49陽会 早川泰雄氏

われわれの学年は“唯我独尊”というわけでは決してないが、結構各人が学力もそこそこで且つ強い個性を持っていたという点が他の学年に比しての特徴ではなかったかと思われます。そして主将であった私自身の力不足もあり、全体をまとめていくのに苦労した記憶が強く残っています。しかし、入部後は、それぞれ自己の希望あるいは得意、不得意を考え自然にそれぞれのポジションに重複することなく就くこととなり、結果各人の個性、能力を一番発揮できるチーム構成になっていきました。

二年先輩のチームが県大会でベストに入ったこともあり、われわれもと思い頑張ったが、地区予選は勝ち抜いたもののベスト16という結果が最高で少々残念な記憶も残っています。

後になって思い返すと、当時は伝統に従うあるいは先輩指導による根性野球を目指す練習方法を採っていましたが、もう少し合理的、効率的なやり方で取り組むことが出来なかったのかと反省する点もあります。暑い暑い日が続く夏に、ベースランニングなどは暗くなっても出来るというわけで夜遅くまで繰り返すこともありました。疲れが続くある日主将である私の考えで一通りの練習が終わる暗くなるころに練習を切り上げることにして引き揚げようとしたところ、逆にそれまで以上の多いランニングを先輩に課せられ逆効果を招いた苦い経験もありました。最近ではこれら“シゴキ”スタイルから科学的、合理的練習法が採り入れられ、実施されているようで良いことだと思います。

クラブ活動が三年の夏休みで終わり、各自が勉強に力を入れた結果だと思いますが、卒業後就職者(1人)、神戸大(2人)、慶応、立教、立命、関学、神外大(各1人)と進路を決めて行きました。これもまたそれぞれが強い個性を発揮した一端であったのかと私は考え、高校生としてのある意味での頑張りを示したことで今でも我チームの各人を誇りに思っています。

最後に仲間の道本君がガンで亡くなったことが残念でなりません。ご冥福を心よりお祈りします。

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