49陽会  橋本進氏

正直言って弱かったからだろう。楽しかった思い出は浮かんでこない。でも、いい思い出はいっぱいある。一番は、やはり甲子園で野球ができたことか。昭和36年、夏の県予選。相手は市伊丹だった。満塁のチャンスにボテボテの内野ゴロ。試合に負けたこともあって余計に悔いが残った。涙が止まらなかった。人に見られたくなくて、二階にあった水道の水で何時までも顔を洗っていたものだった。

デイリースポーツに入社、とら番記者として甲子園球場に通うようになり、その水道を見るたびに“あの日”がホロ苦くよみがえった。しかし、それでも大人になってからは経験出来ない思い出。ひたむきに野球だけを考えていた県兵庫の野球部時代が懐かしい。

先輩の片岡さん(故人、元巨人−国鉄)の猛ノック、冬恒例の高取山へのランニング、授業中には眠気と戦いながらタコ糸でボール縫い、葺合高校との練習試合に負け、石段にスパイクのまま正座させられたこともある。『授業に出られなくても、練習には出て来い!』先輩の声が今も耳に残っている。苦しかった出来事が今では皆いい思い出になり、どこかで心の支えになっている。

県兵庫の野球部員であったことを誇りに思い、感謝している。

戻る