38陽会 岸本能宏氏

昭和24年夏。春の選抜大会2年連続出場という栄光を背負った37陽会を中心としたチームが夏の県予選3回戦市姫路に敗れたあと、私たち38陽会を軸にした新チームが発足し、私が主将に選ばれました。

そして、一日も早く旧チームのレベルに追いつきたい一心で夏休みを返上練習に明け暮れた。雨の少ない暑い夏だった。

終戦直後の二中 1年生3学期に入部以来、数々の思い出を綴ってきた野球部生活だったが最後の年は特に印象深く、二中創立以来初めての試みであった修学旅行も近畿大会予選のため参加せず、翌年夏の県予選準決勝で明石高に敗れるまでただひたすら野球に打ち込んだ私たちの青春がそこに濃縮されていた。

“男女七歳にして席を同じうせず”という教育を受けて育った私たちにとって県四との合併により兵庫高校として男女共学が実現した事は衝撃的な出来事であった。女生徒との自然な付き合い方が分からず、あえて背を向けて野球だけに集中したふりをしていたが、神戸高との定期戦の全校応援で大勢の女生徒の見守るなかでプレーしたときの晴れがましさなど今思い出すと気恥ずかしい思いがする。

あれから半世紀が過ぎ、仲間も皆ビジネスの第一線を退いている。今も年に数回集まっているが昔のままの徒名で呼び合っているが、そこには青春の残滓が残っているのを感じる。

 選抜大会をテレビ観戦しながら、身体的にも技術的にも私たちのころより遥かに進歩した球児がボールを追いかけ、グラウンドを駆け回る姿に昔の自分をオーバーラップさせてしまうのは私だけではないだろう。今一度《HYOGO》のマークを胸につけた選手たちがテレビに写る日を夢見ている。

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