53陽会  川崎哲夫氏

我が学年は、戦後のベビーブームの真っ盛りに生まれたため、高原文三君、寺内馨君らが二年まで在籍しており上級生が修学旅行中は、一年生のみでメンバーが組めたが三年になると進学の関係から相次いで退部し卒業生は6人だけだった。

我々の一番の思い出は40陽会の常徳先輩がコーチだった二年の春合宿で全員中道通にあった合宿で寝泊りし一日中野球漬け。中学時代野球部にいた者が少なかったので実力のある選手はあまりいなかったのが、この合宿で大きく成長したこと。二年になり監督が37陽会の柳生先生に代わり、先生の指導と合宿の成果が徐々に出始めて来たことに加えて下級生にいい選手が入部したので三年の春の県大会でベスト8に進出したが、長田に延長10回2−3でサヨナラ負け。

勝投手が打たれたのはこの回の1本だけ。それを左翼がトンネルしたのが決勝点になったのだが、健投していた勝君に申し訳なくて。

夜関西汽船で出発、二泊三日の行程で香川県に遠征し、志度商で志度商と高松高とダブルヘッダーを行い翌日岡山に渡り関西高と対戦したが、3試合とも大敗を喫した。しかし、相手の実力を思い知らされたことと同時にわがチームの弱点を知るいい機会になった。

関西高の投手がのちにプロに行った森安君だと思っていたが、彼は修学旅行中で別の投手だったことが分かった。
その投手を全く打てず何本もバットをへし折られ、てっきり森安君だと思い込んでいて後で聞くまで分からなかった−という笑い話のような後日談が。

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