2陽会      山崎 武二氏       大正3年 神戸二中卒

『米国の軍艦クリーブランド号の水兵達相手の試合であった。私は一塁を守った。二中ではまだ靴を履くことが許されてなく、また地下足袋もない頃であるから普通の紺足袋を履いて試合にのぞんだ。
ところが、相手は雲つくばかりの大男がスパイクつけた靴で、猛烈な勢で一塁に飛び込んでくるので、その恐ろしさは今でも忘れられない。殊に初めて試合に出たのでアガッテいるのか、足許がガクガクして落ち着きのないこと夥しい。幸に大きな失策はしなかったと思うが、打者になってもサッパリ打てず、結局6−0か8−0で負けた。……』

〔注〕山崎氏の名前が初めて出たのは明治43年7月19日の對クリケット倶楽部との試合。外人相手で勘違いしたのでは。なおこの試合は7−5で二中が勝っている。その前の試合(6月17日)ニューオルレアンズ號と試合をして10−0で敗れている。山崎氏は出場していない。

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