回志賀の二塁打、北口内野安打のあと木戸口の中飛で辛くも勝利をものにした。

兵庫の善戦には心から拍手が送られる。

(HP管理人注:一部文章のおかしい箇所がありますが原文通り記載しました)

戻る(ブラウザの戻る)